平昌オリンピックでの偉業が記憶に新しい男子フィギュアスケートの羽生結弦選手。滑走後、リンクに投げ込まれる大量のぬいぐるみからもわかるように、彼は大の“くまのプーさん”好きで、常にプーさんのぬいぐるみ型ティッシュケースを肌身離さず持ち歩いている。
■羽生選手のプーは“儀式”!?
――羽生選手が、試合会場にくまのプーさんを持っていくのは、どういった心理からと考えられますか?
唐沢かおり先生(以下、唐沢) 羽生選手ご本人がインタビューなどで答えていることから推測すると、精神を安定させるためでしょう。トップアスリートは、緊張を強いられる場面やプレッシャーの大きい状況下でも、コンディションや気持ちを安定させて試合に臨まなければなりません。そのために、ある行動を“儀式的に行う”、また安心感を得るためのものを身につけたり身近に置くなど、自己コントロールする方法を体得している人も多いです。羽生選手の場合は、 “くまのプーさん”がそのような役割を果たしているのではないでしょうか。羽生選手は、もともとプーさんのティッシュケースを使っていたようで、プーさんの顔に癒やされるという言葉などからも、ぬいぐるみに限った話ではなく、プーさんというキャラクターが好きということかもしれません。
――とはいえ、成人男性でぬいぐるみを持ち歩く人は稀かと思います。
唐沢 成人男性でぬいぐるみを持ち歩く人は確かに少数でしょうね。でも、彼女にもらったとか、幼い頃の思い出に関係しているとか、なにかしらの理由があると思うので、ぬいぐるみに愛着を持つこと自体は、特に問題ないと思います。ただ、商談の際にもぬいぐるみを抱いていないと集中できないとか、破産するまで買い集めるなど、あきらかに他者との関係や社会生活に支障をきたすほど、過度の依存がある場合は、何かしらの対応を考えなければいけないと思いますが。
■misonoの家には“ぬいぐるみ部屋”が
――歌手のmisonoさんもぬいぐるみが大好きなんだそうです。
唐沢 misonoさんのケースは、主に3つの状況が考えられます。1つは、触覚に惹きつけられている。例えば布団も、カチカチの硬い布団より柔らかい方が落ち着きますよね。ぬいぐるみのフカフカした触り心地は気持ちよく、落ち着きを得られるので、悩んだときに、柔らかな布団に包まれたい気持ちと同じ感覚で、ぬいぐるみを求めている可能性もあります。
もう1つは、ぬいぐるみ一体一体を、1つの存在として認めているケース。それらに囲まれていることで、大勢の友達の中にいるような感覚が得られて、安心できる場合もあります。最後の1つは、ぬいぐるみの個性は関係なく、“かわいい”“好きなキャラクター”という思いから、見ているだけで落ち着くということも考えられます。こればかりは、本人に聞いてみないとわからないですね(笑)。
■ジャニオタがぬいぐるみを持つ理由
――ジャニーズやK‐POPファンの中には、ぬいぐるみをコンサート会場に持ち込み、抱きしめながら鑑賞している人がいます。ぬいぐるみに衣装のコスプレをさせたり、ファン活動の現場以外にも連れていくという人もいます。
唐沢 あこがれの人を常に身近に感じていたいからでしょう。
――ジャニーズファンには、ディズニーキャラクターのダッフィーやシェリーメイ、K‐POPファンにはLINEキャラクターのブラウンのぬいぐるみが人気といった傾向もあります。
唐沢 ファン同士の仲間意識が芽生えるのかもしれません。好きなアイドルのシンボルとして同じキャラクターを共有することで、先ほど述べたようなファン同士の連帯感を得られる効果が大きいのではと思います。
――その一方で、ぬいぐるみを連れているファンを、「いい歳して痛い」と嫌悪感を持って見ているファンもいます。同じアイドルを好きなのに、なぜそのような感情が生まれてしまうのでしょうか?
唐沢 多くの人にとってのアイドルである存在が、あたかもそのファン一人に独占されているかのように感じてしまうからではないでしょうか。 アイドルは、舞台上や画面の中にいる遠い存在で、“1対多”の関係。にもかかわらず、ぬいぐるみを持つファンが、アイドルのシンボルを抱きしめるなどして強いつながりを見せると、そのようなことをしていない人は、「アナタだけのアイドルじゃない」「抱きしめて独占しないでほしい」と感じて、心がザワザワするのかもしれません。
――アイドルを独占しようとしているファンのメンタリティを「痛い」と見る人もいるのかもしれません。
唐沢 嫌悪する人が、同じようにぬいぐるみを持たないのは、そういったファン同士の連帯感に入るのがイヤで、心理的に距離を置いているからとも考えられます。
■「ぬいぐるみが好き」はアイデンティティの1つ
――そもそも、なぜ大人になってもぬいぐるみを求めるのでしょうか?
唐沢 幼い子どもの場合は、ぬいぐるみが心を持っているかのように想像して語りかけるなど、友達の代わりとして扱ったり、感触で安心感を得たりすることも多いです。“愛着を持っている”という点では大人も子どもも同じです。愛着を抱く対象が何かは、そのときの環境や興味関心で変わっていき、年を重ねるにつれて、ぬいぐるみの代わりになるものを見つけて離れていく人もいれば、そのままずっとぬいぐるみを大切にする人もいるということなのではないでしょうか。
――大人になってもぬいぐるみが好きだからといって、心理的に問題があるわけではないのですね。
唐沢 ぬいぐるみは子どもが好むイメージが強いだけに、穿った見方をされがちですが、大人がぬいぐるみに愛着を持つことを、特異なことと考える必要はありません。先ほども申した通り、過度の依存でない限り、問題視されることではないと思います。対象が何であれ、その物に自分の気持ちを向けてある種の一体感を覚え、楽しい、うれしいという感情を伴うことは、自己確認できるとともに、「その物が好きな私」も好きになれるのです。それが自己肯定につながって、アイデンティティの確立や活力にもなります。人間は他者との関係で「自分は何者か」を定義するのですが、その対象は多様で、恋人の人もいれば、アイドルの人もいるし、ペットの人もいるし、一方で物やぬいぐるみであったりする人もいる。また一つに縛られる必要もないので、これらすべてという人もいるかもしれない……ということですね。
(取材・文=千葉こころ)
唐沢かおり(からさわ・かおり)
社会的認知を専門とする社会心理学者。University of California, Los Angeles(Ph.D)、京都大学大学院文学研究科博士後期課程、名古屋大学大学院環境学研究科助教授などを経て2010年より東京大学大学院人文社会系研究科教授。