ペペロンチーノは、にんにくと赤唐辛子をオリーブオイルで熱し、茹でたパスタを絡めただけの、ごくシンプルな料理。
ぺペロンチーノは、チーズやアンチョビといった、パスタ料理によく使われる旨みやコクを出す食材を一切使わない。「書斎派パスタ求道者」を自称する土屋は、ぺペロンチーノを「食材を最低限にしぼり込んだうえで、味をどこまで極めていくか。
なんにせよ、材料もごくわずか、作る行程も数行で説明できる料理で1冊もつのか?という疑念が生じるかもしれない。しかし、それは杞憂である。通読して分かるのは、読み物としての体裁を整えるために「新書1冊にまとめた」のが本書であり、実際にはこれを遥かに越えるトライアルアンドエラーがあったということ。
そんな狂った(褒め言葉)レシピ本である『男のパスタ道』のキモは、「パスタの常識」に対する土屋の宣戦布告にある。「パスタの種類」「茹で方」「にんにくと唐辛子の種類・切り方」等々、ペペロンチーノを材料・調理の行程ごとにバラし、その1つひとつを仔細に、執念深く検証していく。「最高に美味しいペペロンチーノの作り方」という“謎”に対して、数々の仮説が立てられ、幾度も実験が繰り返される――。その様は、さまざまな(じつは)根拠なき言説や思い込みにまみれた「ペペロンチーノ」というミステリーをめぐる推理モノのようであり、ひじょうにスリリングだ。
例えば、よく議論の的になる、パスタを茹でる際の「塩」の問題。
塩を入れることで沸点は上がる。沸点が上がれば、確かにパスタのコシは強くなる。しかし、塩を少々増やしたくらいでは、目に見える変化はなく、食べてもその違いを見分けることは難しいという。そこで土屋は、圧力鍋(!)でパスタを茹でることで沸点を110度まで上げてみせる。
たしかに塩を多めに入れれば、パスタの食感は変わる。しかし、それは沸点が上がるからではなく、塩そのものによってパスタの弾性が増すからなのである。
そして、もう1つ、おそらく本書においてもっとも衝撃的なのが、「オイル」にまつわる章だろう。
ペペロンチーノのオイルといえば、「エクストラ・ヴァージン・オリーブオイルか、ピュア・オリーブオイルか」という議論がある。オリーブの実本来の味・香りを生かす製法で作られた前者、科学的に精製したオリーブオイルがベースの後者――となると、前者に軍配が上がりそうなものだが、前者は加熱することで苦みや辛みが強くなるので、ペペロンチーノには向かないという意見をよく耳にする。ちなみに、私自身もそう思い込んでおり、これまでペペロンチーノを作る際にはピュア・オリーブオイルを使用していた。
本書では、加熱した油をテイスティングする実験もしている。が、その結果は、なんと「どちらも美味しくない」というものであった。
オリーブオイルの芳香成分は揮発性が高いため、加熱すれば失われる。その一方、酸化だけは進むから、深いな味や臭気、ベタつきが発生する。苦み・辛み成分は加熱によっても失われることがないので、前と変わらず、トータルで見ると、加熱したときのほうがまずい、という展開になる。
加熱前でも苦みや辛みはあり、それはオリーブオイルのよい香りによって目立たなくなっていただけだったのだ。
じゃあ、オリーブオイルがダメなら、何オイルを使えばいいわけ? というか、本当にオリーブオイル使わないの?ということになる。勘のいい人は「もしかして…」とアタリを付けられるかもしれないが、それはいわゆる「ネタバレ」になる気がするので、ここには書かない。じっさいに本に当たってみて欲しい。あ、でも、書店でその部分だけ先に読んでしまうのとかはナシだ。そんな推理小説を後ろから開くような無粋な読み方をしてしまうのはもったいない。「美味しさ」への道程こそが、『男のパスタ道』の読みどころなのだから。
ちなみに、巻末には材料にこだわり手間をかけた「勝負ペペロン」、その簡略版「休日ペペロン」、さまざまな実験の副産物である「時短ペペロン」(麺を水から茹でる)と「生パスタ風ペペロン」(茹でる前にパスタを水に漬けておく)の4つのレシピが掲載されている。「時短ペペロン」は、素材や銘柄の指定がほぼなく、家に常備してある材料でできたので、私はひとまずそれに挑戦してみた。味も香りも(ここ重要。オイル使いの秘密が隠されている)歯ごたえも申し分なし、これまでに自作したなかでは、もっとも美味しいペペロンチーノだったと思う。これで簡略版レシピなのだから、材料などにもこだわった「勝負ペペロン」なんて作った日には……。
(辻本力)