独裁者って何なんでしょうね。

人間の歴史は独裁者の歴史です。
スターリン、ヒトラー、毛沢東......。特に20世紀は世界的独裁者のオンパレード。もっとも、彼らが前近代の独裁者と異なるのは、ちゃんとした教育を受けた、インテリだってこと。でも、どんな人生を歩み、思想や価値観をといった教養を積めば、独裁者になれるんでしょうね。

そんな、みんながあえて避けて通っていた難問に、直球勝負で挑んだのが、本書『独裁者の教養』(星海社新書)です。本書にはスターリン、ヒトラー、毛沢東、ポル・ポト、ニヤゾフ、リュー・クアンユー、フセイン、カダフィ、鮑有祥(バオ・ヨウシャン)という9人の独裁者の経歴と人となり、そして主要な政策が紹介されています。


あ、ニヤゾフ、リュー・クアンユーって知ってます? 前者は旧ソ連領だったトルクメニスタン共和国の終身大統領。2006年になくなるまで事実上16年間、同国の独裁者でした。リュー・クアンユーはシンガポール共和国建国の父で、首相を経て2011年5月まで顧問相として約40年間君臨。同国は観光地としても人気ですが、事実上の一党独裁国家で、「明るい北朝鮮」と言われることもあるんです。

ただ、それだけだと「お勉強チック」になっちゃうので、本書にはもう1つ、すごい爆弾が仕込まれていました。それが「地図にない街」ワ州への密入国ルポです。


ワ州は中国とミャンマーの狭間にあり、ミャンマー領なのに中国語が使われ、人民元が流通する「プチ中国」。いわゆる「黄金三角地帯」に位置し、かつては主要産業がアヘン製造でした。ここの総司令が鮑有祥。この街を筆者の安田峰俊さんが徒手空拳で乗り込み、庶民の暮らしをレポートしています。いや、これはすごい快挙ですよ。

安田さんは1982年生まれの29歳。
大学院卒業後、一般企業に就職するも半年で退社。中国のネット掲示板をブログで翻訳しながら、その内容をまとめた処女作『中国の本音 中華ネット掲示板を読んでみた』(講談社)を上梓。ネットウォッチャーに飽き足らず、第2弾の本書では文献調査と体当たりルポを敢行と、その行動力はすさまじいものがあります。

著名独裁者の経歴パートの濃さもさることながら、やっぱり面白いのは密入国記。中でも現地の役人ルートで接触するも相手を怒らせてしまい、腹いせで入った売春宿でワ州出身の少女に遭遇、そのツテで密入国するくだりは神がかってます。この少女がまた、遊ぶ金欲しさに客をとり、ケータイでチャットし、著者をエア彼氏として家族に紹介するため実家に連れて行くという、その辺のコギャルって感じなんですよ。



こんなふうに苦労に苦労を重ねて潜入したワ州ですが、至る所に軍人がいて、少年兵までいるところを除けば、普通の中国の片田舎という感じ。若者の多くは携帯電話でメールを行い、デートスポットとして人気の遊園地まであるんです。それでも州境近くではミャンマー軍との小競り合いも続いています。もしミャンマーに「併合」されたら、軍による虐殺や略奪が起きかねない。それを防ぐための軍事力と強い指導力が必要って......。すみません、ワ州ではまだ、一皮むけば三国志の世界が続いてました。


でも、地球上にはまだ、こうしたワ州のような地域の方が圧倒的に多いんですよね。そもそも、こんな中途半端な地帯が存続できるのも、ジャングルに囲まれた地理的特性と、中央政府であるミャンマー政府の弱体化、そしてアヘンという財源ゆえ。財源を他の資源などに置き換えれば、決して珍しい話じゃありません。

ホントに地図に載ってないのかとGoogle Mapで調べてみたら、確かに真っ白なエリアが広がるだけ。ところが衛星写真に切り替えると、そこにしっかり街があって、個々の建物の形がわかるほど。こんな風に日本にいながら、衛星写真がわかって、でも地図には載ってなくて......。
この不思議なバーチャル感が21世紀なんでしょうか。

独裁国家は是か非か。これ、なかなか難しい問題です。本書では旧ソ連やナチスドイツといった「黒独裁」に加えて、トルクメニスタンやシンガポールなどの「白独裁」、さらにはイラクやリビアを、はからずも「白独裁」から「黒独裁」に転んでしまった国々という立場で紹介しています。(「黒独裁」「白独裁」はレビュー筆者の造語です)

ワ州についても「鮑有祥は非人道的なドラッグマフィアという評価は間違っていない」としつつ、統治は最低限の評価には値するのではないか、と一定の評価がなされているくらい。漢王朝の高祖・劉邦は「殺すなかれ、傷つくるなかれ、ぬすむなかれ」という法三章で有名ですが、「わしら毎日仕事があって、飯が食えて、家族が幸せなら、それでええんじゃからね」という人は、今でも多いってことなんでしょう。

ひるがえって日本はというと、どうにも煮え切らないのはご承知の通り。本書では独裁者が生まれる条件として「熱烈な愛国主義」「国の持つ歴史や社会の呪縛」「本人の個人的な思考や性格」「反米や半植民地といった抵抗思想」の4点が上げられていますが、どれも日本には当てはまりそうにないものばかり。その一方で「空気を読みすぎる国民性」=強い同調圧力こそが真の独裁者ではないか、と問題提起されています。

ちなみに安田さんが会社員時代、中国人の同僚から「ストレスばっかの国は困るねエ」とぼやかれたとか。取材で会ったリビア人の学生からも「日本は窮屈だ」とこぼされています。僕も会社員時代はよく、息がつまる思いをしましたっけ。辞めた直後に全てのストレスがパーッと解消したのを覚えています。

独裁者とは何なのか。日本に独裁者は必要なのか。ちょっと視野を広げて、考えてみるのも良いかもしれません。そのための格好のテキストだと思います。
(小野憲史)