私の住む湘南地域には、あの津波の映像に特別な感情を抱いた人々がいます。海をフィールドとし、波と戯れて遊ぶことをライフワークとするサーファー、ウィンドサーファーのみなさんです。都心からも多くのサーファーが訪れて賑わう湘南では、地震後、海から人が消え、サーフショップや飲食店からもすっかり活気が失われてしまいました。
その大きな要因は、サーファーのみなさんの「自粛」です。余震が続くことへの不安と危機感、ガソリンや電気といったエネルギーを使うことへの懸念。そして何より、彼らが愛する海、そして波によって多くの命が奪われてしまったことへの哀悼の気持ちを表す行動として、自粛を呼びかける動きが、地震直後からサーフィン業界全体に広がりました。
その気持ちは、一度でもマリンスポーツに触れたことのある方なら理解できるでしょう。自粛の精神はもちろん尊重すべきものですし、すばらしい行動だと思います。しかし一方で、周辺のサーフショップや飲食店にとっては、死活問題となっています。彼らの経営は毎週末、都心などから足繁く通ってくる熱心なサーファーたちによって支えられています。この2週間、客足がぱったりと途絶えた海辺のサーフショップは、すっかり静まり返ってしまっているのです。
そんな現状を鑑み、震災後10日を過ぎた頃から、海をフィールドに活動するプロサーファーやサーフィン業界の中で、「自粛解禁」を宣言する動きが見られるようになってきました。サーフィン業界全体が沈んでしまうことは、決して被災地のサーファーの望むことではありません。「自分たちが元気にサーフィンをする姿を見せることで、被災地にも勇気を与えよう」と呼びかける声。この決断に至るまでには、海を愛するサーファーのみなさんの大きな心の葛藤がありました。
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サーファーの行動の大きな情報源となっているのが、インターネット経由で得られる波情報です。そのひとつ「波伝説」を運営する株式会社サーフレジェンドでは、震災後から慌ただしい日々が続いていました。
3月11日(金)地震当日、湘南でも大きな揺れを感じました。直後に全国各地で大津波警報などが発表されたことを受け、「波伝説」ではすぐに全国の波情報の配信を停止。全国のサーファーに対し、「直ちに高台に避難し、海には絶対近づかない」ように伝えました。さらに、海へ波の状況をチェックに出かけているレポーターに業務停止を指示し、東北地方の提携店へ安否の確認をするなど、その日は一日、各方面への対応に追われました。
翌日の12日(土)には、警報が解除されない現状を考慮し、波情報関連業者全体で1週間の波情報の一時停止を決定。サイトでもその旨を告知しました。
「波伝説」を担当する小川さんによると、波情報の停止により、全国のサーファーが海に行くのを止めたそうです。安全面から考えるとベストな対策だったのですが、一方でサーフショップや飲食店からも人が消えてしまいました。波情報の配信停止は、良くも悪くも、サーフィン業界全体に大きな影響を与えていたのです。
その後、再開を望む店舗オーナーの声や、地元のサーファーたちの声も考慮しながら再開が検討され、20日(日)に西日本方面の波情報を再開。さらに、23日(水)には、被災地を除くすべての場所での再開を決めました。再開においては、「自己責任」のもと海に入るよう求め、車の乗り合いや回数を減らすことなどによるエネルギーの消費削減も働きかけました。これが、事実上のサーフィン自粛解禁の通達となったのです。
再開の決断のきっかけになったのは、被災地のサーファーたちのこんな声でした。
「みんなが海に入って元気な姿をみせてほしい。それが自分たちにとっても復興のチカラになる」
サーフィン業界全体の縮小は彼らにとっても望むものではありません。被災地はもちろんまだサーフィンどころではない状態ですが、「サーフィンができる状況にある人はどんどん海に入って、サーフィン業界を、日本を盛り上げてほしい」。
一方、プロサーファーの間でも自粛解禁の呼びかけが行われています。湘南を拠点に活動するプロサーファーの有本圭さんは、震災後、ご自身の主催するサイトSWPのブログに「サーフィン自粛」を伝えるコメントを掲載しました。また、震災の翌日のブログには、大津波警報が出ているにもかかわらず、千葉や湘南にサーファーの姿があったことを記し「サーファーとして以前に、人として許される行為ではない。」と、強くモラルを呼びかけました。有本さん自身も、もちろん海での活動を自粛。被災地復興のための義援金の呼びかけや、サーファーとして今できることを、ブログで発信し続けました。
しかし有本さんは、周囲のサーファーの声、安全性など、様々な観点から考え抜いた末、21日(日)にブログで「自粛解禁」を宣言。波情報再開より少し早いタイミングで、解禁の意志を示したのです。
「いい波乗って、すっきりして、前向きにいこう。
こんな時だからこそ。俺達はサーファー。
何があったって海を愛する気持ちは変わらない。
これからも海をリスペクトして、海と共に生きてゆきたいと思うのです。」
(有本圭さんのブログより)
プロサーファーの勇気ある決断。このブログには、多くのサーファーから反響の声が届き、有本さんと同様、海に入る宣言をする人も少なくなかったそうです。
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3月26日(土)、震災から2週間経った湘南の海に足を運んでみました。風に冷たさは残るものの、春の訪れを感じる穏やかな空気に包まれた海には、少しずつではありますが、サーファーが戻り始めていました。キラキラ輝く海に勢い良く飛び込むサーファーの姿に、私自身もホッとし、いつもの海が早く戻ってほしいと心から思いました。
もちろん、まだサーファーのみなさんの葛藤が終わったわけではありません。日本サーフィン連盟(NSA)のホームページには26日(土)現在もなお、「哀悼の意と余震等による2次災害防止の為」として未だ自粛を呼びかけるコメントが掲載されています。また、一部サーファーの間では、自粛に関する考え方の違いによるトラブルも起きていると言います。
自粛解禁を宣言した彼らも、もちろん、これまでと同じようにサーフィンを楽しんでいるわけではありません。波伝説の波チェックスタッフは、ガソリン節約のため、これまでの車や原付での波チェックを自転車に一部変更し、日々情報配信を続けています。有本さんも、海に入る前には黙祷をささげ、万が一の時すぐにでも逃げられるように、沖に出るのは控えていると言います。余震の危険性もありますし、この新しい海との向き合い方は今後も長期にわたり、続いていくことでしょう。
「自粛」という言葉の重みは計り知れないものがあります。自粛している人から見れば、それ以外の人は「不謹慎」という言葉で非難の対象に変わってしまうこともある、強い言葉です。でも、いつまでも自粛し続けることは、誰も望んでいないし、誰の幸せにもつながりません。多くのスポーツ愛好家がそうであるように、サーフィンがサーファーのみなさんのエネルギー源です。自分がパワーをもらうことができる活動を控えて生きることが、本当に被災地のためになるのか、といえばもちろんそうではないのです。
テレビCMやバラエティ番組も、内容に配慮しながら放送を再開しました。映画館や遊園地などの施設も、節電をしながら通常営業を始めています。エンターテインメントを生業とする多くの業界で今、自粛と解禁の間で揺れ、決断を迫られていることでしょう。その決断はとても苦しく、勇気のいるものです。批判も浴びるに違いありません。でも、現状に配慮しつつ、エンターテインメントと新しい姿勢で向き合おうとする、その決断こそが、日本の復興を支えていくチカラになるはずです。そう信じて、一歩前に歩み出した人々を、心から応援したいと思います。
(池田美砂子)