『祖国と母国とフットボール ザイニチ・サッカー・アイデンティティ』は、在日コリアンが築き上げてきた「在日サッカー」の歴史と今を追うノンフィクションだ。このたび増補版として文庫化された。

著者は在日3世のスポーツライター慎武宏(シン・ムグァン)。戦後の在日サッカーを切り開いた先人から、現在活躍中の在日コリアン選手まで、彼らの軌跡が緻密なインタビューに基づいて描かれている。

第1章で著者がとりあげるのは、川崎フロンターレで活躍し、韓国籍ながら異例の北朝鮮代表としてW杯にも出場した鄭大世(チョン・テセ)。彼は在日コリアン3世だ。
2005年の第3回東アジア選手権、日本対北朝鮮。彼は試合前に流れた「エグッカ」(愛国歌)を聞いて涙を流した。
オレが幼い頃から憧れ、目標にしてきたのは朝鮮代表だから
北朝鮮代表として、日本代表と戦うことが、彼の夢だった。

鄭大世は、83年愛知県名古屋市に生まれた。小中高と、すべて朝鮮学校だった。そして朝鮮大学校に進学した。
自然と気持ちは朝鮮に向いていくし、オレは朝鮮学校で育ったから自分が“在日”であるということをしっかり自覚できたと思う
鄭大世が語るように、在日コリアンのアイデンティティーの形成は朝鮮学校という環境によるところが大きい。
仮に日本代表でプレーしたとしても、罪悪感に苛まされると思うし、心の底から湧き出る“魂の叫び”みたいなものは出てこないと思う

第7章では、韓国籍から日本国籍に帰化し日本代表となった李忠成の物語が語られている。

少年時代、東京朝鮮第9初級学校のサッカー部で頭角を現した李忠成。6年生の時、ある決断をする。横河電機ジュニアユースでプレーすることが決まり、サッカーに専念するために日本の中学校に進学したのだ。
「李」と名乗ることでイジメられるのではと心配したが、実際には拍子抜けするほどに自分を受け入れてくれたという。

その後FC東京に入団した18歳の李は、念願のU-20韓国代表の合宿に招集された。しかし、意気込む李を韓国で待ち受けていたのは、疎外感と陰口だった。パスが回ってこない。ゴールを祝福してくれない。ミーティングや食事中、後ろでささやく声があった。韓国人が在日を蔑む時に使う言葉が、あきらかに聞こえた。
韓国は自分を同族とは見てくれないんだなということを痛感させられました」と李は述懐している。
そして韓国から日本に戻った李のもとに、五輪日本代表監督(当時)の反町康治からラブコールが届く。
悩みに悩んだ末、帰化を決断した。通名の「大山」を使わずに「李」として届けた。

在日コリアンの帰化に対するネガティヴイメージは未だに根強い。李忠成が帰化して日本代表になったことに、在日社会では波紋が広がった。著者もまた、李が下した決断を寂しく思うところもあったと語る。しかし取材を進めるうちに、国籍にとらわれずサッカーに邁進する李の中に新しいザイニチ・サッカー・アイデンティティーを発見していく。

韓国での合宿から帰える飛行機の中、李は思った。
朝鮮半島にルーツがあるけど、日本で生まれ育った僕は韓国人ではないのかもしれない。でも、日本に戻れば国籍上は外国人になる。韓国人でも日本人でもない僕は、何人なんだろう
李は猛烈に自分探しを始めた。「日韓問題」「国籍」「差別」「在日コリアン」というタイトルを書店で見つけると、つい手が伸びたという。

鄭大世は言う。

日本の中にもうひとつの国があるような感覚なんです。それが“在日”という国。朝鮮でも、韓国でも、日本でもない“在日”という国が、オレにとっての母国なのかもしれない

在日コリアンのサッカーへの情熱、民族への感情、そして葛藤。日本人である私にとって、本書を通してもなお、それらを心の底から理解するのは難しかった。同じ土地や経済、政治のもとに生きる人間、さらに言えばその中のマジョリティーである私たちからすれば、彼らは日本人と何も変わらない存在であると言うことは容易い。だがその言葉の裏側には、ときに黙殺という態度が隠されている。そのことに気づかされた。(HK 吉岡命・遠藤譲)
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