日雇い労働者が集う街、大阪・西成。ここで約50年間にわたって労働者に仕事を紹介するばかりか、定住所を持たない者の憩いの場としても機能していた「あいりん労働福祉センター」が閉鎖されることになった。

「昼間から酒盛りや賭博に使われるのはもうたくさん」と怒る行政担当者と、「居場所から追い出すのか」とキレる労働者。攻防の一部始終を追った。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎)

西成のランドマーク
労働者の居場所に異変が

 平成の次の元号は何か。日本中が沸き立っていた3月31日、「日雇い労働者の街」として知られる大阪・西成「あいりん地区」は、普段にもまして殺気立った雰囲気に覆われていた。

「いつもは戦えなんて言わへん。でも、今日は戦わなあかん。みんな、行くとこなくなるんやで。雨露しのがれへんねんで。どうするんや。今日だけは戦わなあかんのや!」

 拡声器を通した声が響く。声の主は、地元・西成で炊き出しなどの活動で知られる労働運動家の稲垣浩氏(74)だ。この稲垣氏の声に合わせるように、太鼓、ごみ箱やバケツ、椅子を楽器に見立ててリズムよくたたく人たちがいる。

労働者たちは不安げな表情で、これをじっと見守っている。

 その様子を遠くからうかがっていた外国人を含む20代、30代と思しき人たちが、スマートフォンを取り出し、撮影している。だが、そのスマホが指す向きは、みな、ひとつの建物に集約されていた。一見すると、それはあまたの戦火に耐えてきた要塞にも廃虚にも見える、一度、見た者ならば決して忘れることのない独特の威容を放っている。

 この建物こそ、地元では「センター」の呼び名で通っている「あいりん労働福祉センター」である。大阪の新名所「あべのハルカス」の最寄り駅、JR天王寺駅から1駅、約3分もあれば着く場所にある。地上13階建て、地下1階のこの建物は、先の大阪万国博覧会が開催された1970年の竣工以来、49年間、日雇い労働者たちの求職の場であると同時に、憩いの場としての機能も果たしてきた。上部階には市営住宅や病院もある複合施設だ。

 西成の日雇い労働者たちを支えてきた「センター」が、耐震性に問題ありとの理由から、この日18時をもって閉鎖、その歴史に幕を閉じようとしていた。

閉鎖理由は「耐震性の問題」だが…
居場所を失うと憤る労働者たち

 このセンターの閉鎖は労働者たちの「居場所」を奪いかねない。14歳の頃から、ここを根城にしているという現在60代の労働者男性は言う。

「わいらにとって、ここは仕事取るだけの場所やないんや。

仲間とワイヤイやったり、飯食うたり、カネないときはここで寝たり…。ほんま家みたいなもんなんや!」

 その労働者たちのすみかとして機能しているセンターが「新センター」へと建て替えられることになった。オープンは2025年の予定。それまでは、今あるセンターから道ひとつ隔てた場所にある南海電鉄高架下に位置する仮移転先で業務が行われる。

 だが、この仮移転先はもちろん、オープン予定の新センターも、これまでのセンターと比べて手狭だ。日雇い労働者たちにとってセンターとは、前述したように、ただ仕事のあっせんを支援してくれる場所ではない。仕事にアブレた――つまり、仕事にありつけなかった日、労働者が雨露をしのげる場所は、このセンターだけだ。手狭な移転先では、労働者たちは安心して憩えない。行政は居場所のなくなった労働者たちにどこへ行けというのか。

 稲垣氏ら、地元・西成で労働者たちを支援する人たちが、センターの閉鎖を反対する理由がここにある。100人近くの労働者たちがこれに呼応する。

「近くに三角公園や四角公園もあるかもしれん。

せやけど、そこだけで炊き出しもできへんのやで。みんな居る場所がのうなるんやで。どこに行くんや、どないするんや!」

シェルター行きを選べば
生活保護を受けられるが…

 拡声器を通して声を張り上げる稲垣氏の声に労働者たちは黙ってうなずく。センター1階には、「寄せ場」と呼ばれる、だだっ広いスペースがある。抗議運動を繰り広げるため、支援者らがここにビニールシートを敷き、段ボールや毛布も敷かれた。支援者とともに労働者たちも座った。こうしてセンター廃止阻止の“拠点”が整った。

 その拠点の傍らでは、段ボール箱を崩し、マジックで大きな張り紙を作っている人がいた。そこにはこう書かれた。

「2年間医療センターは開けるのに、労働者のライフライン、アイリンセンターを閉じるな!」
「築80年の南海の高架下と、築49年のセンター、どちらが危ない?」

 この張り紙を記者が眺めていると、ひとりの労働者から、「マスコミの人か。あんたどう思う?」と話しかけられた。記者が返答に困っていると、彼はこう言う。

「なんで上の病院はそのまま開けてるのに、この『寄せ場』だけ閉めるねん。行政は耐震性の問題やというけれど、それは口実やで。あんこ(日雇い労働者を指す)たちを追い出したいだけなんや。また大阪万博もあるしの。そんな晴れの場や。あんこにはおってほしないんやろ」

 座り込みによるセンター閉鎖阻止の拠点が出来上がったこの日の16時半頃、支援者たちによる「お粥」の炊き出しがこの寄せ場で行われた。これを食した後、労働者たちが列をなして並んでいく。いったい何の列なのか。列に並ぶ労働者のひとりに聞いた。

「シェルターに今から行くんや。センターがのうなるのは寂しいけど、わいら、明日も仕事せなあかんし。一緒に座り込みたいけど、もう年やし、そんな体力もないさかいな」

 行政が用意した宿泊施設であるシェルターへと居並ぶ人たちを、地元住民はこう評する。

「あの人たち、シェルターなんか行ったら、もう働こうとは思わんやろう。その方が楽やもん。年も年や。そのまま保護受けて、落ち着くんやないか」

昼間から飲酒と賭博
「たまり場」への行政の言い分

 西成で日雇い労働している人たちは、何か「訳があって」ここに来ている人が多い。彼らが極端なまでに「保護」、つまり生活保護受給を嫌うのは、この訳ありの事情を根掘り葉掘り聞かれること、とりわけ離れて暮らしている家族に行政が連絡を取ること、ここに尽きる。

「急に行政やなんかから、わいの『家族やった人』に連絡がいったら、それこそ元の家族も困るやろうし、迷惑やと思う」

 だから西成の労働者たちは、行政の網にかかることを極端に嫌うのだ。

 ちなみに、外国人殺害で指名手配された市橋達也受刑者も逃亡中、ここで日雇い労働をしていたことが知られている。ほかにも、やくざ組織から逃れてきた者なども少なくない。日本で「過去を問われず生きていける」数少ない場所なのである。

 西成の労働者たちの間では、「保護を受けずに頑張っていること」が尊敬され、また労働者たちのプライドなのだという。そんな“頑張っている”労働者たちの居場所をなぜ行政はなくすのか。これについて大阪府関係者は、ややあきれた面持ちでこう応えた。

「その労働者の居場所で行われていたのは、昼間からの酒盛りと賭博でしょう?そんなものをこのまま放置しておくわけにはいきません」

 実際、このセンターを管理する公益財団法人西成労働福祉センターに尋ねるとこんな回答が寄せられた。

「新センターでも労働者の方のトイレや休憩する場所はあります。でも、それは労働者の方たちの『たまり場』ではございませんので…」

 今回の旧センターの閉鎖を契機に、労働者たちが日頃暮らす“環境”から整えていき、生活改善を目指したいという行政側の意図が、これらの回答から透けて見えてくる。

>>(下)に続く

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