ふたつの言語で文学作品を書いた人は多い。
ベケット(英語とフランス語)やナボコフ(ロシア語と英語)、クンデラ(チェコ語とフランス語)、多和田葉子(ドイツ語と日本語)などがいる。


いったんかたほうの言語で書いたものを、自分でもうひとつの言語に直すということも多い。ある作品の最初のヴァージョンを書く言語が、必ずしも母語とはかぎらない。
よく知られていることだけど、ややこしいので書いておくと、イサク・ディネセンという男性名で英語で書いた作家の正体は、カレン・ブリクセンというデンマーク人の女性(1885-1962)だった。
ブリクセン(ディネセン)がややこしいのは、ふたつの性を示すふたつの名前を使って、ふたつの言語で小説を書いた点だ。
イサク・ディネセンとして書いた『アフリカの日々』(1937)には、横山貞子による日本語訳(晶文社。河出書房新社《池澤夏樹=個人編集世界文学全集》1-8にも収録されている)がある。
けれど、ブリクセン名義で母語に自分で訳したものからの日本語訳(渡辺洋美訳『アフリカ農場』、工作舎および筑摩叢書)もある。

『アフリカの日々』は、1985年にメリル・ストリープ主演で映画化されたときに、日本では『愛と哀しみの果て』という意味不明の題で配給された。
配給会社のせいで『愛とナントカのカントカ』や『死霊のナントカ』『悪魔のカントカ』という映画が多すぎて、べつの意味でややこしい。
もっとややこしいのは、1987年に映画化された『バベットの晩餐会』もディネセン名義で英語で書かれ、岸田今日子による訳(シネセゾン)があるけれど、作者自身がデンマーク語に訳したほうにはかなりの書き足しがあるそうで、こっちは桝田啓介訳(ちくま文庫)がある。

ところが、デンマーク語からの訳なのに、著者表記はブリクセンではなくディネセンのままなのだ。
いや正確にはちくま文庫の『バベットの晩餐会』の作者表記は〈ディーネセン〉。
ほかにもファーストネームを英語読みした〈アイザック・ディネーセン〉とか、音訳までいろいろあってさらにややこしい。
またこの作家は、このふたつの筆名のほかにも、さらにべつの筆名を複数使っていたという。
デンマーク語? 英語? 男? 女? ブリクセン? ディネセン? ディーネセン? ディネーセン? イサク? アイザック? アフリカの? 日々? 農場? 愛と? 死霊の? 盆踊り?

めんどくさいからなんとかして。

おまけに。
ディネセンの小説集『七つのゴシック物語』(横山貞子訳)は、1981年から1982年にかけて晶文社で刊行されたときは『1 夢みる人びと』『2 ピサへの道』という構成だったのに、昨秋めでたく白水Uブックス版で再登場したときには逆に『1 ピサへの道』『2 夢みる人びと』になっている!

なんで逆にしたの? と思ったら、英語版の前半4篇が『1 ピサへの道』収録作、後半3篇が『2 夢みる人びと』収録作、ということで、これが英語版の順番なんだって。
ということは、30年以上前の初訳のほうが逆だったってわけ? ややこしいよ…。

ひょっとしてデンマーク語版が前半後半逆なのか?

と思ったら、メフィスト賞作家・関田涙さんのサイト(関田さんは取りあげる本のセレクトがいちいち僕好みで嬉しい)によると、そうではなくて、でもまったく同じなのでもなくて、1篇目と4篇目(Uブックス版だと1巻目の最初と最後)だけが順番入れ替わっているらしい。

い い か げ ん に し て く れ 。

短篇集の収録作や順番や題名が版によって微妙に(あるいは大きく)異なっているのは、それ自体はよくあることで、《ジーヴズ》シリーズのP・G・ウッドハウスや先年亡くなったSF作家J・G・バラードの英国版と米国版の違いなど、ややこしいのがあたりまえなんだけど、それ以外の部分ですでに充分ややこしいものだから、こちらとしてもね、もういい加減まいってるんですよ。

この原稿は僕ね、もともと『七つのゴシック物語』の白水Uブックス化を記念して書きはじめたんですよ。
でも、凝った構成の小説を集めた作品集なんだけど、かれこれ30年くらい感じてた「ブリクセン(ディネセン)ややこしいな」という思いが、文章を書いてるうちに再燃してしまったうえに、たどりついた関田涙さんのサイトの紹介文(さすがミステリ作家。ネタバレを回避してます)があまりによくできているので、もう筋の紹介はやめた!

ブリクセン(ディネセン)の小説は、とにかく「物語」としてきっちりできている。

水が漏れないような構成になっている。構成の凝り具合で読者をねじ伏せてくる。
埃っぽいリアルではなく、ピクチャレスクな鮮明さで、画面のすみずみまで焦点が当たっているような人工的くっきり感がある。
編み物ふうに言うと、記述があまりに「目が詰んでいる」。目が詰みすぎて息苦しい。悪く言うと風通しがよくない。
これは、いろんな訳者が、デンマーク語から訳しても英語から訳しても、ほぼ共通しているから、もう作者本人の作風だと思うんですよ。
そういうのってちょっと僕、ほんというと好物ではないはずんだけど、でもね、これが滅茶苦茶よくできた細工だってことくらいは、僕のような節穴読者にもさすがにわかるんですよ。

今回、以前と違う順番で読み直してみて(内容をあらかた忘却していた自分の輝かしい記憶力はさておいて)、1巻所収の「猿」のようなサプライズのある奇想、2巻所収の「エルシノーアの一夜」のようなロマンチックなホラー、同じく2巻の「夢みる人びと」「詩人」のようなひねり(と、そして皮肉)の効いた構成のものまで、やっぱり一篇一篇、感心しちゃうんですよ。
綺麗に絵つけされた陶器みたいに、済ました顔して「ちんと坐ってる」。そんな細工物みたいな小説集です。
いろいろややこしいけどね!
(千野帽子)