昔から日本人が夏に飲むものといえば麦茶。私も子供の頃、母が大きなやかんいっぱいに麦茶を作っていて、ガブガブ飲んでいたものだった。
そんな麦茶だが、昔は麦茶ではなく麦湯(むぎゆ)と呼ばれていたことを ご存じだろうか。
「麦湯」と聞くと、なんだか小麦粉をお湯で溶いたような、どろっとした液状のものを想像してしまうのだが……。そもそも茶葉じゃないから麦茶と呼ぶ方がおかしいのかもしれない。
そこで、全国麦茶工業協同組合(略称:全麦茶)の専務理事である下市さんにお話を伺ってみた。
「原料となる大麦は、今からおよそ1万3千年前に、イラン、イラク、チグリス・ユーフラテス、インダス川流域の古代文明発祥地で、栽培されていました。日本には、縄文期の末期、今から2500年ほど前に、栽培植物として伝播し、広く全国にひろがったと考えられています」
麦茶を飲むようになったのはいつ頃なのか?
「緑茶の普及するはるか以前、戦国の武将たちも好んで愛飲していたと伝えられています。麦を炒って飲料にした麦茶は日本古来の飲み物です。江戸時代末期になると、麦茶は、町人衆の気軽な飲み物、お茶がわりとして商品化され今でいう喫茶店のような「麦湯店」なるものが出て、大いに繁盛したようです。浮世絵にも描かれています」
当時も夏の風物詩であったそうだが、もちろん今と違って熱い麦茶を飲んでいたそう。