ドラマ公式Instagramより

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

 前回(第11回)の『光る君へ』、なかなか見どころが多かったですね。一条天皇(高木波瑠さん)の即位が中心に描かれていたと思います。

数え年でも7歳という幼帝ですから、外祖父にあたる藤原兼家(段田安則さん)が天皇の代わりに政治を行う「摂政」に就任していました。しかし、即位式に欠かせない高御座の内部に、何か怪しげなモノが置かれているシーンが映像化されていて、少々、驚きました。

 ドラマでは悲鳴を聞いた藤原道長(柄本佑さん)が駆けつけ、目撃者たちに「外に伝われば命はないものと思え」などと箝口令を敷いたり、武官束帯の袖が赤いのをいいことに、それで血を拭うなど冷静な処置を行っていましたが、これは歴史物語『大鏡』などにも出てくる場面がベースです。

 藤原兼家率いる右大臣家の躍進を快く思わぬ者からのイヤがらせであったのでしょうが、『大鏡』では、「大極殿の御装束すとて人々あつまりたるに、高御座の内に髪つきたるものの頭の、血うちつきたるを見つけたりける」と描かれているこのシーン、誰の生首かはよくわかりませんが、とにかく血まみれの頭が玉座の上に鎮座していたので、儀式の準備に来た役人たちが驚愕したようです。

『大鏡』によると、使者から屋敷で報告を受けた兼家は、なんと「うち眠らせたまひて」、つまり狸寝入りをして、「高御座が穢された」などと耳にすれば即位式を延期せざるを得なくなる情報は聞かなかったフリをしたのでした。

 そしてしかるべきタイミングで目を覚ました演技をして、「御装束は果てぬるにや(=準備は済んだのか?)」とだけ言ったので、役人たちはそこから兼家の「真意」を判じとって、何事もなかったかのように式の準備を整えたそうです。

 ドラマでは、出家した花山院(本郷奏多さん)が「呪文のようなもの」を唱え、数珠が弾け飛ぶ映像が、生首の場面の映像に重ねられていたので、呪詛だったのだろうか、と感じた方もおられるかもしれません。しかし、あれは呪詛などではなく、「おん・しゅちり・きゃらろは・うんけん・そわか」という、密教系の仏教で信仰されている大威徳明王に呼びかけるための「御真言」ですね。花山院は悪縁を断ち切るための祈祷を行っておられたのです。

 さて、ドラマ後半では、道長がまひろ(吉高由里子さん)に「妻になってほしい」とプロポーズするシーンがありました。しかし、まひろは「私を北の方(正室)にしてくれるってこと?」と道長に尋ね、苦い顔で沈黙されてしまいました。ここでは平安時代の婚姻制度についてさらっと触れておきましょう。

『光る君へ』道長、まひろへの求婚と平安時代の「正妻」「妾」事情
『光る君へ』道長、まひろへの求婚と平安時代の「正妻」「妾」事情の画像2
まひろ/紫式部(吉高由里子)ドラマ公式サイトより

「北の方」とは、寝殿造りの屋敷の中でも北側の部分、つまりステイタスがある場所だとされた「北の対」といわれる部分に住んでいる女性というような原義を持っています。ステイタスの高い場所にふさわしい女性だから、正室という意味ですね。

 明治時代以前の日本では、身分を問わず、しばしば一夫多妻制が普通だったとよくいわれますが、本当に一夫多妻制だといえるのは平安時代かそれ以前の夫婦関係だけなのですね。つまり戦国武将や江戸時代の将軍たちの側室は、妻ではなく、家の使用人に過ぎなかったのです。待遇などから、正妻が二人いたと考えられるケースもあり、それで有名なのは、豊臣秀吉のおねと淀殿でしょうか……。

 ドラマにお話を戻すと、まひろは道長の沈黙に「北の方ではなくて、私に妾(しょう)になれってこと?」と問いかけ、「そうだ」といわれると激しく傷つき、怒っていました。

 当時の貴族社会では、男性と結婚した順番が早いだけで、北の方になれるかどうかが決まるわけではありません。平安時代は分割相続で、女性でも不動産などを両親から継承することができました。ドラマでいうと、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)が看病している重病の恋人なども、そういうケースの女性ではないでしょうか。

 基本的に、十代半ばになった貴族の男性は、第二次性徴が見られた時点で元服儀式を行い、その一環として妻にふさわしい女性の家に「婿入り」をするのです。しかしその後、男性の出世の足がかりにもなってくれそうな身分が高い親兄弟・親戚筋をもっているなど、さらに社会的ステイタスが高い女性と仲良くなれれば、そちらのほうが北の方になってしまうケースもありえました。

 ですから、道長が政治のトップを目指すのであれば、まひろを妻に迎えることは可能であっても、妻たちの中でも最上位の妻である北の方として扱うことは、父親は失職中、弟も学生というまひろの家柄を考えれば、絶対に不可能だという判断になるのです(だからこそ、都落ちして、まひろと二人で暮らしたいと道長は言っていたのでしょうね)。

 それでは当時の「妾」とはどんな女性なのでしょうか?

 これは研究者によって定義が異なり、ドラマのように正室以外の妻=妾とする場合もあるのですが、筆者の感覚では、たとえ北の方でなくても、男性側に器量があれば、妻と呼ぶべき女性を何人でも同時に持つことはできて、そういう「妻」と「妾」の間には大きな違いがありました。

『源氏物語』を例に説明します。光源氏の最愛の女性・紫の上は正妻=北の方だと思われがちですが、紫の上は実質的な北の方にすぎません。彼女は没落皇族の、しかもほとんど父親から顧みられていなかった姫にすぎず、今をときめく光源氏の正式な北の方と呼んでもらうには社会的ステイタスが足りなかったのです。

 それゆえ、光源氏の兄で、朱雀帝の娘・女三の宮が降嫁してくると、紫の上は女三の宮にステイタスの点では惨敗なので、女三の宮が北の方の扱いに、そして紫の上はただの妻に降格となってしまったのですね。このときの不安が彼女の寿命を縮めたようです。

 また他の例としては、ドラマに『蜻蛉日記』作者の藤原道綱母(財前直見さん)が登場していますが、兼家にとって、彼女はただの妻、ヒラの妻という扱いですね。正室の時姫が亡くなっていますが、ただの妻はただの妻止まりで、正室に格上げされることはありません。しかし、ただの妻でも娘を産んでくれたのであれば、出世の道具に使えるので、男性からはものすごくありがたがられたものです(逆に子どもが息子であれば残念がられたはずです。ドラマの道綱が控えめなのは、そういう空気を兼家から感じているからでしょう)。

 ただの妻か、北の方かを端的に知る方法としては、自分の前で男性が食事する、もしくは男性と共に食事できるかどうかで知ることはできました。平安時代の貴族の男性は「本命」の女性としか食事をしないことになっているのです。

『蜻蛉日記』の作者は、兼家と食事した数少ない機会を嬉しそうに書き記しているので、彼女は妻ではあるが、少なくとも正室=北の方ではなかったことがそこからもわかります。

 筆者の感覚では、「妾」という語にふさわしいのは、正式な妻にするには本気度、愛情、いろいろと足りないのだけれど、大事な恋人ではあるという認識の女性が相当します。『源氏物語』の光源氏にとっては、六条御息所、朧月夜などでしょうか。

 また、関係が長続きしているけど、セフレ以上恋人未満のような女性は「召人(めしうど)」と呼ばれ、妻妾のうちには入りません。『源氏物語』では、ほとんど名前もないキャラクターではあるけれど、光源氏から「足を揉んで」などといわれている女房たちの存在も描かれています(かつて花山天皇が、藤原為時に「足を揉め」と言っていましたが、男女であればセックスのお誘いです)。

 妻ではなく、妾でさえあれば、関係が続いている以上、男から養われるべき立場にあり、守ってもらえるのですが、召人は男が関心を失えばそれっきりで終わりだったのです。

 日本史の中では女性が活躍したとされる平安時代ですが、婚姻制度を見る限り、あからさまに男性有利であったことがわかって遠い目になってしまいますね。

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