年末の風物詩、「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男達」が今年も12月30日(月)、全国TBS系でON AIRされる。野球人生のツーアウトに追い込まれた男たちによる、残酷だけれども真剣な最後の勝負を追いかけるドキュメンタリーは、2004年に特番化されてから、10回目の節目に当たるという。
この番組で描きたいことは何か? そもそもどういう経緯で番組はスタートしたのか? そして今年の見どころは? 番組の立ち上げから携わってきたTBSの菊野浩樹チーフプロデューサーに、番組の歴史と取材秘話を聞きました。


《プロ野球再編の年に特番化された「戦力外通告」》

─── 「プロ野球戦力外通告」を見ないと年を越せない! そんなプロ野球ファンは多いと思います。この番組が生まれたそもそもの経緯を教えてください。

菊野 まず、企画という意味では、99年に「バース・デイ」の前身番組である「ZONE」が始まり、その年の秋には早速、戦力外通告をテーマにした回を放送しているんです。

─── 「ZONE」の番組内企画だったんですね。

菊野 はい。
ちょうどその頃、「ZONE」の構成作家から薦められて『強くて淋しい男たち』という本を読んでいたんです。『AV女優』などで有名なノンフィクション作家・永沢光雄さんの本で、その中で金村義明(元近鉄、中日、西武)と愛甲猛(元ロッテ、中日)のエピソードが描かれていました。

─── いまや球界ご意見番のような2人ですね。

菊野 彼らも球団を転々とし、最終的にチームをクビになった後にどういう状況だったのか、ということが書いてあるノンフィクションでした。その内容が凄く良くて、「これをテーマに番組をやってみよう」と、その年(99年)にクビになった選手を「ZONE」で追いかけたのがそもそもの企画の発端。以降毎年、戦力外を受けた人を追いかけるようになったんです。


─── キッカケは永沢光雄だったんですね。

菊野 その後、2004年の秋に「ZONE」が終わってしまったので、その人気企画を特番にしようと、2004年11月に『戦力外通告』の第1回が始まりました。この04年はまた、プロ野球にとって激動の年なんですよ。

─── 球界再編の年。

菊野 そう、近鉄が無くなってしまった! だからその激動の年の「総決算」の意味でも戦力外通告の特番をやろう! と。だから、1回目だけタイトルに『激動のプロ野球総決算』と付いているんです。
その回の視聴率が好評だったので、そのまま毎年特番でやれるようになり、今年が10回目ということになりますね。

─── 「ZONE」時代から見ていましたが、特番になってから、より裾野が拡がったように感じます。

菊野 確かに、タイトルが広まったのは特番になってからかもしれない。実は最初は「クビを宣告された男達」というタイトルだったんです。今も正式な番組タイトルは「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男達」で、副題として残ってます。でも、取材先で番組名をそのまま言うと、選手たちが「クビを宣告された?」でひっかかって、なかなか取材にOKが出ないこともありました。
もうちょっとわかりやすい……たとえば「明日に向かって戦う男達」みたいな番組タイトルにしていれば、取材も受けやすかったのかなぁと(笑)。まあ、ここまで浸透しちゃうと、もう変えようがないんですけどね。


《日本一の2日後にクビになった男》

─── 過去9年間で、特に思い出深い選手は誰になりますか?

菊野 やっぱり僕は、宮地さん(宮地克彦、元西武ほか)ですね。2003年、「ZONE」の中で宮地さんと大越基(元福岡ダイエー)さんの2人を取り上げたんですが、この「戦力外通告」という番組を語る上で、非常に大きな選手だと思っています。どうしてこの2人を一緒に取り上げたかというと、彼らは高校時代、甲子園で投げ合っているんですよ。

─── 尽誠学園×仙台育英戦ですね。
(※1989年夏の甲子園準決勝。延長10回に及ぶ投手戦として有名な一戦)

菊野 高校時代は大越投手が投げ勝ったんですが、その大越が2003年の秋にダイエーをクビになった。そこから僕らも動き始めたんです。だから、企画としては大越さんが先なんですね。なぜ彼を追いかけたかというと、2003年はダイエーが日本一になり、その2日後に大越さんはクビになったんです。

─── 非情ですね。


菊野 「おいおいおい、日本一の2日後にクビってかわいそうだろう」ということで追いかけ始めました。実際、本人は怒りまくってるんですよ。「なんで俺がクビにならなきゃならないんだ!」と。その思いの丈をテレビで語る、ということで本人からもOKをもらい、その時に「大越といえば甲子園での宮地との投げ合いだよなぁ。その宮地も今年クビになってるのかぁ」と宮地さんも追いかけることになるんです。宮地さんはその後、改めてテストを受けて福岡ダイエーに入団し、2005年シーズンにはオールスターにも選ばれるんですよ。

─── 「リストラの星」と言われました。

菊野 オールスターに選ばれた時、僕らスタッフも自分のことのように嬉しかった。それだけに、宮地さんが一番印象深いですね。宮地さんも感謝していただいたようで、「あの時、番組に出て良かった。テストに落ちる様子をテレビに撮られたけど、最終的にダイエーに受かって、福岡ドームに行ったら『宮地頑張れぇ~』『リストラの星ぃ』『ZONE見たぞぉ~』という声援がもの凄かった」とおっしゃっていたそうです。同時にこの宮地・大越の回というのは、「トライアウト」という制度について考える上でも、ものすごく重要な回なんです。


《「だったら日本シリーズの前にクビにしてくれよ。」》

菊野 「12球団合同トライアウト」は2001年に始まりました。でもあの当時、トライアウトの前後に各球団が個別にテストを行っていました。今年のトライアウト(1回目)には65人が参加しましたが、01年の第1回トライアウトはその半分の30人程度しか受けていないんです。なぜなら、その前に巨人をはじめ各球団のテストがあり、そこで受かったら合同トライアウトなんて受けませんよね。第1回のトライアウト、合格者が何人か知ってます?

─── すみません。わからないです。

菊野 たった一人なんですよ。そして2002年の第2回合同トライアウトは合格者がゼロなんです。「トライアウトって意味あるの?」というのが、当時のトライアウトに対する認識なんです。そこで2003年の宮地・大越の回の放送に話が戻るんですが、宮地さんは僕らが取材を始めた時には、既に横浜と近鉄のテストを受けて、どちらも落ちた後だったんです。さらに取材を始めてからも千葉ロッテのテストがあり、その後に合同トライアウトがあったんです。

─── つまり、宮地さんはトライアウトの前に3球団を受ける機会があったと。

菊野 かたや大越さんの場合は、日本シリーズの2日後にクビ。トライアウトは日本シリーズの直後に行われたので、大越さんにとっては当然、合同トライアウトがいきなりのテストになります。(※日本シリーズは10月27日に終了。トライアウトが11月5日)

─── それは、準備という意味でも不平等ですね。

菊野 かたや3つのテストを経てトライアウトに臨んだ宮地。かたや経験ゼロの大越。大越さんは我々の取材でも言うんですよ。「なんで? だったら日本シリーズの前にクビにしてくれよ。俺も宮地と同じように3つか4つ受けられたかもしれないのに」と。結果、大越さんは合同トライアウトでは声がかからず、その後、千葉ロッテのテストに呼ばれるんですが結局それも受からず、プロ野球の世界から出ることになる。番組でもその2人の対比は明確になりました。

─── 今では、高校野球の指導者としてセンバツにも出場を果たしましたが……色々思い出しました。

菊野 それが2003年。そうしたら、翌04年に球界再編が起き、その時に選手会と球団がいろんなことを話し合う中で、合同トライアウトの意味も議題として取り上げられたんです。そして、合同トライアウト以外では個別の球団テストは公には行わない、という申し合わせができるんです。

─── おぉ。

菊野 03年の宮地・大越のON AIRが多少は影響があったのかもしれません。選手会の人や事務局の方が、番組の影響が大きかったと仰っているのを人づてに聞いたことがあります。


《新しい人生が決まる場が、こんなに小さな室内練習場なの?》

─── 今でもトライアウトという制度には様々な課題が指摘されています。長年、トライアウトを追いかけてきたこの番組から見たトライアウトの課題や意義とは?

菊野 今年は、はじめて地方開催(12球団のフランチャイズ以外)を行った。それはすばらしいことだと思います。静岡県が誘致し、静岡市にある草薙球場で行われたんですけど、たくさんの来場者がつめかけました。

─── 今年は来場者が1万人、とニュースにもなりました。

菊野 でも、残念なことに草薙球場でのトライアウトでは途中で雨が降ってしまい、室内練習場に場所を移して以降のテストが行われた。でも、それってどうなの? と。だって、室内練習場ということは内野も外野もいないんですよ、ピッチャーが投げて、バッターが打つ。これしかできないんです。え? 新しい人生が決まる場が、こんなに小さな室内練習場なの? と。

─── 選手にとっては辛いですよね。

菊野 たとえばですけど、せめて予備日を作ってやるべきじゃないか、ということを感じた人も多いんじゃないでしょうか。打っても、ヒットかどうかもわからないんです。そして、守備で魅せたい人は何のアピールもできない。しかも、最初からではなく途中から雨が降ったので、グラウンドでプレーできた選手と、室内でのプレーになった選手とが存在することになった。グラウンドで行われていた時に、ホームラン性の打球をフェンス際で掴み取った、ものすごいファインプレーをした選手がいたんです。それもアピールのひとつだと思うんですけど、室内じゃできなくなる。だったらせめて土曜日開催にして、日曜を予備日に設定すべきじゃないの? と。

─── しかも、わざわざ静岡に誘致していますからね。お客さんのためにも。

菊野 だから、本当に公平な制度にして欲しいなと。彼らが人生をかけて、命をかけて臨んでいるトライアウトなんだから。それは、見た人が感じることによっても制度って変わると思うんです。2004年の時にもそうやって制度が変わったように。

─── そう考えると、番組の影響力は大きいですね。

菊野 99年に「戦力外通告」の企画が始まって、01年にトライアウトが始まった。トライアウトも試行錯誤を繰り返して今の形になってきたわけですけども、そもそもトライアウトができたキッカケも、たぶん99年と00年に「ZONE」でやった「戦力外通告」の影響も少しはあったのかもしれません。それはなぜかというと、00年の「ZONE」で、「この日は、ロッテと近鉄が同時にテストを行っている」というナレーションがあるんです。

─── つまり、どちらかしか受けられない、と。

菊野 当時はそうでした。でも、おそらく、同日に複数球団の入団テストが行われていたことは選手からも不満の声があがっていたと思うんですよ。そうした声を番組で取り上げることによって我々はその時々の課題を浮き彫りにして、結果的にトライアウトというものが、より公正なものになればいいなあと思いますね。

(後編に続く)

「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男達」
12月30日(月)夜10時~ 全国TBS系でON AIR
<今回取り上げる主な選手>
辻内崇伸(25) 投手 大阪桐蔭高~巨人(高校生ドラフト1位)
細山田武史(27) 捕手 鹿児島城西高~早稲田大~DeNA(ドラフト4位)
山室公志郎(26) 投手 桐光学園高~青山学院大~ロッテ(育成)
安斉雄虎(22) 投手 向上高~横浜~DeNA(ドラフト3位)

(オグマナオト)