はやく一人前になりてえなあ。
いっぱしの顔をして文章を綴ってはいるものの、ライターなんて稼業は資格試験があるわけでもなし、「なんとなく」なる商売なのだ。
というか、世の中の職業はだいたいそうか。「はい、ここから一人前」なんて通過儀礼はないわけである。だから無理をしていっぱしの顔をして世の中を渡っているのだが、肚の中ではいつも、
「おまえなんてまだまだ顔じゃないよ」
なんて誰かに言われないかとビクビクしているのですね。今でもしている。これは仕方ない。
だから、これはどっからどう見ても一人前だ、職人の鑑だあ、なんて人を見ると一気に憧れの念を抱いてしまうのである。すげえなあ、こういう風になりたいなあ、と思うわけだ。憧れちゃいます。
そこで、三浦しをん『ふむふむ おしえて、お仕事!』だ。これは、自分にちょっと自信がない、いつもよるべない気持ちを抱えながら生きている、という人にぜひ読んでもらいたいインタビュー集なのである。

新潮社の雑誌「yomyom」(ふむふむと韻を踏んでいる)連載をまとめたもので、三浦が15の稼業に就いている、16人の職業人に仕事のことを聞いている。どんな職種があがっているか、目次の順にざっと書いておこう。
以下のとおり。
靴職人、ビール職人、染織家、活版技師、女流義太夫三味線、漫画アシスタント、フラワーデザイナー、コーディネイター、動物園飼育係、大学研究員、フィギュア企画開発、現場監督、ウエイトリフティング選手、お土産屋、編集者。

おおとりに編集者が来るあたりはいかにも作家のインタビュー集なのだが(しかもT書店の名物編集者Kさんだ)、その中に漫画アシスタント、フィギュア企画開発といった趣味の選択を交えているのが漫画読みを自認する三浦らしいところである。しかし、それ以外はバラエティに富んでいる。ちなみに登場するのはすべて女性。三浦が自分との対比を意識して対象を選んだからだ。
人々の職業について聞いてまわったインタビュー集には『仕事!』という古典的な名著がある。同書の著者であるスタッズ・ターケルがひたすら聞き手に徹して対象にしゃべらせていたのに対し、三浦は自身との違いをかなり意識しながら問いを発しているように見える。「自分と比べてこの人はどうなんだろう」という問いが、常に三浦の中に存在したのだと思うのだ。
15のインタビューのどの回も三浦はふむふむと感心しっぱなしである。それぞれの職業の細かいディテールが拾われているので、読者も一緒にうなずきたくなるはずだ。
私がおもしろいなと感じた箇所をいくつか引用してみる。
ちょっとふむふむしてください。

「活版技師 大石静香」
大石 職人の世界では、花形はなんといっても植字です。文選箱に拾われた活字は、植字工さんたちによって版に組まれます。(中略)句読点のぶらさがり(行末のテン、マル)の処理とか、再校で文章が変更されたときのために、わざと「捨て」という余白を作っておくとか。欧文だと、字間の調整とか、職人技的技術が一番必要とされるんです。
三浦 ええっ。「ここは著者が文章に校正を入れるだろうな」ということまで見越して作業するんですか。それはすごい……。

「フラワーデザイナー 田中真紀代」
大石 切り花というのは、一度切ってしまったら、また練習に使おうと思ってもうまくいかないんですね。(中略)私は割り箸で練習していました。割り箸を二本つなげて、長くしたものをカットして挿す練習です。たとえば放射状に丸く挿すレッスンがあるとしたら、割り箸を切って、きれいに何秒で挿せるか、みたいな。
バランスや、何センチに切るかという感覚を養えます。

「大学研究員 中谷友紀」
中谷 実験器具なんて手作りが多いですよ。
三浦 まあ、「ホヤの細胞をぐいぐいはじく!」なんて謳い文句の商品があったら、そっちのほうが驚きという気もしますが……。(中略)
中谷 私は主人とアメリカ留学中に知り合ったんですが、彼はセンチュウの研究をやっていました。センチュウの卵をいじるのには、まつ毛を使うといいんです。特に、長くてクルッとしている、外人のまつ毛。彼はいいまつ毛が欲しくなったら、狙いをつけた友だちに、「ちょっとおまえのまつ毛、一本くれ」と言って、もらってたそうです。

ね、確かにこれはふむふむだ。「漫画アシスタント 萩原優子」の回では、三浦は会津の民芸品・赤べこになったかのようにふむふむ首を振り続けている。

萩原 よく見ると、トーンって点の集合体になっているんですが、点をまるまる一個削ると、間が抜けてしまってだめなんです。点の一部だけを削るようにして……。
三浦 おお!
【ト書き】トーンによーく目を凝らすと……、ホントだ! 一個の点の一部分だけ、正確に削られている(点の直径は〇.二ミリとかの世界だ)! こんなことが人間にできるのか。

三浦 米粒に経を書くようなものですよ、これ。
萩原 あ、それは本当にできるんじゃないかと(笑)。だれかやってみなよって、アシスタント仲間とたまに言ってますよ。
こんな感じ。このくだりでは、三浦の瞳に星が輝いていたに違いない。

各人の言動から扱っている品や仕事それ自体についての尊敬の念を読み取ることができ、たいへんに心地よい。なんであれ、対象に真摯に打ちこんでいる人の姿は美しいものだ。『13歳のハローワーク』の次はこれだな。自分は将来何をしたらいいのか、果たして天職はあるのか、なんて考え始めた年頃の子供がいたら、すっとこの本を渡してあげるといいだろう。
三浦には義太夫の世界を描いた『仏果を得ず』、しろうとが林業に挑戦する『神去なあなあ日常』などの「仕事」を描いた小説がいくつかある。いや、三浦に限らず「仕事」を通じて人がどのように成長していくかを主題に据えた小説の書き手は、現在非常に多いのである。「仕事」について考えることが、世の中に向き合うときの外せない方法論として確立されているといってもいいだろう。
こんなにみんなが、人の「仕事」を気にしている時代というのは、日本が近代化された明治以降始めてのことなのではないだろうか。はやく一人前になりてえなあ、といつも考えている私はそれらの小説をふむふむ読む。そうだね、仕事、大切だからね。(杉江松恋)
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