『父の戒名をつけてみました』。
サラリと大胆なことを言い放つタイトルである。
著者はルポライターの朝山実。プロフィールを見ると、地質調査員、書店員などを経てライターになったとある。花村萬月や井筒和幸、イッセー尾形らの単行本の編集を手がける一方で、インタビューも数多く担当。元・坊さんでも、現役の坊さんでもない。

なぜ、自分で戒名をつけようと思ったのか。著者はこう説明する。

“取るものも取りあえず、とよく言われるが、わたしの場合、父の訃報を聞いて鞄に入れたのは『戒名は、自分で決める』『葬式は、要らない』という、宗教学者の島田裕巳さんの新書二冊だった”

これら2冊は高価な葬儀や戒名に対する懐疑をひもといたもので、当時のベストセラー。『戒名は、自分で決める』は、故人と親密だったものが戒名をつけるのも可能だと説く。巻頭には「戒名作成チャート」があり、ステップに従い、故人を現すのにふさわしい文字を選ぶと、誰でも戒名がつけられるようになっている。

著者の父親は元気だったころ、「葬式なんかいらん」「坊主は頼まんでもええ」と言い、著者の「だったら、戒名はぼくがつけようか」という言葉に「おまえがかぁ」と笑っていたという。また、檀那寺(檀家としてつきあいのある寺)に対し、父親は「先代はよかったけど、いまのあの坊主はアカン。何かというと金カネ言いよって」と不満ももらしていた。
こうした生前のやりとりを考えると、著者が父親の戒名をつけようとするのは、むしろ自然な流れのようにも感じる。

しかし、この“オリジナル戒名”を発端に、著者はとんでもないもめ事に巻き込まれていく。

檀那寺の住職には「そんな常識外れなことをしたら、仏さんは浮かばれないよ」「あなた、そんなおかしなことを言うていたら、墓に入れないよ」と恫喝するような口調で言われ、あげく「亡くなられたのは誰だか、わかっているのか」と叱責される。

葬儀社に紹介してもらった代役の坊さんには「今回はこの戒名は私がつけたことにしていただけませんか」「ですからほんとうにお気持ちでけっこうですので、お布施とは別に、なにがしかをお包みいただけましたらですね」と遠回しに戒名料を請求される。ただし、金額を明示されない。あくまでも「お気持ち」なのだ。


出版業界では条件や報酬額が明示されないままに仕事がはじまることが少なからずあり、他の業界の人から驚かれたり、呆れられたりする。しかし、お弔い業界の曖昧さ加減も、たいがいだ。

戒名に葬儀、お墓の問題。直近で亡くなった人だけではなく、ご先祖さまの供養の問題も浮上する。さらに相続をめぐる兄弟姉妹の認識の違い、親との確執も噴出。筆者の場合は、兄から二億円を請求される。
これは本来、亡くなった父親が払うべきものであり、払わなければ「相続の話に入ることができんから」という。てんやわんやである。

もめごとが一段落した後、「電化製品を買ったあと、他店で値段のチェックをするよう」に検証をすすめるくだりも興味深い。

なぜ、「いちばんこじれやすいのは、(遺産が)三千万から五千万円以下」なのか。
遺産の話し合いに立ち会ってもらうなら税理士と弁護士、どちらがいいのか。
戒名なしでも葬式はあげられるのか。

結局のところ、戒名は自分でつけてもいいのか。

戒名に関する著書もある社会学者の橋爪大三郎は、筆者との対談のなかで、こう語っている。


“たとえるならまあ、戒名というのは、バレンタインデーのようなものですね。(中略)バレンタインデーに根拠がないことは、みんなが知っている。根拠がないからと無視しますか? 根拠がなくてもいいんです。チョコレートを配るのは、みんながやっている。
だから、意味がある。これが、日本人ならではの考え方です。”


バレンタインデーだったのか! 

『父の戒名をつけてみました』。(朝山実/中央公論新社)
『戒名は、自分で決める』(島田裕巳/幻冬舎新書)
『葬式は、要らない』(島田裕巳/幻冬舎新書)


(島影真奈美)