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合理的に達成可能な範囲で対応すること


──結局のところ、ぼくらは放射能汚染で死ぬんでしょうか?
鹿野 そりゃ、人間いつかは死ぬけどね(笑)。オレはまったく気にしてません。
放射能というか、セシウム牛が食卓に出ても、黒毛和牛うめ~って普通に食べますよ。
──えーっ。鹿野さんはハッキリ言う人だから、答えもある程度は予想してましたが、それにしてもずいぶんズバリと。
鹿野 さっきも言ったように、オレは頭おかしいから(笑)。ただ、それを誰にでも押しつけるつもりはなくて、たとえば、小さい子供を持つ親御さんの心理としては、不安になるのは当たり前だよね。とくに、東京とかのお母さんは家庭内で孤立しがちだと思う。
一生懸命にニュースを追って怖い情報ばかり見つけて、子供に「砂場で遊んじゃいけません」とか言うわけじゃない。でも、子供は親離れしかけてるから、言うこと聞きゃあしない。それで、お父さんに相談すると「えー大丈夫だろう?」とか言われちゃう。すると、お母さん超さびしいわけね。
──超さびしいですねえ。
鹿野 そうするとさ、グレちゃうのね。
で、自分の気持ちをわかってくれる「放射能ちょう恐いよね」って言いまくってる人たちの情報に吸い寄せられていく。それが話をこじれさせる原因のひとつだと思うんだよ。あとね、子供への影響についても、オレはそんなに怖いことが起きるとは思ってないんだよね。
──そうなんですか?
鹿野 うん。少しややこしいかもしれないけど、個人のレベルで怖がるべき怖さと、社会が公衆衛生としてリスクをどう考えるかってことは、まったく別のことなんだよね。これは世間的にはあまり理解されてないかんじだけど、きちんと自覚的に区別しないと混乱しちゃうと思う。

──ははぁ。
鹿野 放射線被曝の研究では、広島長崎の被爆者全員を対象にした生涯の寿命調査がいまも続けられていて、それが世界でもっとも真実に迫ることができるデータなんだよね。でも、そのデータを使っても、100ミリシーベルト以下の被曝では、普通の人と発ガン率の区別はつかなくなっちゃう。で、この領域のデータに、大人と子どもの区別もないし。こんだけ低線量になると、被曝がもとでガンになる人が仮にいたとしても、あまりに少なくて見つけられないんだよね。それで、いま日本で100ミリシーベルトを浴びてる人なんて(福島の現場作業員を除いては)存在しない。
1年間その場所に住み続けると、累積で20ミリシーベルトを越える地域は避難対象になってるけど、立ち退かされている人たちでさえその程度で、都内にいるオレたちなんかまったく問題ないレベル。
──そうなんですか。
鹿野 個人のレベルでガンになるかならないかってことなら、100ミリどころか20ミリどころかもっと少ない量しか被曝してないオレたち東京とかの人間が、恐いと感じる理由はないと思うんだよね。まあ、恐いって思うのに、もともと理由なんてないんだけど。ただ、あんまり恐い恐いと思ってそればっかぐるぐる考えてると、それによる害が大きくなるからねえ。ちょっと古くさい言い方だけど、そこは「勇気」をもって怖がるのをやめた方がいい、ぐるぐるは断ち切った方がいいとは思うんだ。
ただ、これは自分自身の心の問題だから、「お前は勇気がない」とか言って他者の批判に使っちゃダメだけどね。
──そうですね。
鹿野 そして、そういうのと公衆衛生上のリスクをどう考えるかはまた別の話なんだよね。公衆衛生上のリスクってのは、ぶっちゃけて言うと、その対策にいくらお金をかけられるかという算盤勘定と関係してるものだから。
──と、いうと?
鹿野 データでは、100ミリシーベルト以下では、普通の人との違いはわからなくなる。でも、安全基準はもっと少ない被曝でも、その少なさに比例して、わずかにガンが発生すると仮定して作ってある。
つまり、ガンになるという科学的な証拠はないんだけど、用心のためにそうしてるのね。なぜなら、そこが公衆衛生上のリスク評価だから。ある確率でガンの人が出るとして、その医療費総額はいくらになるかとか見積もることができる。それと比べて、放射性物質の除染とかの対策や健康診断にいくらお金をかけると、ガンで死ぬ人の数はここまで減らせるからトータルのお金はこの程度になるというような評価ができるわけ。
──なんか人の命をお金に換算するのには違和感があります。
鹿野 そうだよね。ただ、対策にかけられるお金には限りがあって、それは結局オレたちが払う税金から出すしかない。冷酷なように感じるかもしれないけど、こういう算盤勘定をしてお金をうまく配分しないと、助けられる人の数が減ってしまう。それは倫理的におかしいって思うのはわかるけど、オレたちができることは有限だからね。
──少し暗い気持ちになりました……。
鹿野 ただ、いま暫定的に決まっている基準値のままずっと行くわけでもないんだよ。いまのは事故後の初年度の話で、これからできる限りの範囲で除染をしたりして、もっと下げていく努力はされるはず。ALARA(As Low As Reasonable Achievavle)の原則っていうんだけど、「合理的に達成可能な範囲で」できるだけ低くするって考え方で国はやっているみたいだから。これが実は、みんなの民主主義的な考え方が問われるところだと思うんだよね。
──民主主義的な、考え方?
鹿野 ひとつたとえ話をすると……子供たちの絶対通らなくちゃいけない通学路のトンネルにお化けが出るって噂が立ったとする。で、保護者から「お化けが出るのは不安なので、トンネルを封鎖して別のトンネルを掘ってほしい」という要望が出てきた。こういうときどうしたらいいだろうか。
──困りますね。お化けなんていないのに。
鹿野 え、お化けっていないの~(笑)。まあ、たぶんいないよね。それに、新しいトンネルを掘るのは莫大な費用もかかるから、それをやるとしたら税金の多くを工事に回さざるを得なくて、それによって子供たちの教育設備にかけられる費用まで大幅に減らさないといけなくなるかもしれない。安心が得られるかわりに教育機会は劣化する。ただ、そういう噂が立つということは、そのトンネルの見通しが悪かったりして事故が起きやすいとか、何か問題はあるのかもしれない。だとすると、念のためにトンネル内のライトを増やすとか、安全性を高める対策くらいはしていいかも……ってなことになると思う。つまり、お化けは現実には存在しないにしても、用心のために対策はしていこう。ただし、その費用は限られたみんなの税金から出すわけだから、できる範囲の金額でとか、すぐにはできなくても時間をかけてやるとか、工夫しなきゃいけない。これが「合理的に達成可能な範囲で」ってことで、ようするに不安に対して、オレたちは自分の税金をどれくらいまで使ったらいいかを、みんなで決めなくちゃいけないってことなわけね。



福島原発は粛々と行程目標を達成している


──でも、色々な基準がはじめの話と変わって引き上げられたりすると、やっぱり「ムキーッ!」ってなりますよね。
鹿野 うーん。別に基準が引き上げられたって事実はないんだけどね。まあ、そう誤解させるような情報が巷にあふれているってのはあると思うけど。日本が定めた基準って、ICRP(国際放射線防護委員会)がこういう事故が起きちゃったあとの緊急時の基準より、だいぶ厳しくしてるんだよね。たとえば、立ち退きに関してはICRPの勧告では、事故初年度にそこに1年間住んで累積で100ミリシーベルトを越える場所や、生涯住み続けると累積で1000ミリシーベルトを越える場所は移住をすすめてるけど、日本はさっき言ったように、初年度1年間累積で20ミリシーベルトに達するおそれのあるところを緊急避難区域に設定してるよね。
──生涯1000ミリというのはどれくらいの汚染レベルなんですか。
鹿野 生涯で1000ミリの場所ってのは、大人なら50年、子供なら70年ほど住み続けたらそれくらいになるってことなんだけど、1000を50で割っても20ミリシーベルトでしょ。実際は、セシウムで考えると半減期が2年と30年のが半々だから、ざっくり2年で4分の3にはなるし、30年経つと4分の1にはなるはず。だから、初年度だと50ミリシーベルトとか以上の場所になるのかなあ。すごい勘で言ってるから多少ちがうかもしれないけど、何倍とかはちがわないはず。そういう場所にいまは人は住んでいないけど、この先20~30キロ圏内に住人が帰っていくときに、汚染が酷くて戻ることができない場所ってのは当然出てくると思う。
──それは悲劇ですね。
鹿野 うん。まあでも、そういう場所も地元の住人の意向を第一に汲みながら、できるだけ除染して住めるようにしたり、20年くらいしか住まないとか、短期滞在ならOKな場所をきめたり、チェルノブイリの赤い森みたいに野生動物のサンクチュアリにするしかない場所とか、ケース・バイ・ケースできめ細かくやっていくしかないと思う。
──食品とかはどうなんでしょう。セシウム牛とか……。
鹿野 まあ、あれも、基準を越えたのが市場に出まわっちゃったってのは、制度の問題としてダメだったよね。決めたことは守らなきゃ。だけど、危険か危険じゃないかというと、まったく危険じゃないの。
──ずいぶんはっきり言いますね(笑)。
鹿野 だってそうなんだもん。食品の基準も事故が起きた初年度について、食品や水すべてがその基準値ギリギリまで汚染されているものを毎日食べ続けて1年間経ったときに、全部あわせて累積で5ミリシーベルトにならないように決めている。まあ、現実には基準値を超えた食品はごくごくごくごくごく希にしか出回ってないし、さっきも言ったように100ミリ以下には害がある科学的な証拠もないわけだからね。
──ようするに、安全基準というのはそれほど厳しく設けられている。
鹿野 そう。そういう意味で、間違って出回っちゃったものをそれなりに食べちゃっても、どうってことないレベルで基準は決められているの。ただ、「流通させてはいけないよ」と決めたものを出回らせてしまったことは、反省して二度と繰り返さないようにしてもらわないといけないけど。安全か危険かとは別次元で、決めたことは守らないと。
(とみさわ昭仁)

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