新しい日本文学全集が刊行される。全30冊。

編集しているのは池澤夏樹。小説家であり、翻訳家でもあり、書評家でもあり、娘は声優の池澤春菜、父は小説家の福永武彦。
池澤は2007年から2011年にかけて世界文学全集も個人編集で刊行している。ミーハーなことを言うと、この世界文学全集がめちゃくちゃオシャレだった。作品のセレクトも、装丁も、ミーハー心がくすぐられた。
そして2014年11月から、待望の日本版の刊行!
最初に出たのは池澤夏樹が訳しなおした『古事記』。
……やっぱりオシャレ!
刊行記念イベントとして、11月29日に新宿紀伊國屋サザンホールでトークイベントが行われた。登壇者は池澤と、ノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎。

日本文学全集の後押しをした「東日本大震災」


池澤「今の時代は『教養』から『消費』へと変わってしまっている。今までと同じ全集を作ってもしょうがない。ポリシーをもってつくったのが世界文学全集です。古典を全部外して、第二次世界大戦以後の作品だけを集めた」

新訳も多く、これまでの文学全集とは違った雰囲気のあるこの全集は、多くの読者に支持された。
出版元の河出書房新社は「日本文学全集もぜひ!」と依頼していたのだとか。

池澤「なんと安直な、できるはずがないと思った。海外の作品は読んできたけれど、日本の古典については明るくない」

一度は断った日本文学全集の企画(ただ、ぼんやりとリストを作ったりはしていたらしい)。世界文学全集が完走したのは、2011年3月のことだった。言うまでもなく、東日本大震災が発生した月だ。

池澤「後押しになったのは東日本大震災。
どうしてこんなに日本は自然災害が多い国なんだろうと、日本の風土や自然や、気候について考えるようになった。日本は他の国の侵攻や占領をほとんど受けていないから、長い文学史と言語史を持っている。こんなに長いのは他には中国しかない。文学を読むと、日本について多くのことがわかるんです」

池澤は日本の古典を読みふけり、「最初から最新まで」の日本文学全集のリストを作った。一味違うのは、古典の扱いだ。池澤個人編集の日本文学全集では、若手の人気作家たちが古典の新訳を行う。


古典を新しく訳すということ


池澤「『お勉強』をしてほしいわけじゃない。若い人たちや、若くないけど若い気持ちでいる人たちに(笑)、古典をふたたび手に取ってもらいたかった。たとえば三島由紀夫さんは、古典を訳すなんてとんでもない、原文で読まなければダメだと言うかもしれない。三島さんは古典を女神様だと思っている。でも僕は、女神さんの手を引いて一緒に暮らしたい。ヒラヒラした服だと生活しにくいから、セーターとジーンズに着替えてくださいと口説いているんです」

「竹取物語」を森見登美彦、「雨月物語」を円城塔、「たけくらべ」を川上未映子、「好色一代男」を島田雅彦……すごいカップリングだらけだ。


池澤「僕は最初、古い訳でもいいと思っていた。でも編集からのアイデアで、若い現代の作家に頼もうということになった。これは大江さんが言っていたことなんですが、翻訳をすると作家も変わる。古典に一字一字向き合って、自分の文体と古典が出会うと、今までと違った体験をするはず。僕も『古事記』に取り組んで、『池澤夏樹』がバージョンアップした」

池澤は、この取り組みを「実のある文学運動」と言う。日本文学で実力を持った作家たちが古典を訳すことで、読む人を変えるだけではなく、文学観や文学そのものを変えていくのだろうと。


池澤「作品のセレクトは、私のわがまま。個人編集ですから(笑)。三島由紀夫や芥川龍之介、川端康成に一冊を割いていない(『近現代作家集』の中に収録)のは珍しいと思う。異論がある方は、それぞれご自分で文学全集をつくってください」

池澤夏樹による「ぼくの考えたさいきょうの日本文学全集」(最強すぎる)。

池澤「ポリシーは丸谷才一さん(小説家・批評家。2012年10月没)のものを受け継いでいます。日本の文学にとって私小説は脇道で、モダニズムがあり、伝統重視かつ実験をしている、大人の策略に満ちた小説こそが本道。ただ丸谷さんは『中心』というものを強く意識していたけれど、僕は辺境も好き。中上健次や宮沢賢治、石牟礼道子は無視できません」

大江健三郎、日本文学全集を語る──あるいは丸谷才一の降霊


全30巻のスタートを切るのは、池澤自身が訳した『古事記』。大江は池澤の日本文学全集に推薦の言葉を寄せているが、どう読んだのだろう。

大江「池澤さんの『古事記』を読んでいると、太安万侶(古事記の編纂者と言われている)の顔が浮かんでくるんです。おだやかでユーモアもある。でもやりたいことをしっかり持っている。文章の中に、太安万侶の声を感じます」

大江が初めて『古事記』という作品を読んだのは40代から50代のはじめごろ。アメリカのバークレイで古典のクラスを持った時に通読した。

大江「日本思想大系の第1巻が古事記。読んだけれど、『読書』という感じではなかった。池澤さんの『古事記』は、1冊の本としてスピードを持って読める。いきいきした日本語で書かれていて、歌の美しさを無理なくしみこませる形。脚注もすばらしい」
池澤「『古事記』はすごくスピード感のある文章。訳すときに、説明を文章中に書きこむやり方もありますが、そうするとスピード感が削がれてしまう。なので、説明は脚注に落としました」
大江「日本文学全集の目指すところは、この『古事記』で具体化されている」

大江は丸谷との思い出を語りだす。

大江「私の小説家人生の中で、一番手ごわかったのが丸谷才一。私に対して全面的に否定的だとわかっていた。けれど、丸谷さんのような人がいてくれるから、小説家として生き続けようと思った。それがあるから生きていこうとする存在を神とするなら、そういうものじゃないか」

大江が小説家として活動しはじめたときから、非常に大きな存在だった丸谷。

大江「丸谷さんが私に親切だったことはない。本気で微笑してくれたこともない。ただ、亡くなる数年前くらいから、『あいつも捨てたもんじゃないな』と話してくれるようになった。丸谷さんは日本近代文学には、プロレタリア、モダニスト、自然主義的な私小説があると考えていた。現代の作家で言えば、井上ひさし、筒井康隆、そして大江健三郎だと。でも私について『私小説のようでいて私小説を超えたところにいる』と語ってくれた」

結局最後まで、大江と丸谷は、一緒にひとつの仕事をすることはなかった。

大江「丸谷さん的なものと一緒に仕事ができたらどんなによかったか。でも、丸谷さんを引き継いでいるのか、池澤夏樹。新しいモダニズムに、これから文学をつくろうとする作家が参加しようとしている。丸谷さんだったらこう言うでしょう。『そこが大江君、俺と君とは違うんだよ。俺はその人の前でその人のことを褒めはしない』」

大江健三郎、丸谷才一を降霊させた。


2014年11月から2018年3月にわたって走り始めた日本文学全集と池澤。大江は「あなたは長生きをして、この文学全集の続編を作ってください」という熱烈なエールを送った。気が早すぎる。

(青柳美帆子)