いや何か違う。楽しいゾンビは好きなんだけど、ちょっと物足りない。『ゾンビ映画大マガジン』の巻頭座談会にもあったけど、ゾンビはキャラクターになってしまった。キャラクターって「この人ならこうしそう」というお約束の集まりだから、期待を外すことは許されない。どうせ本気で噛み付いたりしないんでしょ? 平気平気! それが距離を置いているみたいで寂しい。でも1970年代〜80年代、モノクロから色が付き始めた頃の映画のゾンビは違ってた。青白い顔をした病人のように見えて銃で撃っても歩みを止めず、近くに寄ったら迷わず噛み付く。距離を置くことなんて許さない本気のモンスターだった。
主人公のリック・グライムズは田舎町の保安官。仕事中に銃で撃たれて昏睡状態になったが、病院で目覚めるとたった一人で放置されていた。院内を探しまわると医者や看護婦の代わりに歩いているのは腐乱死体。何とか逃げきって自宅に戻ったが妻子の姿は無く、最寄りの大都市アトランタに避難していると信じるリック。しかしそこは歩く死者の大群に埋め尽くされていた……。
『ウォーキング・デッド』のゾンビは本気でヤバい。見た目からしてハエの羽音が聞こえてくるほどグズグズで、実際に蛆虫も湧いている。話も全然通じないし、肉親だろうがためらいなく襲いかかって一口で食い破り、主人公のリックが昏睡している間に文明を終わらせる。萌える隙なんか与えずに家や社会や安心を奪って、人間を本気にならなきゃいけない状況に追い込んでくる。
たとえば生活の基本である衣食住からして、文明が終わったら一から考える必要がある。スーパーやデパートだけでなくテレビ局やラジオ局、病院や警察まで機能停止してるから、食べ物は運ばれてこないし、決まった場所に医者は居ない。
生存者達がグループを作る過程でリーダーになったリックは、次々とふりかかる正解の無い問いかけに一人で取り組んでいく。そうだ、物足りなかったのはこれだ。ゾンビは問いかけるモンスターだった。世界が終わったらどうするか? 親しい人がゾンビになったらどうするか? 答えを出していくうちに、リックは自分でも知らなかった本性を見つけてどんどん変わっていく。
『ウォーキング・デッド』のようなゾンビと人間のガチの長期戦は、これまでのゾンビ映画ではみられなかった。上映時間には限りがあるから、ゾンビに囲まれて何とか生還したところでタイムオーバーになる。だけど、まえがきに「すべてのゾンビ映画の最悪の点はエンディングにある。」と書いた作者のロバート・カークマンは、”終わらないゾンビ映画”として『ウォーキング・デッド』を作って、その後にある生活までたっぷりと見せてくれた。
アメリカではペーパーバック版で14巻まで刊行されて現在もまだ続いているが、今回日本で発売されたものは既刊の4分の1にあたる1〜3巻だけだ。だから「ここでかよ!」というクライマックスで終わってしまう。しかも続刊未定なので今回のが売れないと続きが読めないらしい。だからぜひ買ってください。よろしくおねがいします!(tk_zombie)