本書は、2010年12月1日から31日までの1ヶ月間、スポーツニッポン紙上に「我が道」と題して連載されていたエッセイをまとめたものだ。連載当時とほぼ同じ体裁で、毎回の主題となる写真1点とエッセイ本文がセットになり、全31回が日付の順番通りに収録されている。
表紙が山口百恵だったこともあって、最初にこの本を書店で見つけたとき、まず「篠山紀信について語るということは、昭和という時代を語ることだ」ってなコピーが頭に浮かんだ。この切り口でレビューが書けるなあ、と。
ところが、序文に相当する第1回で、篠山紀信は次のように書いている。
「『我が道』といわれても生い立ちや苦労話、ましてや家族や体の具合の話など全く書く気になりません。なにせ僕、現役の写真家ですから。毎日、時代や社会の面白いヒト、コト、モノとかかわって丁々発止、仕事してるわけですよ」
そうなのだ。篠山紀信はいつでも現役。現在進行形の写真家だったのだ。しかも、固定化した自分のスタイルというものをもたず、常に新しい素材、新しい技法にチャレンジし続けている、革新的な写真家なのだ。
1991年に女優・樋口可南子の写真集で陰毛を隠さなかったことにより、日本に事実上のヘアヌード解禁をもたらした。また、同年には当時のトップアイドルだった宮沢りえを丸裸にした「サンタ・フェ」で、日本中を仰天させた。篠山紀信でもっとも有名な写真といえば、このときの「穴の開いた扉の向こうに立つ全裸の宮沢りえ」と思う人も多いだろうが……ちがうよ! ジョンレノン「ダブルファンタジー」のジャケ写を忘れちゃいけない!
おもしろそうな素材なら、新旧問わずなんでも撮る。AKB48をガンガン撮っているかと思えば、宝塚のスターを撮り、歌舞伎役者を撮り、男のヌードも撮る。
三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決する数日前まで、死をテーマにした連作写真を撮っていたのも篠山紀信だ。本書にも、第5回で身体中に矢を射られた半裸の三島の写真が掲載されている。
デジタルカメラを使いはじめたのも、プロの中では早かった方だろう。2001年にデジカメを手にした篠山紀信がまずはじめたのは、写真ではなく、MPEG動画を撮ることだった。写真家がムービーを撮るなんて、普通なら拒否反応をもちそうなものだが、篠山紀信はデジカメでの動画撮影を「動く“写真”だ!」ととらえ、インターネット上に専用のサイトを構築していった。その際には自分の名前すらも「デジキシン」と変えていた。
篠山紀信といったら写真界では大物すぎるほどの大物なのに、本人自身にはその驕りが少しもない。若い才能があらわれても、積極的に評価し、受け入れる。
大きく手をのばしてVサインする梅佳代の背後からそっと顔を出し、いたずらっぽい笑顔で小さくVサインをする篠山紀信。その姿はまさに梅佳代が得意とする被写体「小学生男子」そのものじゃないか!
かつて、赤塚不二夫が描いたキャラクターに「カメラ小僧」というのがあった。首から提げたカメラと鼻水を回転の遠心力で伸びちらかしながら出現し、決定的瞬間を激写して去っていく意味不明な存在だ。これは篠山紀信がモデルだったとされている。赤塚先生は惜しくも鬼籍に入られてしまったが、カメラ小僧はまだまだ元気に回り続けているのだ。
写真の未来について、篠山紀信はエッセイの最終回でこのように答えている。
「写真の未来? 明るいに決まってる。皆で笑おうワッハッハ」
こりゃ、そこらの新人じゃ適うわけがないよねえ。
(とみさわ昭仁)