掃除や洗濯を「かじぜんぱん」と言うけど、じゃあ後半は何?
「私の目の黒いうちには好きにさせやしないよ!」と話す、青い目をしたフランス人…etc.
そんな難問珍問と日々格闘する日本語教師・凪子先生と外国人生徒との交流を通して、日本語への新たな気づきの数々を描いてきたコミックエッセイ『日本人の知らない日本語』。「そう来るか!」と思わず唸りたくなる外国人ならではの素朴な疑問や不思議な日本語が次々登場します。
【マンガに出てくる中国人はなぜ「私〇〇アルよ」と話すのか】
─── この本の中に登場する<マンガに出てくる博士はなぜ「~~なのじゃ」「~~ておる」と話すのか>。言われてみれば不思議で誰もが共感できそうなこの疑問、3巻ではこうしたちょっとマニアックな日本語の謎にも踏み込んでいますね。
蛇蔵 語源を解説する本ってそれこそたくさんありますが、どの本にも載ってないようなネタを入れることで深みを出したいと思ったんです。例えばこの“博士語”については、日本語史を研究している大学の先生お話を伺っています。「~~なのじゃ」「~~ておる」って、実は今の関西弁に似ているんですね。江戸時代初期に文化の中心が関西から江戸に移ったことで、粋を大事にする江戸の若者にとって関西の言葉が「古くさい伝統的な言葉」という位置づけになり、そこから年寄りっぽいキャラづくりとして歌舞伎のセリフに生かされるようになったそうです。
─── それが現代のマンガの中に生き残っているのが面白いし、昔から言葉遣いに関する世代間ギャップがあった、というのも興味深いテーマですね。
蛇蔵 <マンガに出てくる中国人はなぜ「私〇〇アルよ」と話すのか>にしても、外国人が一気に増えた江戸後期に考案された「外国人のためのカンタンな日本語」がルーツになっているそうです。
─── かといって、決して難し過ぎないんですよね。さじ加減がちょうどいいというか。
蛇蔵 そこはすごく気をつけています。私も凪子先生も、この本のためにものすごく勉強しているので、つい「コレぐらいのレベルだとありふれたネタなんじゃないか」「もっと珍しいネタを!」と難易度を上げすぎてしまう可能性があるんですね。だからこそ、やり過ぎないように常に意識する必要があると思っています。やっぱり大前提として「軽くサラッと、楽しく読みたい」というご要望が必ずありますから。
【“言葉が通じる楽しさ”を我々日本人も提供する側にもいるんだ】
─── 日本語学校に通う生徒さんが救急車で運ばれた時、同じように症状を聞いてもお医者さんだと通じないのに、日本語学校の先生が質問すると意味が通じた、というエピソードがありました。日本語の難しさというか、コミュニケーションの奥深さを考えさせられました。
蛇蔵 外国人と接する上で案外重要なのは「外国人がコミュニケーションを取りやすい簡単な日本語で話す」ということなんです。日本に来た外国人の方々が最初にぶつかる“壁”もまさにそこで、頑張って日本語を一生懸命勉強したのに、その“憶えた定型文”で話してくれないという……。
─── 確かに、外国人に話しかけられた時に、「英語でなんて言えば!?」って焦ることはあっても、どんな日本語で話せば伝わるのかとはなかなか考えないですね。
蛇蔵 我々だって、海外で言葉が通じたら嬉しいですよね。自分の知ってる簡単な文法で相手も話してくれたら「あ、それ知ってる」って嬉しくなりますよね。そういった“言葉が通じる楽しさ”を我々日本人も提供する側にもいるんだ! というのはずっと描いてみたかったことのひとつです。凪子先生が、この辺のさじ加減がすごく上手で。日本語初心者の人と話す時は初心者用に、上級者の人と話す時は上級者用に……と自在にコントロールする凪子先生を見て、私はいたく感銘を受けまして……。「そのコツをちょっと伝授してみないかい?」という感じで口説いたのが、この本が生まれたそもそものキッカケだったりもしますので。
─── 3巻でも凪子先生を口説き落とすエピソードが登場しますね
蛇蔵 もともとは共通の友人から凪子先生を紹介されたんです。
─── 凪子先生からはすんなりOKが?
蛇蔵 凪子先生が「マンガのストーリーとか作れないです」って言うので、「あなたは何もしなくていいです」とキャッチセールスのように繰り返して(笑)。「日本語学校で起きたエピソードを、お友達に話すみたいに電話や喫茶店などで私と話をしているとあら不思議、いつのまにか本になっている! という凪子先生にとって大変お得なシステムです。それほど負担はかかりませんよ」って言って口説き落としたんです。でも実際のところ、文章だけのエッセイに関しては凪子先生が書いてくださっているので、凪子先生からときどき「私は何もしなくていいって言ってたよね……」というツッコミが(笑)
─── しかも、巻を追うごとにエッセイの量が増えている(笑)
蛇蔵 でも、凪子先生のそうした真面目さと誠実さのおかげで、結果的に"勉強と楽しさのバランス”が良くなっていると思うんですよね。私はどちらかというとお笑い系の人間なので(笑)、私が描くとどんどんギャグになってしまうんですけど、それを、“より誠実に真面目”にという日本語教師としての彼女と、“いかに楽しくユルく”っていう私とがお互いを引っ張り合った結果、「楽しく読んでうっかり勉強できる」という今のパーセンテージになっているんだと思います。
後半へ続く。
(オグマナオト)