モンゴルから、たまらなくキュートかつユニークな青春映画が届けられた。物語の舞台となるのはモンゴルの首都ウランバートル。
女子大生のサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)は両親に勧められ、大学では原子力工学を専攻している。両親とは仲がいいが、苦労して大学に進学させてくれた両親のことを考えると、「自分には理系は合っていない」とは言い出せずにいた。いつもヘッドフォンで音楽を聴き、おとなしい性格のサロールは、いかにも「Z世代」っぽい女の子だ。
そんなサロールが、アダルトグッズショップでアルバイトをすることになる。
1日の売り上げ金は、店のオーナーであるカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)に毎晩届けることになっていた。おしゃれな高級フラットでひとり暮らしをしているカティアは、サロールにとってはおばあちゃん世代。
最初はうっすらと口髭の生えた、垢抜けない女の子だったサロールが、アダルトグッズショップで働き始めて、どんどん洗練されていく。性格も明るく変わっていく。新人女優バヤルツェツェグ・バヤルジャルガルの変身ぶりを見ているだけでも、充分に楽しめる123分となっている。
誰もが経験する「性」をテーマにした作品
モンゴル映画というと大草原を馬が駆けている映画、そんなイメージを『セールス・ガールの考現学』は一新する。本作を企画・脚本・プロデュースも兼ねて撮り上げたのは、センゲドルジ・ジャンチブドルジ監督。1999年にウランバートルにある映画芸術大学を卒業し、多くの映画やテレビ番組を手掛けてきた。本作は「大阪アジアン映画祭」薬師真珠賞(俳優賞)や「ニューヨーク・アジアンフィルム・フェスティバル」グランプリを受賞するなど国際的に評価されている。
センゲドルジ監督が本作の企画を思いついたきっかけは、2017年にイタリアを旅行した際にアダルトグッズショップを見かけたことだった。まるでコンビニのように日常風景として街に溶け込んでいたことが印象的で、誰もが経験する「性」をテーマにしたドラマを撮ろうと思い立ったそうだ。センゲドルジ監督がリモート取材に応えてくれた。
センゲドルジ「クランクイン前に、ウランバートルにあるアダルトグッズショップを訪ねました。現在のウランバートルには全部で27軒のアダルトグッズショップがあり、すべての店を回りました。どの店も品ぞろえがよく、劇中のサロールが説明していたように、自分の好きな芸能人に似せたラブドールをインターネットで注文できるサービスも用意されていました。店を訪ねるお客たちはちょっと恥ずかしそうに顔を伏せていましたが、みんな裕福そうな人たちでしたね」
戦後のモンゴルは長らくソビエト連邦と親しい関係を保ち、社会主義体制を敷いていたが、1990年から民主化が進み、首都ウランバートルは近代化が目覚ましい。インターネット環境も整い、若い世代はYouTubeを楽しんでいるそうだ。モンゴルの今が描かれた作品となっている。
センゲドルジ「最初に話をしたプロデューサーは『面白い企画だと思う。でも、今のモンゴルで受け入れられるかなぁ』と及び腰でした。それで僕から『今やらなくて、いつやるんだ?』と強く押したことで、ようやくOKしてもらえた企画でした(笑)」
本作はモンゴルではR指定付きの作品として公開された。企画内容から公開形態も含めて、モンゴル映画界に新風を吹き込む作品となった。
モンゴルZ世代にあたる女子大生のサロールを演じたのは、オーディションで選ばれたバヤルツェツェグ・バヤルジャルガル。
センゲドルジ「ヒロインを誰が演じるかは、本作においてとても重要でした。オーディションでは300人以上の若い女優たちに会いましたが、演技経験のなかったバヤルツェツェグは目がとても印象的だったんです。サロールは内向的だった性格が次第に変わり、明るい女の子に変わっていきます。彼女は目の演技で、サロールの変化を表現できると思ったんです」
もうひとりのヒロインとなるのが、カティア役のエンフトール・オィドブジャムツ。女性オーナー役を演じられる女優がモンゴルでは見つからず、かつてモンゴル映画で活躍したエンフトールに白羽の矢が当たった。だが、エンフトールはモンゴルを去り、ドイツへと移住していた。そのため、センゲドルジ監督は手紙をしたため、女優復帰を要請している。
演技経験のない新人女優とモンゴル映画界の伝説の大女優が初めて顔を合わせるという、本作のストーリーと重なるようなキャスティングだった。
センゲドルジ「エンフトールさんがモンゴル映画で活躍したのは、バヤルツェツェグが生まれる前のことです。エンフトールさんがどんな女優かをまったく知らずに、彼女は共演したわけです。世代も違い、異なる文化で生活してきた2人が、一緒に撮影現場で過ごすことでどう変わっていったのか。ドキュメンタリー的な面白さも、本作にはあると言えるでしょう」
モンゴルの社会主義時代に青春を過ごしたカティアは、性に関しては非常にオープンだ。自分の考えをなかなか口にできずにいるサロールには、辛辣な言葉も浴びせる。風変わりな客たちにも揉まれ、少しずつタフになっていくサロール。雇用主であるカティアに対して「過去の思い出に生きているだけ」と意見するまでになる。価値観の異なる2人の女性が本音でぶつかり合い、親交を深めていく様子が心地よい。
モンゴルで問題となっている自殺率の高さ
サロールは大学で原子力工学を学んでいる。モンゴルはウランなどの地下資源が豊富なことから、日本企業は積極的に核関連施設の建設を進めようとしていた。センゲドルジ監督いわく「その事実は知らなかった。今どきの女の子から、いちばん縁遠そうな学部として選んだだけ。他意はない」とのことだ。
しかし、近代化が進むモンゴルは、街の暮らしは便利になったものの、さまざまな社会問題が浮上していることも確か。そのひとつが自殺率の高さ。2019年の調査では、モンゴルの自殺率は17.9(10万人あたり)と日本の15.3よりも高い。サロール一家の暮らすマンションでも自殺騒ぎがあり、サロールの精神状態に影響を与える。死について考えるサロールだった。
モンゴルで多発する自殺についても、センゲドルジ監督は語ってくれた。社会の変動に加え、その人の内面が大きな問題ではないかとセンゲドルジ監督は考えている。
センゲドルジ「人間は自分自身とは別に、心の中にもうひとりの自分がいるものだと思います。自分自身ともうひとりの自分とが、きちんとコミュニケーションができていれば大丈夫なんですが、もうひとりの自分とうまくコミュニケーションできずに悩む人もいます。もうひとりの自分に負けてしまう人もいる。そんなとき、人は死にたくなってしまうのかもしれません」
少女から大人の女性への吊り橋を危なっかしく渡るサロールを、恋愛経験も豊富なカティアが人生の先輩として導いていく。本作はモンゴル発の“歳の差”シスターフッドムービーとも言えそうだ。
親ソ連時代に欧州文化に親しんだカティアと、いつもヘッドフォンで音楽を聴いているサロール。世代の異なる2人をつなぐキーアイテムとして、ピンク・フロイドの世界的なベストセラーアルバム『狂気』が使われている。1970年代~80年代、ピンク・フロイドは大変な人気を誇り、旧ソ連でのライブ公演も行なった。1973年に発表された『狂気』は、色褪せることのない名盤だ。
センゲドルジ「芸術には音楽が欠かせません。僕のアトリエにはプロ仕様の音響システムを設置しており、いつもピンク・フロイドを流しているんです。ピンク・フロイドは時代を超越した存在であり、僕は彼らの音楽から多くのインスピレーションを受けています。もちろん、僕は新しい音楽も大好きで、ライブにも行きます。モンゴルで人気のマグノリアンはお気に入りで、今回の映画音楽を担当してもらっただけでなく、出演もしてもらったんです(笑)」
センゲドルジ監督は「これからも今のモンゴル社会を撮り続ける」とのこと。本作が描いたモンゴルの若い世代が感じる「生きづらさ」は、日本の若者たちが抱える不安や悩みと通じるものが多そうだ。サロールがさまざまなトラブルを乗り越え、美しく成長していく姿に魅了される日本人も続出するに違いない。
『セールス・ガールの考現学』
監督・脚本・プロデューサー/センゲドルジ・ジャンチブドルジ
出演/バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル、エンフトール・オィドブジャムツ
配給/ザジフィルムズ 4月28日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
©2021 Sengedorj Tushee, Nomadia Pictures
zaziefilms.com/salesgirl
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