同書は教科書的ではあるが、従来の定説とは異なる見解もところどころで出てくる。たとえば、大戦後の1919年に結ばれたベルサイユ講和条約は「ドイツ側に過酷な」条約だったという評価も、現在ではかなり修正されているようだ。ドイツに対し払えきれないほどの賠償金が請求されたことはよくいわれるところだが、じつは条約には賠償総額は記されず、1922年に初めて確定したものだった。《総額と支払い方法に問題があったことは確かだが、それも交渉によって修正可能であったし、事実一九二四年以降にかなり修正、緩和された》という。
■大戦が日本にもたらしたバウムクーヘン
第一次世界大戦では先述のとおり、日本も早々に参戦している。しかし実戦は、中国のドイツの租借地だった山東省青島とドイツ領南洋諸島の占領によって2カ月ほどで終了、損害もごくわずかだった。大戦の主戦場はあくまでヨーロッパであり、代わって生産・輸出を担った日本とアメリカは濡れ手で粟の利を得たとは、よくいわれるところだ。
大戦と日本の直接的なかかわりとしては、戦闘と特需以外にもまだある。たとえば捕虜の収容。青島などで日本軍の捕虜となったドイツ兵たちは、まず日本国内の大都市の寺院などに収容された。1915年以降は、戦争の長期化に備えて大規模な捕虜収容所が各地に建設され、捕虜たちはそこに集約される。