今年も様々な記録・偉業が達成されたプロ野球。
なかでも宮本慎也、稲葉篤紀の2000本安打達成など、長くチームと球界を支えてきたベテラン・いぶし銀の活躍が多かった印象がある。


若手のがむしゃらなプレーが生み出す奇跡的な展開や失敗の数々を見るのも楽しいけれど、ベテラン選手の老獪なプレー、そして経験に裏打ちされた言葉の数々は、噛みしめるほど味わい深い。

でも、この人の元気な姿を見ると、40代に入ったばかりの宮本、稲葉はまだまだこれから、とも思ってしまう。
野村克也・御年77歳。

いやいや、選手でも監督でもないでしょ、と言われてしまいそうだが、球界で最もメディア露出が激しいのは間違いなくノムさんだ。
おなじみのボヤキ節、野村名言の数々が球界に与える影響力、効果のほどは計り知れないものがある。
そして活躍のフィールドはテレビやラジオの解説業ばかりではない。
何よりも驚かされるのはその著作の多さ。
これまでにも『野村再生工場』や『野村ノート』など数々のベストセラーを生み出してきたノムさんだが、今年の刊行ペースはちょっと尋常じゃない。
2012年、1年間でノムさんが上梓した書籍は、共著も含めれば何と10冊!
ノムさんの今年の本だけで打順が組めてしまうレベルだ。

これだけあると、どこから手をつければいいのか正直悩んでしまう。とりあえず、どれから読めばいいの?という方に私が推薦したいのが『この一球 ~野村克也の人生論~』だ。

オススメポイントは二つ。

ひとつは「野村克也の人生論」の副題通り、自身のこれまでの経験・失敗や様々な選手、監督のエピソードを、一般の人生に置き換えた場合にどう生かせるか、という点にまで言及している点。ベートーベン、世阿弥、浅利慶太、小泉純一郎らの言葉、さらにはヒンズー教の教えまで持ち出して解説する野村節満載の「人生論」はさすがに含蓄がある。

そしてもうひとつは、「俺とONは~」という昔話で終わってしまうのではなく、2012年の球界事情までも踏まえた記述が多い点だ。

例えば、先日現役続行を発表した山崎武司(現・中日)を変えた「自己評価」、そして「自己評価」という言葉が生む誤解について。
楽天に来るまで何も考えずに打席に立っていたという山崎に対して、「お前は強打者や。うぬぼれて野球せい!」とアドバイスを送ったノムさん。

《人間は、他者からの評価で生きている。仕事をするうえでそれを自覚しなければ、万事が自分本位で独りよがりな自己満足の仕事に終わってしまう。自己満足は、自己限定を生み、成長はそこで止まる》と綴る。
「自己評価」とは他者がどう評価しているかを自分で考えること。山崎自身が思っている打者像ではなく、相手ピッチャーからどう思われているかを理解することで、配球を理解することができるのだと説いていく。

同様に、プロに入ってから伸び悩む斎藤佑樹(日ハム)に対しても、「自分が何者か」ということを気づけていないと指摘し、実際に斉藤と交わした言葉を引き合いに出しながら、「やればできる」という安易な考えを捨てるべきだ、と厳しいコメントを残す。

《やればできる。この言葉ほど危険なものはない。野球に限らず、当事者だけでなく、指導者も、親も、時に「やればできる」に甘えて成功を遠ざけてしまう》
楽天での田中将大、そしてヤクルト時代の小早川毅彦へ送ったアドバイスを例に出しながら「器用から不器用への転向」を進め、「自分が弱い」と認めることで「何をすべきか」を考えられるようになる、と指摘する。ただの批判・批評で終わるのではなく、その先に進むべき道も提示してくれるのが「野村再生工場」の面目躍如といったところだろう。

また、金本知憲の引退で思い出した自身の引き際、代打の神様・桧山進次郎の失敗と成功、そして江夏・西本・稲尾など往年の名選手たちがそれぞれ変貌を遂げるキッカケとなった様々な「この一球」を振り返りながら、野球のあるべき姿、野村克也の考える野球像を語っていく。

中でもページを割いて解説するのが、冒頭でも挙げた二人のベテラン、宮本慎也と稲葉篤紀についてだ。

1994年のドラフトで共にヤクルトに入団した二人がなぜ成功することができたのか。
「打つだけの選手」(稲葉)、「守るだけの選手」(宮本)という評価だった二人が、ともに今年2000本安打を達成し、40歳を越えてゴールデングラブ賞も受賞するという偉業を成し遂げた裏にある「努力」の二文字。
修行僧のように努力する男、稲葉。
適切な努力を反復することができた宮本。
《守備に限らず、稲葉ほど努力する男を、私は見たことがない》と語るなど、辛口ノムさんにしては異例とも思えるほどのベタ褒めが並ぶ。
ともすると意味が軽くなってしまう「努力」という言葉も、プロ野球界で60年近く生き続けてきた男が語るとさすがに重い。


宮本、稲葉の評価が最もわかるのは、ノムさんが語る「夢」についてだろう。

《私にはささやかな夢がある。稲葉篤紀と宮本慎也、二人が監督として戦う姿をどうしても見たい。勝利優先、チーム優先の野球に徹してきた彼らならば、私の野球を受け継いでそこに新たなスパイスを加えてくれるのではないか、と考えている。(中略)今の野球は誰が監督をしても同じ、この一球、という真剣勝負とはかけ離れてしまった。もう一度真剣勝負の面白さ、素晴らしさをファンに見せてやってほしい》

もっとも、宮本も稲葉もまだまだ現役続行、稲葉にいたってはWBCの代表候補にまで選ばれている。ノムさんの夢が現実となる日はまだまだ先だ。
でも、希代の野球人・野村克也がそこまで惚れ込む男の実際のプレーをまだ見ることができるありがたみも、本書を読むことで再認識できるのではないだろうか。

「一で始まって、一で終わる。一を大事にせよ」
常々、ノムさんが語っている言葉だ。様々な選手の分岐点となった「この一球」が詰まった本書は、野村克也の人生論だけでなく、深淵な野球観を改めて認識することができる一冊と言えるだろう。
(オグマナオト)