9月半ばに久しぶりに香港を訪ねた。

 デフレ不況の日本とちがって、相変わらず景気はよさそうだった。

中国人の大金持ちが高級コンドミニアム(億ション)を買いまくっていて、不動産価格がものすごい勢いで上がっているのだ。日本の80年代バブルと同じで、香港の地価はマトモな経済理論で正当化できる水準をはるかに超えているのだが、「中国人は経済理論など知らないのだからまだまだ上がる」というひともいて、なんだかよくわからないことになっている。

 香港島のオフィス街には次々と超高層ビルが建ち、ショッピングモールには一流ブランド店がずらりと並んでいる。私が香港を頻繁に訪ねるようになったのは90年代の半ばからだが、当時はブランドショップで大金を払うのは日本の若い女性ばかりだった。いまや日本の若者は貯蓄志向の堅実派になり、その代わり中国本土から札束を膨らませた観光客がやってくる。

 それでも香港の街に、かつてのようなきらきらした感じがなくなったように思うのは、藤沢数希氏のを読んだからだろうか?

プライベートバンカーたちのその後

で藤沢氏は、世界金融危機の後、職場がどんどんしょぼくなっていく様子を活写している。

 かつては日本でも、外資系投資銀行のトレーダーは初年度から年収2000万円で、3年目には上場企業の社長の年収(平均3000万円)を超えたという。ところがいまではボーナスが分割払いになって、企業文化はすっかり様変わりしてしまった。「強欲なトレーダーたちが、巨額のボーナスを目当てに一発狙いのハイリスクなトレードをしたのが金融バブルの元凶だ」と犯人扱いされたからだ。

 ボーナスが分割払いになれば、当然、長く会社に在籍しないと資金回収できない。こうして外資系投資銀行でも「長期雇用」が当たり前になった。

 ボーナスは契約なので、業績が悪化しても、会社は過去に約束した分割ボーナスを払わなければならない。

在籍年数の長い社員に高額のボーナスを払おうとすると、新入社員の給与は低く抑えざるをえない。こうして外資系投資銀行は、日本の会社とまったく同じになってしまったのだという。

 私の場合、香港で知り合ったのはほとんどが顧客相手の営業マン(プライベートバンカー)だが、そのしょぼくれ方は藤沢氏の分析とまったく同じだ。

 海外のプライベートバンカーが日本市場に殺到したのは、90年代末のインターネットバブルから2005年のIPOバブルの頃だ(その後は株価と地価が高騰する中国市場に殺到することになる)。その頃、香港から営業に来るプライベートバンカーは、東京ならパークハイアット、大阪ならリッツカールトンに泊まっていた。

 それが世界金融危機の後は、プライベートバンクをリストラされ、地元の証券会社などに転職し、日本での出張は場末のビジネスホテルみたいなところになってしまった。それでも連絡をくれるので、上野あたりのあやしげな喫茶店まで話を聞きに行っていたのだが、そのうちに日本に来ることもなくなり、いつの間にか音信不通になった。これが、私の知っているプライベートバンカーの典型的なパターンだ。

プライベートバンクのビジネスとは?

 2005年の秋、香港人の知人の一人がクレディスイスに転職したので、中環(セントラル)の高層ビルにあるオフィスを訪ねたことがある。

 スイスの大手プライベートバンクであるクレディスイスは、2003年12月、山口組系のヤミ金グループ、五菱会の最高責任者の口座を凍結し、日本初の大型マネーロンダリング事件として大きな話題になった。担当者は香港支店の日本人行員で、組織犯罪処罰法違反の疑いで逮捕された(2007年9月に高裁で無罪確定)。

 知人の香港人プライベートバンカーは、五菱会事件の影響で日本への出張が面倒になったとしきりにこぼしていた。

 日本に行くときには、クレディスイスの関係者だとわかるものは一切携行することが許されず、パンフレットの類は事前に日本の知人宛に国際宅配便で送っておかなくてはならない。日本で顧客に渡す名刺を見せてもらったが、そこには名前と(日本での)携帯電話番号、hotmailのアドレスが印刷されているだけだった。

 これではまるで犯罪者みたいだが、2008年5月、プライベートバンク最大手UBSのアメリカ部門トップが米司法当局に拘束され、このときの印象が間違っていなかったことが明らかになる。

 報道によると、スイスのUBSには米国内の顧客を担当する70~80人のプライベートバンカーがおり、観光などを装って頻繁にアメリカに入国していた。出張にあたって書類の携行はいっさい許されず、暗号化されたパソコンを使い、顧客をコードネームで呼び、プリペイドの携帯電話で海外経由の通話をし、ホテルを頻繁に変え、当局に質問された際は黙秘権を行使して弁護士に連絡する規則になっていた。

 なぜUBSがこんな「スパイ集団」になってしまったかというと、彼らのビジネスが、アメリカの富裕層の脱税幇助だったからだ。その結果UBSは、約5000件の顧客情報を米司法当局に提出し、7億8000万ドルの罰金を支払うことになった。

 しかしこれは氷山の一角で、プライベートバンクは世界じゅうで同じようなことをやっていた。違法だとわかっていながらも、それ以外に業績を維持する方法がないから、やめられなくなってしまったのだ。

 その当時は香港でも、UBSとクレディスイス、HSBCに「ジャパンデスク」と呼ばれる日本人顧客専門の営業部門があって、日本人と日本語を話す香港人のプライベートバンカーがいた。そんな彼らが定期的に日本を訪れて新規顧客を開拓し、金融商品を販売していたのだ。

 ところで、プライベートバンクは日本の富裕層にどんな金融商品を販売していたのだろうか?

 日本語のパンフレットを見せながら彼が説明してくれたところによると、一番の売れ筋は、一定の範囲で元本が保証され、5~10%の金利がつき、日経平均が大きく上がるとボーナス金利がもらえるという仕組み債だった(逆に日経平均が大きく下落すると損失が生じる)。

それ以外にも、米ドルやオーストラリアドルに連動するものなど、さまざまな仕組み債を扱っていたが、「(外貨建て)元本確保」で「高金利」なのはどれも同じだった。

 こうした金融商品は会社が販売目標を決め、それがプライベートバンカーのノルマとなって、自分の顧客に営業・販売するのだという。プライベートバンカーというと格好よさそうだが、その実態は訪問販売で百科事典を売るのとたいして変わらない。

 それからちょうど3年後に、私は彼の話を思い出すことになる。

 クレディスイス香港が日本の富裕層に販売していたのは、元本保証のついた「安全な」金融商品だった。資金はグローバルな大手金融機関が責任をもって運用することになっていた。

 そのとき私はいくつかの金融商品を案内されたのだが、元本保証している金融機関はどれも同じだった。パンフレットには、「リーマン・ブラザーズ」と大きく印刷されていた。

香港の宴…

 香港の金融マンと知り合って、チャイナクラブやジャッキークラブ、マリーナクラブなど、一般人は出入りできないあちこちの“秘密クラブ”に連れて行ってもらった。そのなかでもいちばんの思い出は、世界じゅうからVIP顧客を集めたパーティに招待されたことだ。

 香港までの航空運賃とホテル代もすべて金融機関持ちで、アイランドシャングリラ・ホテルの大宴会場を貸し切り、司会は香港の芸能人で、ドラゴンダンスなどの出し物が次々と演じられる華やかなものだった。テーブルでいっしょになったのは、ニュージーランドで広大な農場を経営しているという華僑の夫婦と、カナダのバンクーバーを中心にスーパーマーケットチェーンを展開している華僑の一族だった。

 パーティの最後は楽団が入って、社交ダンスが始まった。80歳近いだろう華僑の大富豪は、奥さんをともなって、見事なステップでワルツを踊った。

 あの頃はみんな自信に溢れていて、金融ビジネスはきらきらと輝いていた。

 リーマンショックから4年たち、すべては幻のように消えてしまった。

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