今年に入ってから国際的な批判を集めている「ラムザイヤー論文」をご存知だろうか。(「月刊サイゾー」2021年9月号より転載)

米国教授の「強制」否定論が大批判 国際問題化する慰安婦論の最...の画像はこちら >>
『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)

 ラムザイヤー論文とは、米ハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授が執筆した、日本軍の慰安婦制度を題材とした論文。

タイトルは「太平洋戦争における性行為契約」(Contracting for sex in the Pacific War)で、2020年12月に国際学術誌「International Review of Law and Economics」のウェブ版で公開された。その内容は、ゲーム理論を用いて、日本軍の慰安婦制度が「商行為」だったと示そうとするものだ。

 同論文は「経済学のゲーム理論を用いて」という体裁をとっているが、主張そのものは慰安婦の強制性を否定する、歴史修正主義の言説にありがちなもの。報道の加熱で広く読まれた結果、「出典の扱いにも不備がある」「同教授が過去に執筆した被差別部落や在日コリアン、沖縄の論文にも事実の歪曲や差別的な認識が読み取れる」「そうした論文の出典には青林堂の『余命三年時事日記』や桜井誠の『日本第一党宣言』などのヘイト本も含まれている」といった事実も広く知られることとなった。

 そしてラムザイヤー論文に対する批判的な記事は、CNN、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど米国の主要メディアも掲載。世界の歴史学者から批判の声が上がったのに加え、経済学者が呼びかけた同論文への憂慮を示す署名も3000人以上の学者から集まった。

 なおラムザイヤー氏の専門は日本法および法学、経済学。1990年には硬派な学術書でサントリー学芸賞も受賞している。そんな人物が、なぜ日本で流通する歴史修正主義と共鳴したのか。また、その論文が韓国のみならず国際的な批判を浴びているのはなぜなのか。同論文に関する日本のマスメディアの報道が、右派メディア以外では少ないのはなぜなのか。

 そうした疑問を解消するには、日本の右派がアメリカを主戦場に続けてきた歴史修正主義的な主張の周知活動や、慰安婦モニュメントの建設反対運動の歴史を知ることが必要だ。

 そして、「歴史的事実」を非・学術的な方法によって書き換えようとする動きが、海外にまで広がっている現状を知ることは、今の時代に歴史を考えるうえで非常に大切なことといえるだろう。

 本稿では当分野の有識者に話をうかがいながら、ラムザイヤー論文の登場に至る歴史的背景や、その問題点をひもといていく。

 まずは日本軍の従軍慰安婦制度が、日韓の戦後補償問題として扱われ、国際的認知が広まった過程を簡単に振り返る。

 日本軍の慰安婦制度が日韓の政治問題として浮上したのは、1990年代に入ってからだった。

「やはり91年に金学順さんが元慰安婦として初めて名乗り出て、自ら証言を行ったことが非常に大きかったと思います。彼女の証言をきっかけに、韓国でも慰安婦の問題が重要視されるようになり、各国でほかのサバイバーの人たちも声を挙げるようになりました」

 そう話すのは『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店)の共著者のひとりで、モンタナ州立大学社会学・人類学部准教授の山口智美氏。

 そして92年には、宮澤喜一首相が「軍の関与を認め、お詫びしたい」と謝罪し、真相究明を約束。1993年には日本政府が16人の慰安婦に聞き取り調査を実施したうえで、慰安婦動員の強制性を認めて謝罪する談話も発表した(内閣官房長官の河野洋平による「河野談話」)。

 その後、日本軍の慰安婦制度は、同年の国連世界人権会議(ウィーン会議)でも議題になり、95年に開催された北京会議(第4回世界女性会議)でもこの問題は広く周知。そして国際連合人権委員会も、96年の「クマラスワミ報告」などで日本の慰安婦問題を取り上げ、責任者の処罰や賠償などを勧告するに至った。

 日本の従軍慰安婦問題は、戦時下における女性の性被害の問題で、韓国のみならず中国、フィリピン、台湾などにも被害者がいた。そのため当初から、日韓だけの政治問題には収まらないものだった。

 一方で日本国内に目を向けると、90年代後半には慰安婦問題が日本の歴史教科書に記述されるようになり、その反発として「新しい歴史教科書をつくる会」の活動もスタートした(96年)。

 なお翌年に発表された同会の設立総会の趣意書には、「冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています」との記述が見られる。

『海を渡る「慰安婦」問題』の共著者のひとりで、右派言説の研究を行っている能川元一氏によると、こうした「敵から戦いを仕掛けられている」「反日包囲網が広がっている」という被害者意識は、日本の右派によく見られるもの。またこの頃のアメリカでは、実際に右派には快くない事態が進行していた。

「アメリカでは97年にアイリス・チャン(中国系アメリカ人ジャーナリスト)の『ザ・レイプ・オブ・南京』(邦訳版:同時代社)がベストセラーになりました。彼女の登場は、戦後世代の中国系アメリカ人が、日中戦争の歴史に関心を持ち始めたことの象徴であり、それまで日中間の問題だった南京事件が国際的な問題に変化したことも意味していました」(能川氏)

 日本軍の慰安婦の「強制連行」否定論、南京事件否定論は、歴史修正主義的な右派言説の核になっている。

その主張が広まった背景には、そうした問題への批判が国際化することへの危機意識があったわけだ。

 そして2000年頃になると、右派は英語での対外発にも力を入れ始める。

「南京事件については、日本会議国際広報委員会が編纂の日英対訳本『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪 日英バイリンガル』(明成社)が00年に刊行されています。また同年には、田中正明さんの南京大虐殺否定論『南京事件の総括』(謙光社)の中心部分などを翻訳した英文書も刊行されています」(山口氏)

 この『「南京事件」の総括』の英訳版については、海外のアジア研究の研究者に一方的に送付されていたという。

「北米のアジア研究では最大の学会『アジア研究協会(Association for Asian Studies)』のメンバーに同書が届いたことは、当時から研究者間で話題になっていました。その後もアジア研究協会のメンバーには『史実を世界に発信する会』から一方的にメルマガが届くようになるなど、右派の海外研究者への情報発信は続いてきました」(山口氏)

 そして15年には、モンタナ州立大学に勤務する山口氏のもとにも、自民党の猪口邦子参議院議員から『歴史戦─世紀の冤罪はなぜ起きたか』(産経新聞出版)、呉善花『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館新書)の英訳本が届いている。

山口氏が猪口氏に直接問い合わせたところ、猪口議員は「自民党で対外発信のチームを組んで取り組みを行っている」と話したという。右派団体が行った対外発信は、のちに政権与党の自民党自体が取り組むようになっていたわけだ。

 そうした右派の対外発信は、自分たちに有利に働くどころか、逆に窮地に追い込む結果になることもあった。その典型例といえるのが「歴史事実委員会」が07年にワシントン・ポスト紙に掲載した意見広告『THE FACTS』だ。

 歴史事実委員会は、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、作曲家のすぎやまこういち氏らが委員に名を連ねる組織。自民党議員の稲田朋美氏や、当時民主党議員だった河村たかし氏(現・名古屋市長)も意見広告に賛同していた。

 この意見広告は、アメリカ下院議会で、慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)が提出される動きを受けて掲出されたもの。広告内では「慰安婦募集に日本政府や軍の強制はなかった」といったおなじみの主張を展開したが、その内容はかえって反発を呼ぶ結果となり、決議案は可決された。

「また安倍晋三首相(当時)も『(従軍慰安婦の)強制性を示す客観的な証拠はなかった』と発言。各国のメディアで批判を浴びて、ブッシュ大統領に謝罪する結果になったことも、可決の後押しになったと思います。日本の右派がそうした動きを公然と始めたことで、下院議会には『この決議案に反対すると、日本の右派の行動を肯定することになる』という認識が広まっていたはずです」(能川氏)

 そして10年代には、アメリカを始めとした諸外国で慰安婦関連の像や碑といったモニュメントが建ち始める。13年に市有地の公園内に少女像が建てられ、右派による撤去運動が激化して訴訟も行われたカリフォルニア州グレンデール市は、その象徴といえる場所になった。

 その前後から右派による報道では、歴史修正主義的な自分たちの主張を広める活動が「歴史戦」と呼ばれ、米国が「主戦場」と呼ばれるようになったそうだ。

「『歴史戦』という言葉がそうした文脈で初めて使われたのは12年の12月。第二次安倍内閣の組閣を伝える記事が1面を飾ったその日の朝刊に広告が掲載された『正論』13年2月号(産経新聞社)の記事でした。つまり右派の『歴史戦』は、安倍晋三の総裁復帰を追い風に始まったものといえるでしょう。また右派の海外攻勢が強まった背景には、14年に朝日新聞が、吉田清治の証言による慰安婦問題の記事の一部に虚偽があったことを認め、その撤回を行ったことも大きいです。その頃から右派の間では『国内における慰安婦の論争は我々の勝利に終わった』という認識が定着しています」(能川氏)

 なおアメリカなどの諸外国で、慰安婦のモニュメントの設置を主導したのは、韓国系住民のケースもあれば、中国系住民が中心にいたケースもあるという。

「そうした運動では、日系人を含むほかのアジア系アメリカ人や、それ以外の住民にも一定の支持の広がりが見えました。慰安婦像建設の動きがあった地域には、右派団体や日本政府から強い圧力がかかりましたが、それでも実際に像が建つことがあったのは、人種や民族を超えた支持が広がっていたからともいえます」(山口氏)

 なおグレンデール市の少女像を巡っては、市近郊に住む原告らが撤去を求める訴訟をカリフォルニア州の連邦地方裁判所に起こしたが、請求は棄却。連邦最高裁判所への上訴でも棄却され、敗訴が確定した。

 また朝日新聞を相手にも国内で訴訟が行われたが、18年に原告側の敗訴が確定。「朝日新聞の慰安婦に関する報道で誤った事実が世界に広まり名誉を傷つけられた」といった主張は認められなかった。

 こうしたアメリカでの「歴史戦」の文脈を踏まえると、ハーバード大学の教授であるラムザイヤー氏の論文の登場はどのように読み解けるのか。

「彼は日本の右派が続けてきた対外発信の文脈にいる人物だと思いますし、右派としては『国外向けの発信役』として大きな期待を寄せていたと思います。日本にはケント・ギルバートやマイケル・ヨンなど、外国人の立場から歴史修正主義にくみする発言をする人がいましたが、彼らは学者ではないし、海外での知名度や影響力はありませんでした。その点、ラムザイヤーはハーバード大学の学者ですし、学術論文の形で慰安婦の強制性を否定することは、右派にとって悲願のひとつでした」(山口氏)

 能川氏も次のように続ける。

「ただ彼は、以前から日本の被差別部落や在日コリアンについて差別的な論文を書いていましたし、今回の論文も単純に『右派の働きかけによって書いた』というわけではなく、彼自身の内発的な動機もあって書かれたものだと思います。なおラムザイヤーは右派的な思想の持ち主で、『アメリカのマイノリティを題材に書くと議論が大きくなってしまうので、あまり知られていない日本の事例を選んでいる』と以前に書いています」(能川氏)

 ラムザイヤーの日本を題材とした論文にはマイノリティへの攻撃、人権の軽視といった特徴が見られる。そうした主張を英語圏で安全に行うために、日本が題材に選ばれ、結果的に右派的な言説と共鳴した可能性は大いにあるだろう。

「なおラムザイヤーと親しい関係にあり、日本の右派論壇誌の常連となっているジェイソン・モーガン(麗澤大学准教授)も、学生の頃にアメリカのアカデミズムの雰囲気になじめずに、多様性に関する学内の研修に反発する事件を起こしています」(能川氏)

 ジェイソン・モーガン氏はその研修で、特にトランスジェンダーに対して反発する態度をとっていた。そして彼は、今回のラムザイヤー論文に対して、「論文を攻撃する人々の多くは、慰安婦を絶対的な犠牲者と見なす過激なフェミニスト」と主張している。コラムで詳述するように、慰安婦問題について「強制はなかった」と否定する勢力には、反フェミニズムの思想も色濃いのが特徴で、その思想で外国人の有識者と連帯しているケースもあるわけだ。

「また韓国にはニューライトと呼ばれる新しいタイプの保守勢力がいますが、彼らの場合は『反共』という思想で日本の右派とつながっていて、慰安婦問題を否認することがあります。基本的に歴史修正主義は自分が帰属する共同体の過去を美化する運動のため、国際的な広がりは持ちにくいですが、『共通の敵』を見いだしたときは国境を越えることがあるわけです」(能川氏)

 ただ一方で、ラムザイヤー論文に強い批判が集まったのも、やはり国境を越えた連帯が広まりつつあるからだった。

「これまでも問題のある論文を書いてきたラムザイヤーが、今回これだけ世界から批判されたのは、論文のテーマが国際的な広がりを持つ慰安婦問題だったからだと思います。ラムザイヤーの所属するハーバード大学でも、ロースクール以外の学生やフェミニストからも反対の声が上がりましたし、アメリカではアジア系住民が被害に遭ったアトランタ銃撃事件の経験もあり、アジア系の活動家の間で差別に対抗する連帯が広まっています」(山口氏)

 日本軍の慰安婦制度についての論文が世界的な騒動になったことには、「日韓問題が海外に飛び火した」というイメージを持っている人が多いだろうが、世界では「二国間の問題ではなく世界の問題」「自分たちにも関係のある問題」として慰安婦問題が捉えられているわけだ。

 ラムザイヤー論文に集まった強い批判や、人権問題や女性差別問題への意識が世界的に高まっている現状を考えると、日本の右派による慰安婦問題の言説が海外で大きく拡散する心配は少ないように思える。ただ、ツイッターの歴史修正主義的な右派のアカウントでは、ラムザイヤー論文は今も大人気だ。

「今回の論文はネット版への掲載時に大きな批判を浴びたため、印刷された雑誌に掲載されるかは不透明な状況ですが、掲載されれば右派の人たちは『やっぱり問題はなかった!』と騒ぐでしょうし、不掲載となれば『検閲だ!』『言論弾圧だ!』と騒ぐでしょう。いずれにせよ、ネトウヨの人たちが永遠に使える材料になってしまったわけです」(山口氏)

 理路整然とした批判を浴びてもビクともしないのは、歴史修正主義者の強みでもある。韓国でラムザイヤー論文への反発が起こったというニュースも、「ネット右翼にとっては格好のエサになっている面がある」(能川氏)というつらい実情があるのだ。そして圧倒的な物量でラムザイヤー論文を擁護する歴史修正主義の勢力に対して、日本のマスメディアはラムザイヤー論文の騒動事態をほとんど報じてこなかった。

「目立つ記事が出たのはいずれも地方紙で、全国紙では朝日新聞が短い記事を少し出した程度です。もちろんテレビでも報道はありませんでした。やはり日本の慰安婦問題の報道は、01年のNHK教育テレビ(当時)のETV特集『問われる戦時性暴力』に中川昭一、安倍晋三からの圧力があったと報じられた頃から、ずっと腰の引けた状態が続いています。それに14年の朝日新聞の記事撤回が追い打ちをかけて、今となっては記事に書くこと自体が難しい状況になってしまいました」(山口氏)

 こうしたメディアの状況により、日本では慰安婦問題について歴史修正主義者の主張ばかりが目立つ状態が今も続いているのだ。だが日本軍の慰安婦問題は、この研究の第一人者の吉見義明氏(中央大学商学部名誉教授)が「女性に対する性暴力と、他民族差別と、貧しい者に対する差別が重なって起きた問題だと思います」と述べているように、今の日本社会が向き合うべき課題が多分に含まれた問題でもある。

 今回のラムザイヤー論文のような慰安婦問題の騒動についても、歴史修正主義者たちが広めてきた「韓国がまた何か騒いでるわ」といった態度で済ませることが日本人のデフォルトとなってしまえば、日本はさらなる人権後進国へ道を邁進してしまうだろう。

(取材・文/古澤誠一郎)

慰安婦否定論と共鳴
反フェミニズムやネオリベとの親和性

 本文でも少し触れたように、日本軍の慰安婦の「強制連行」を否定する思想は、女性差別や反フェミニズムと深い関係がある。
日本では今年、歴史学者の呉座勇一氏が、「フェミニスト」「リベラル派」と目される学者や知識人への誹謗中傷を大量に行っていたことが発覚し、大きな騒動になったが、彼はラムザイヤー擁護論のツイートにも「いいね」を付けていた。

「日本軍の慰安婦問題をどう捉えるかには、その人の女性の人権に対する意識や、『貧困が人生の選択肢を狭めている問題をどう捉えているか』も関係してきます。なお慰安婦の強制連行を否定し、歴史修正主義の主張を海外に広める活動にも熱心に取り組んできた杉田水脈(衆議院議員)は、AVの出演強要問題に政府が予算をつけることに反対する趣旨の質問をしていました」(能川氏)

 そして日本軍の慰安婦を「売春婦」と見なす論調は、貧困を自己責任とするネオリベの思想とも相性がいいとのこと。慰安婦問題への態度は、その人の思想を映す鏡のような存在にもなっているのだ。