中世にあったような「ナントカの変」だとか「ナントカの合戦」なんていうのが起こらない戦後の日本では、人々の不満や憎悪、あるいは社会の軋みなどが犯罪という出力方式に集中しやすい。犯罪が世相を映し、社会の問題をあぶり出し、それと戦うことによって国の統治能力や警察の捜査能力、国民のあらゆる意識が訓練される。犯罪は罰せられる悪であり、その犠牲はとても悲しいものではあるが、戦後日本の急速な社会発展は、犯罪が影響した側面も多いにあると思う。ゆっくり発展していく社会では比較的問題は予見しやすいし対策も事前に打てるけど、急成長していた日本では事件が起こって初めて社会病理が明らかになることが多かった、ということだ。
たとえば三億円事件は、単に白バイを使って「警察に化ける」という大胆な手法が通用してしまっただけの高額強奪事件ではない。犯人が逮捕されなかった背景には、犯人が警察組織に近い人間であった場合の捜査の鈍化があったのではないか、というような説もある。また、当時事件が起こった多摩地区で、三億円事件犯人を探すという名目で大規模な「活動家狩り」が行われたことも有名だ。
宮崎勤が繰り返した幼女誘拐・殺人事件も、「ビデオ収集が趣味のオタクが同年代の女性とまともな交流を持てずに幼女へ思念が向いた」というような単純な話ではない。いびつに急成長する社会で、狭い田舎社会での古い慣習に縛られたまま近代的な大学や企業へ入っていく犯人の世代に、色々なストレスが与えられていた。また、犯人は自分の殻にこもる性格がある一方で、雑誌の文通欄で知り合った録画ビデオ交換仲間がいたり、今のインターネット社会に通じるような「気に入った人間とだけ付き合う」という生活スタイルがあった。そういう人間が理解を得にくかった当時の社会で、彼らがどういう扱いを受けて来たのか、そのような部分も読んで考えてみる価値があるだろう。