川崎宗則(以下ムネリン)は日本球界復帰も噂されていたが、今シーズンもアメリカに留まりプレーすることとなった。やはりそれはアメリカにイチローがいるからなのだろうか。


昨年発売の「逆境を笑え」(著:川崎宗則/文藝春秋)を読むとこの疑問はあながち間違っていないことに気付く。この人本当にイチロー好きなんだな、それがこの本を読むと分かる。なにせ、221ページの中で約250回「イチロー」という単語が出てくるほどだ。
さらにこの本ではイチローのことをさまざまな呼び名で書かれている。
「規格外のスーパースター」「光」「スーパーマン」「世界一で一番、カッコいい」「ナンバーワンの国宝」「鬼神」など。もはやムネリンにとってイチローはただの憧れでなく、ときに光となり鬼神となる存在なのだ。


【ムネリンとイチローの運命的な出会い】


「まさに、光だった」
ムネリンはイチローと初めての"出会い"をそう表現する。出会ったのは中学時代、友達から「イチローって選手がいるんだよ」と教えられたムネリンは、その後初めてイチローのプレーをテレビで見ることとなる。

そして、衝撃を受ける。なんでこんな細いのにこんなプレーができるのか。
この瞬間からムネリンはイチローにのめり込むようになる。初めて自分の小遣いで買った本は「イチローのすべて」だし、ポスターやカレンダーは全部買った。そして、それまでは右打席で打っていたのにイチローを真似て左打ちに転向した。

さらにムネリンの地元である鹿児島に当時オリックス所属のイチローが来た試合はもちろん見に行った。しかもその試合でイチローがホームランを打ったのだから想いは募る一方だ。

これほどまでムネリンが語るのには理由がある。実は中学時代、スラムダンクの影響などで野球から心が離れかけていたらしい。そんな中、イチローと出会い野球への意欲を取り戻した。本書内では、もし中学時代にイチローと出会っていなかったら野球を辞めていたかもと語っている。
イチローがいなければ、プロ野球選手川崎宗則も大リーガー川崎宗則も誕生していなかったに違いない。

【ムネリンとイチロー、初めての対面】


「そのときが来た。ついに会ってしまうのか」
これはムネリンが2006年WBCメンバーに選出され、遂に本物のイチローと対面する際の心情だ。野球への熱意を取り戻したムネリンはとうとう代表に選ばれるほどのプロ野球選手となった。
同じく代表に選ばれたイチローを、最初に間近で会ったムネリンは頭が真っ白になった。それに加えてイチローが「ムネ君でしょ」と話しかけてくれたのだからもっと頭は真っ白になった。その後のミーティングでの王貞治監督の話もまったく耳に入ってこなかったという。


また、本書では練習中のエピソードが書かれている。若手でないにも関わらずイチローはランニングで先頭に立って走っていた。この姿を見たムネリンは、イチローの実直な野球への姿勢に、嬉しいのと興奮とで訳分からない感情になり、思わずこう叫んだ。

「イチローさん、カッコいい、カッコよすぎる」

そして無事第1ラウンドを勝ち上がった日本はアメリカと対戦する。そのアメリカ戦、先頭打者として打席に立ったイチローはいきなりホームランを放った。
ムネリンは本書でこう回想する。
このホームランは中学生の時、鹿児島で初めてイチローを生で見た日に彼が打ったホームランと重なったと。
まるで少女マンガのようだろう。中学の時に見た憧れの人の姿は10年以上も経ってもなお、変わることはないし、憧れを抱いている側のムネリンの想いもまた、10年以上の時を経ても不変なものなのだ。

しかし、疑問なのはイチローの方はムネリンの熱すぎる想いをどう受け止めているかだ。その答えはこのWBCを優勝という最高の形で終え、解散する際にムネリンに言った一言がすべてだろう。
「ムネ、いつも見てるからな。
(日本でも)頑張ってこいよ」
イチローもまた、弟のように慕うムネリンに対して特別な想いを抱いていたのではないか。

【ムネリンとイチロー、再会】


第2回のWBCで二人は再会するが、両者にとっては苦しい大会だった。イチローはスタメンながらも不振を極め、ムネリンはベンチ要員だ。
だが、他の選手も頑張りもあり決勝戦へ。場面は同点に追いつかれた後の攻撃、10回の表、1アウト1塁3塁。この場面でムネリンは代打に選ばれた。次の打者はイチローだ。
不振で大会中、苦しい思いをし続けたイチローを何とか楽にさせてあげたい。そうなると自分がここで打たなければならない。だが、その気持ちが力みになったのか、凡退してしまう。ムネリンはベンチに戻って「イチローさんをこんな苦しい場面で迎えさせてしまうとは。俺が助けないといけないのに苦しめてたのは俺だったのか」と強く自分を責めたという。
しかし、ここで打つのがイチローのイチローたる所以だろう。みなさんもご存じの通り、イチローは試合を決めるタイムリーヒットを放った。ムネリンは「目の前に鬼がいた」と"イチローは鬼"という独特な表現でその時の様子を振り返る。自分の失敗を助けてもらったイチローに対してさらに想いが増したことは間違いないだろう。

【成就】


「イチロー選手と同じチームだけを希望しています」
このムネリンの発言は大きな話題となった。それまで日本で培ってきた実績を捨て、イチローと同じチームでやりたいという気持ちだけで海を渡った。
もちろん、なにを考えているんだと批判する人も数多くいたが、本書でムネリンはこう反論する。「価値観はいろいろ。俺は正々堂々、後ろめたいことはしてない」
また、いつもこの先目指す方向を指す光が見えているから、それに向かって進むだけとも語っている。この光こそ、中学生の時に見た光(=イチロー)だったのではないか。

また、こんな感動エピソードも紹介されている。
ムネリンはマリナーズに入団したものの、マイナー契約だった。そのため、オープン戦で結果を残さなければ、イチローとともにプレーするという夢も幻に終わる。だが、想いが通じたのかムネリンは活躍し、無事にメジャー契約を勝ち取る。
そのことをクラブハウスでイチローに報告すると、イチロー自身も感極まって肩を抱き寄せてこう言ってくれたらしい。
「ムネ、頑張ったもんな」
この発言からも分かる通り、イチローはよくムネリンのことを見ている。
たとえば、誰もが気がつかないムネリンの強がりを見抜き「お前嘘ついてるな、見栄張るな」と話しかけるのだ。どんなに取り繕っていてもイチローだけには分かってしまうらしい。

【突然の別れ】


だが、そんな幸せな日々も長くは続かない。それはあまりに突然だった。相思相愛ともいえる関係のイチローが居なくなってしまったのだ。
ムネリンはその時の様子を「イチローさんがいるクラブハウスといないのでは全然違った、ポッカリと穴が空いた感じだった」と述べている。
だが、敵として対戦して改めて、イチローの凄さや偉大さ、そして中学生の時から抱いているイチローへの気持ちが変わらないことを実感したらしい。

【別れを乗り越えて】


イチローとの"別れ"を乗り越えてムネリンは奮闘した。その頑張りに野球の神様がご褒美をくれたのだろう。2013年、イチローの4000本安打達成の瞬間を一番いい場所(相手チームの二塁手として)で見ることができたのだ。
その時の様子の興奮ぶりが本書では痛いほど伝わってくる。
「日本人で一番最初にあのボールに触ったんだ。当然、指紋、めっちゃつけたよ」
「最初は本気で他のボールにすり替えて持って帰ろうと思った」
だが、このボールすり替え計画は審判に早く返せと怒られ、あっけなく失敗に終わってしまった。

そして時は流れて今シーズン、イチローはムネリンとは違うリーグとなるマーリンズへ移籍。物理的な点ではもっと遠い存在になってしまった。さらにムネリンは今季もマイナー契約からのスタートだ。
しかし、イチローが近くにいなくてもムネリンは奮闘している。その姿を見た野球の神様は、必ずやメジャー契約というご褒美をくれるだろう。ムネリンは今日もイチローという光を追いかけてプレーし続ける。
(さのゆう)