いとうせいこう著『親愛なる』は、パーソナライズ小説だ。
購入するときに入力した個人情報を使って小説の細部にアレンジが施されるのだ。


届いた本。
表紙のタイトル「親愛なる」の下に「米光一成様」とある(ぼくの名前だ)。
その下に住所だ。
個人情報だらけの本(だから写真では住所部分を指で隠した)。

開くと「第一信」。
いとうせいこうから、自分に向けて届いたメールのテキスト。
メールアドレスも、自分が使っているいつもの、アレだ。

『親愛なる』は、1997年、メール配信のみで発表された『黒やぎさんたら』という小説を紙の本として出版したもの。

ゲームなら、「おお、よねみつよ!」とパーソナライズされた呼びかけが多々使われる。
だが、紙の本で、それを物体として手に持って読む、というのは体験として衝撃が違う。
興奮する。
紙の本なのに、俺の名を呼ぶ。


“そこに見ず知らずの貴方から、長大なメールが届いたわけです”
困惑気味の返信として、小説ははじまる。
いやいやいや、ぼくは、いとうせいこうさんにメールを出した記憶はありませんよ。
と思いながら読みすすめ、いっきに小説の世界に入りこんでしまう。
いや、ほんとうに、実物の文字として、自分の個人情報が入り込んでいるのだから、これは比喩ではない。
実際に、自分が、この小説の世界に入り込んでいるのだ。
ああ、詳しくは書けない。
ネタバレになる。
しかも、ぼくが手にした本と、あなたが手にする本は、そもそも同一ではない。
どこからどこまでパーソナライズされているのか。自分用の一冊しか読んでいないぼくには、確証がもてるわけがないのだ。
だから、詳しく書いた本の紹介が、あなたが読んだ『親愛なる』と違う、ということも起こりえる。

パーソナライズされた部分、おおよそは、こことこことここだろうとわかる。
大きな組み換えではないだろうから。
ネット上に「ドリーム小説」というものがある。
特定の登場人物の名前を読者が自由に設定して読むことのできる小説だ。
二次創作の恋愛モノが多い。
あははうふふしてる小説のキャラ名を自分がいいなーと思う組み合わせに変えられるのだ。
名前変換小説とも呼ばれる。

『親愛なる』は、仕組みとしてはドリーム小説と同じものだ。
それが紙の本として手に持てるという違い。
もうひとつの違いは、著者がいとうせいこうだということ。
名作『波の上の甲虫』(『南島小説二題: いとうせいこうレトロスペクティブ』に収録)で、メタフィクション的な仕掛けで驚愕を読者に与えたいとうせいこうだ。
すでにパーソナライズを使って虚実が混乱しているのに、小説の仕掛けでさらに虚実の階層を突き破る。
「いとうせいこうVS自分」のゲームが宣言され、だが、読者である自分はゲームから降りることができない(いや、正確には読むのをやめればいいのだが、そんなことできるわけがない)。

途中から、アジアンサイバーパンク小説も登場し、読んでいる間に罠だと思いながらも、そこに堕ちていく快楽。
奇妙な読書体験だ。

挿絵は、寺田克也、KYOTARO、フキンの3バージョン。
誰の挿絵になるかは届くまでわからない。
BCCKSの「親愛なる」サイトで、8月31日までの期間限定発売。
(米光一成)
編集部おすすめ