あなたの目の前にいま、「京都の作り方」を記した本がある。そこには、有名な寺院、祇園や新京極などの繁華街、あるいは鴨川や嵐山のような自然風景など、京都に関するありとあらゆる情報が書かれ、いわば「京都の設計図」となっている。


この「京都の作り方」を手がかりに、京都とそっくり同じ都市を作りなさい。もちろん京都と同じ広さの土地と、十分な数の従業員は与える……と、もしそんな命令を受けたら、どうしたらよいだろうか?

まずは作業員たちに、寺院を作る係、祇園を作る係、嵐山を作る係……などと役割をそれぞれ割り振っていくとして、彼らに「京都の作り方」に書かれている内容をどう知らせようか。その方法としてはだいたい二通り考えられる。

一つ目は、各作業員に必要なページだけをコピーして渡すという方法。もう一つは、すべての作業員に「京都の作り方」一冊まるごとのコピーを渡すという方法が考えられる。ただし渡すときには、それぞれ必要なページにしおりを挟んでおく。
そうすれば作業員は、自分の担当分の箇所だけ読むことができるわけだから。

ここまで読んで、いったい何のことやらと思った方もいるかもしれない。タネ明かしをすると、これは先ごろ出た『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社)という本に出てくるたとえ話だ。山中伸弥先生とはいうまでもなく、iPS細胞の研究により今年のノーベル生理学・医学賞に決まったばかりの京都大学の教授である。

例のたとえ話は、iPS細胞について、その技術の前提となる「遺伝子の複製」をわかりやすく解説したものだ。「京都の作り方」とは「あなたの体の作り方」を、「作業員」は「細胞」をそれぞれ示している。


体中のすべての細胞は、たった一個の受精卵が分裂を繰り返しながらできていく。その過程で、ある細胞は腸の細胞に、べつの細胞は皮膚の細胞に……というふうに分かれていくわけだ。専門用語では、この過程を「分化」と呼ぶ。

さて、ここで一つ疑問が浮かぶ。受精卵には体の各パーツを作るための設計図がすべて備わっているのは当然として、受精卵から分化した細胞は、皮膚の細胞なら皮膚の設計図のコピー、腸の細胞なら腸の設計図のコピーしか受け取っていないのか? それとも、細胞は分化されても、全身の設計図をまるまるコピーしたものを受け取っていて、それぞれ必要な箇所にしおりが挟まれていたりするのだろうか?

理屈として考えれば、必要なところのコピーだけを受け取ったほうが効率がいいように思える。実際、生物学の世界では19世紀末以来、長らくこの説が有力だった。
しかしいまから50年前、これを覆す実験結果が発表される。実験を行なったのは、イギリスのジョン・ガードン博士。そう、今回のノーベル生理学・医学賞で山中教授とともに選ばれた人物だ。

ガードン博士は1962年(くしくも山中教授の生まれた年)、アフリカツメガエルの腸の細胞からオタマジャクシを作ることに成功している。博士はまず、カエルの腸の細胞から、遺伝情報(細胞の設計図)を保管している核を抜き出すとともに、別のカエルの卵子からも核を抜いておいた。その核を失った卵子には、先ほど腸の細胞から抜き出した核を移植する。
そして核を移植した卵子に刺激を与えたところ、細胞分裂が始まりやがてオタマジャクシとなったのだ。この結果から、少なくとも両生類の腸の細胞には、腸を作るのに必要な設計図だけでなく、全身の作り方を記した設計図が存在したということが証明された。その後、1997年のクローン羊「ドリー」の誕生によって、哺乳類でも両生類と同様に、どの細胞も持っている設計図は同じであることがあきらかになった。

ガードン博士の実験は、細胞はいったん分化したら元には戻らないという従来の学界の常識をも覆したことになる。分化された細胞を元の状態に戻すことを「初期化」と呼ぶのだが(コンピュータのディスクからすべてのデータを消し、まっさらな状態に戻すことをそう呼ぶのと同じだ)、それに世界で初めて成功したのが博士だったのだ。

山中教授がノーベル賞に選ばれた理由も、細胞の初期化に関するものであった。
先の「京都の作り方」の話に出てきた「しおり」には、ある特定の細胞の設計図に挟まれた、いわば細胞を作るためのしおりのほかにもう一つ、細胞を初期化するしおりも存在する。山中教授は、このうち後者のしおりを発見したことにより、今回の受賞に輝いたのだ。このしおりを使えば、皮膚の細胞でも腸の細胞でも初期化することができる。それを培養して保存しておけば、刺激の与え方しだいでふたたび分化させ、さまざまな細胞を作り出すことも可能だ。この何にでもなる万能の細胞こそiPS細胞というわけである(「万能細胞」にはもう一つ、ES細胞というのもあるのだが、それとiPS細胞の違いなどくわしくはぜひ本書で確認していただきたい。とてもわかりやすく説明されているので)。


山中教授は、世界で初めて細胞を初期化するしおり(正確にいえば遺伝子)を発見し、それを使うことで2006年にマウスのiPS細胞を、翌年にはヒトのiPS細胞を製造することに成功した。ただし一人でこの偉業をなしとげたわけではない。そこには若い研究者たちの協力が欠かせなかった。本書がすばらしいのは、周囲のスタッフの名前をいちいちフルネームであげて、研究を進めるうえでの彼・彼女たちの貢献を具体的に記していることだ。

スタッフがらみの話でとくに面白かったのは、この世紀の発見が、山中教授の片腕ともいうべき高橋和利博士のちょっとした発案によって導かれたというエピソード。工学部出身だという高橋博士のアイデアは、普通の生物学研究者からはなかなか出てこないものだったというのだが、山中教授はそれを《まさにコロンブスの卵のような発想》と讃えつつ、そのあとに《まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが》と一言つけ加えているのが何ともお茶目だ。

本書ではまた、両親のことなど教授自身の生い立ちもたびたび語られている。たとえば、地元大阪でミシンの部品を作る町工場を経営していた父親は、機械に関して早いもの好きで、NECから日本で初めてパソコンが発売されたときには、経済的に余裕がないにもかかわらずさっそく購入したという。もっともお父さんが大枚をはたいてPCを購入したのには、部品の在庫管理というちゃんとした目的があった。父にこの作業をまかされ、BASICプログラムを学んだのが、山中教授とコンピューターの初めての出会いだったという。

本書は2部構成で、第1部は〈「iPS細胞ができるまで」と「iPS細胞にできること」〉と題する自伝であり、第2部には科学ライターの緑慎也氏による山中教授へのインタビューが収録され、第1部のおさらいおよび補足的な内容となっている。インタビューの後半では、教授が現在、所長を務めるCiRA(サイラ。京都大学iPS細胞研究所)についての話も出てくる。そこでうかがえるのは、iPS細胞の製造に成功してからというもの、その実用化のため山中教授には研究者のみならず、経営者としての手腕も求められているという事実だ。

《一昔前なら教員と事務職員だけで研究開発の大部分ができたかもしれません。しかし、状況は大きく変わりました。研究の成果を実用化するには特許取得が必要で、知財専門家が必須です。産学連携をはかるために、契約担当者もいる。研究成果を一般の方に発信するための専門家もいります。複雑化している実験機器を使いこなすには、経験豊かな技術員も不可欠。秘書の重要性も高まるばかりです》

山中教授は、これら大勢の研究所のスタッフたちを「正社員」としていかに継続して雇用していくかという重圧とともに、毎年数十億円もの血税を使わせてもらっているのだから、何とか成果をあげて社会に還元しなければならないという使命を抱えている。授賞決定直後の記者会見での教授の「国に感謝」という言葉も、こうした使命感から出たものだろう。

iPS細胞はまだ実用化されていない開発途上の技術だ。実現すれば、「再生医療」への応用により、心臓に重い病気を抱えた患者などを救うことが期待される。その反面、iPS細胞から完全な卵子や精子を作り出すことも、法律的に禁じられているとはいえ理論的には可能なので、倫理に抵触する要素もはらんでいる。しかしそういった負の側面以上に、いま考えるべきは、それを一刻も早く必要としている患者さんがいるということだと、教授は強調する。

今回の山中教授へのノーベル賞は、研究成果を評価するという以上に、最適な形で実用化されるよう期待をこめてというところも大きいように思う。しかしこれほどまでに周囲への気遣いのできる人なのだから、きっとさらにすばらしい成果を期待できるに違いない。科学音痴のわたしだが本書を読んで、その思いを新たにした。

CiRA(京都大学iPS細胞研究所)公式サイト
※一刻も早いiPS細胞の実用化のため、同研究所では一般からも支援を募っている。くわしくは上記公式サイトを参照。
(近藤正高)