――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

■『氷室冴子とその時代』(嵯峨景子、小鳥遊書房)

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■概要

少女小説の文脈で語られることが多かった故・氷室冴子を、コバルト文庫以外の小説やエッセイを含めた作家活動、プライベートにもスポットを当て再構築した評論。

当時の社会情勢や少女小説の盛衰とともに、知られざる氷室の仕事や功績を改めて見直す一冊。

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 氷室冴子は、1980年代~90年代前半に少女時代を過ごした女性にとって、なじみ深い作家の1人だ。代表作である『なんて素敵にジャパネスク』(集英社、以下『ジャパネスク』)はシリーズ累計発行部数800万部を超え、「学校中高生読書調査」では84~95年までランクインし続けた。実際、79年生まれの筆者にとっても『ジャパネスク』は、小学校高学年から中学生にかけてクラスで回し読みされていた人気シリーズで、主人公の瑠璃姫や高彬の活躍は、決して一部の漫画・小説好きのグループだけのものではなく、クラスの多くの女子にとって共通の話題だったと記憶している。

 80年代後半から湧き起こった少女小説ブームを牽引した一人であり、さらに、スタジオジブリによってアニメ化された『海がきこえる』(徳間書店)、『銀の海 金の大地』『クララ白書』(共に集英社)、など、数々のヒット作を生み出した氷室。『ジャパネスク』の大ヒットもあり、「コメディを得意とする少女小説家」というイメージも根強い。

しかし、『氷室冴子とその時代』は彼女の全仕事を徹底的に解読し、イメージをアップデートさせてくれる一冊だ。さらに氷室らをきっかけとして「少女小説」がブームになり、変容した経緯も明らかにしている。

 77年、大学在学中に作家デビューを果たした氷室は、結婚を強く望む母の元を離れて経済的に独立するために、コメディ路線に作風を変え、少女向けレーベル・コバルト文庫で出版した『クララ白書』『雑居時代』(集英社)などで大きく読者の支持を集める。そして、平安時代を舞台に、あえて現代的な口語を駆使したコメディ活劇『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで、その人気を確立することになる。本書によると、『ジャパネスク』シリーズは、2冊同時発売された際には初版で合わせて100万部近く発行されている。単純比較はできないが、2017年、村上春樹の『騎士団長殺し』(全2巻)の初版発行部数が2冊合わせて100万部だったことが出版界の大きなニュースになっていることを見ても、破格の部数であることがわかる。

 本書は、コメディ路線で人気を確立し始めた氷室が、当時死語となっていた「少女小説」という言葉を意識的に自身に冠し始めたことを指摘している。少女を作品の主題としていた小説家・吉屋信子を愛読していた氷室にとって、少女小説は思い入れの深い言葉だった。「女の子がなにものにも矯められずに生きられる世界を描くことで、私は無条件に自分の性の原型としての女の子を祝福したかった」とエッセイにつづったように、氷室の描く少女は主体的で、自身で考え行動することが魅力につながるキャラクターとして造形され、そこに当時の読者の大きな共感があった。

 しかし、氷室らコバルト文庫の人気作家たちが爆発的な売れ行きを見せたことで、少女小説は“金脈”として多方面から発見されてしまう。他社の参入もあり、次第に「少女小説」から氷室らの意思や文脈は剥ぎ取られ、実際は多様なジャンルを包括するものであったが、特に外野からは「少女の一人称モノローグ体」「共感できるヒロイン造形」「マンガチックな展開」といったマニュアル化されたジャンルとして捉えられることが多くなる。

 量産された「少女小説」ブームの波に「チョコレート売ってるんじゃないんだから」と違和感を唱えていた氷室も、良くも悪くもその波に巻き込まれていく。

時に評論家から「小説ではない」と軽んじられ、取材記者から「処女じゃないと書けないんでしょ」などと暴言を吐かれるなか、一度は自ら冠した「少女小説家」という肩書から、少しずつ距離を置くようになっていく経緯が、複数の資料をもとに解説される。

 その後の氷室は、少年を主人公とした小説や、一般向けのエッセイ・小説、家庭小説ジャンルのプロデュースなど、さまざまな仕事を手掛けている。ひたすら結婚を求める母との葛藤をつづった一般向けのエッセイや、アニメ化された『海がきこえる』で少女以外の読者層を獲得し、“自分の一番書きたいもの”と語った一切のコメディ要素が排された古代ファンタジー『銀の海 金の大地』を生み出す。「少女向けのコメディ作家」というポジションでは語りきれない、常に新たな表現を求めて作風や文体を変えた作家であったといえるが、休筆期間を経て新作発表直後にがんを告知され、08年51歳で早逝する。本書では新作が生まれなかった期間、氷室の死の前後も含め取材し、氷室の人柄がしのばれるエピソードも丹念に伝えている。

 氷室と同じ生年の漫画家・作家――柴門ふみ、高橋留美子、森博嗣らが、現在も一線で活躍していることを思えば、氷室氏の早逝は惜しまれるものだ。

本書では、『名探偵コナン』(小学館)シリーズ中のある連作が氷室作品へのオマージュになっていることをはじめ、ライトノベル『涼宮ハルヒ』シリーズ(KADOKAWA)や、小説家・柚木麻子の作品に登場する氷室作品、同じく作家の上遠野浩平、奈須きのこらが影響を受けた人として氷室を挙げたテキストを追うことで、彼女の作品やスタイルがどのように現代のエンタメ作品に引き継がれたか、丁寧に考察している。

 しかし、本書において90年代以降に生まれた世代と氷室の「断絶」が指摘されているように、同時期に同ジャンルで活躍した他の作家と比べて、現代で氷室作品がしっかり読み継がれているとは言い難い。熟練したストーリー展開、歴史ものにおいては綿密な時代考証に裏打ちされた設定の下で描かれた彼女の作品群は、現代の読者にも十分エンタテインメント作品として強度を持つものだ。さらに、氷室が初期から一貫して描き続ける、男性や大人に媚びず、環境や思想の違う友人と連携して、それぞれのスタイルで世界の困難に立ち向かっていく少女像は、既に成人した“元少女”をもまだまだ魅了し、勇気づけてくれる。同書と共に、氷室の作品群が改めて評価され、一人でも多くの人々の元に届くことを祈りたい。