緊急地震速報のチャイム音については、先の震災直後、映画「ゴジラ」のテーマ曲をもとにつくられたものだという噂がネット上を中心に流れたことがある。とあるホームページでそのように紹介されたのがきっかけらしい。結論からいえば、この噂は事実と異なるのだが、それでもまったくの事実無根というわけではない。
筒井信介『ゴジラ音楽と緊急地震速報 あの警報チャイムに込められた福祉工学のメッセージ』は、タイトルが示すように「ゴジラ」の映画音楽と緊急地震速報の浅からぬ関係を明かすとともに、福祉工学という世間的にはまだ耳慣れない学問分野について、伊福部達(いふくべ・とおる)という研究者の足跡をたどりながら紹介したノンフィクションである。
ここで伊福部という苗字にピンと来た人もいるかもしれない。そう、「ゴジラ」の音楽を手がけたのは伊福部昭という作曲家だった。じつは、緊急地震速報のチャイム音を制作した伊福部達は、伊福部昭の甥(兄の息子)にあたる。伊福部達は、NHKからの依頼で緊急地震速報のチャイム音をつくるにあたり、そこに叔父の作品を素材にしようと思い立った。だが、そこで彼が採用したのはよく知られた「ゴジラ」のテーマではなく、交響曲「シンフォニア・タプカーラ」であった。くだんのチャイム音は、同曲の第3楽章「Vivace」の冒頭にあたる和音の部分をアレンジしてつくられている。
伊福部が数ある叔父の作品から「シンフォニア・タプカーラ」の当該箇所を選んだのは、それがチャイム音に必要な“適度な緊張感”と“インパクト”を持っているからだった。
もっとも非常時に鳴る音に自分の思いを込めることには、公共物を私物化するようなためらいも伊福部のなかではあったようだ。だが制作期間もほとんどなかったため、NHKにはその心情を伝えて理解してもらったという。そもそも彼はこの仕事の依頼を、人の生死を左右することにもなりかねず荷が重いこと、また自分は作曲の専門家ではないからと一旦は断っている。
しかし、緊急地震速報チャイムが、福祉工学を専門とする伊福部に依頼されたのにはそれなりに理由があった。NHKでの最初の会議で、伊福部が緊急地震速報チャイムに求められる条件として提示した次の5つの項目からもその一端がうかがえる。
(1)注意を喚起させる音であること
(2)すぐに行動したくなるような音であること
(3)既存のいかなる警報音やチャイム音とも異なること
(4)極度に不快でも快適でもなく、あまり明るくも暗くもないこと
(5)できるだけ多くの聴覚障害者に聴こえること
項目のうち(5)は福祉工学が解決すべき課題そのものだ。伊福部はそれまで、音声情報を指先に伝える「触知ボコーダ」や、音の情報を脳に伝達する「人工内耳」など、聴覚障害者のための装置を手がけてきた。この条件は、そうした体験を持つ彼ならではの配慮といえる(その後、チャイム制作の最終段階として、複数の候補のなかから最終的にどれを採用するか絞りこむために行なわれた比較実験でも難聴者を含む被験者が集められている)。
ほかの項目も、人間の心理への影響を考慮するという点で一致している。このうち(1)の条件を満たすだけなら、音響や心理学の専門家でも、人の注意を惹くブザーのような音響をつくることは可能だ。
福祉工学とは一口にいえば、視覚・聴覚・触覚などの感覚と人間の心理や行動の関連性を研究する分野だ。緊急地震速報チャイムの基本コンセプトである《緊急事態であることを察知して、速やかに避難行動をとれるようなメロディー》を実現するためにも、この分野の第一人者である伊福部に白羽の矢が立ったのはやはり必然だったのである。
ちなみに上記のコンセプトには、伊福部の叔父・昭が映画音楽の機能として掲げた原則が応用されている。原則について詳細は本書に譲るが、ようするに伊福部は地震の起きる状況を映画としてとらえ、チャイム音に映画音楽のようなメッセージ性を持たせれば、速やかに避難行動に移れるのではないかと考えたのである。伊福部昭の発案した映画音楽における原則はもちろん「ゴジラ」の音楽でも生かされている。その意味では、「ゴジラ」の音楽と緊急地震速報チャイムはまったくの無関係ではなかったのだ。
本書には伊福部達の携わった仕事として、緊急地震速報チャイムのほかにも先述したような福祉工学における様々な装置の開発、あるいは、ポーランドの人類学者、ブロニスワフ・ピウツスキが約1世紀前に樺太(サハリン)でアイヌたちの歌を録音した蝋管(レコード盤の登場以前に使われていた円筒型の録音メディア)の再生プロジェクトについてもくわしくとりあげられている。後者に関してはテレビのドキュメンタリー番組でとりあげられ、そのときのスタッフがのちに緊急地震速報チャイムを依頼したという経緯がある。
さらに最後の章(第6章)では福祉工学の最近の成果が紹介されており、これを読むと近年の障害者向けの技術の発達に驚かされる。
福祉工学は多くの希望を与える一方で、その技術を製品化して普及させるには市場規模の小ささゆえに高いハードルが存在する。伊福部も、商品化には相応の覚悟と準備が必要だと繰り返し口にしている。それでも、人は年をとれば誰でも多少の違いはあれ聴力や視力など身体の様々な能力が衰える。福祉工学では、そんな高齢化の問題への取り組みも始まっているという。思えば日本はいま、超高齢化社会ともいわれるまだ世界中のどこの国も経験したことのない時代を迎えようとしている。そのなかにあって、福祉工学が果たす役割は思いのほか大きいのではないだろうか。(近藤正高)