
《ひょっとすると松井玲奈は、映画やテレビドラマ以上に舞台向きなのではないか。
つい3週間前、舞台版「マジすか学園~京都・血風修学旅行~」の記事のなかで私はそう書いた。いや、それより前、今年2月に公開されたSKE48のドキュメンタリー映画での松井玲奈のインタビューなどからも、すでに似たような予感を抱いたファンはきっと少なくないだろう。だが、まさかこんなに早くそれが的中しようとは。私としてはまったく予想外だった。
卒業の理由などは、すでにほかのたくさんのメディアに出ているから、そちらに譲るとして、この記事では私なりにSKE48における松井玲奈の軌跡を振り返ってみたい。
好きなものの魅力を存分に伝える才能
私がSKE48のファンになったのは2010年、グループ結成3年目ぐらいだが、松井を初めて生で見たのは翌年の春のZepp名古屋でのコンサートと、ちょっと時間がかかった。その頃からすでに松井はグループ外での仕事が多く、地元名古屋の劇場公演やイベント、あるいは地元テレビ局のSKE48の番組で見るのはほかのメンバーとくらべると結構レアになっていた。私が初めて行った2010年秋のSKE48のイベント(テレビ番組のDVD版リリース記念のイベント)も欠席だったし、2011年2月に初めて観た名古屋・栄のSKE48劇場での公演にも出ていなかった。
ただ、なかなか生で見られない分だけ印象に残っていることは多い。
鉄道以外にも、松井がアニメやアイドルなどさまざまな分野のマニアであることは以前からよく知られている。もともとは二次元好きで、それが三次元のアイドルに目覚めるようになったのは、AKB48が音楽番組で「スカート、ひらり」を歌っているのを見たからだという。《サビで女の子がスカートを翻していて、ものすごく2次元的だと思ったんですよ! 普通の3次元の女の子はスカートひらりしないじゃないですか。それをしているのがすごく2次元的で、そこにすごく惹かれました》(KADOKAWA MOOK『1990X』)というその理由はじつに独特だ。この発言にしてもそうだが、自分の好きなものの魅力をほかの人にもわかるよう伝えられる彼女の能力には、いつも感服してしまう。
「SKEでやり残したことがなくなった」発言の真意
個人としてではなく、SKE48というグループの一員として記憶されるできごとももちろん多い。
2013年夏のAKB48グループの全国ドームツアーでのナゴヤドーム公演では、念願だった翌年2月のSKE48単独でのナゴヤドーム単独コンサートが発表され、「SKE48単独でのツアーや大きな会場でコンサートがしたいとメンバーと話していたので、すてきな発表を地元・名古屋で聞くことができてうれしく思います」と涙ながらにコメントしていたのが思い出される。
また、2012年の紅白歌合戦初出場時の舞台裏では、彼女がほかのメンバーに向けて、ここまで来られたのはファンやスタッフなど周囲の人たちのおかげだと切々と語りかけていたのも印象深い。この様子は、映画「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」に収録されていたが、いま思い出しても目頭が熱くなる。
昨年夏に名古屋の日本ガイシホールで開催された乃木坂46のコンサートでは、当時交換留学生として同グループを兼任していた松井も出演していたが、誰よりも汗をかいていたその姿に「ああ、玲奈さんがSKE48の魂を乃木坂に注入しようとしている!」と思ったものだ。
個人での仕事がますます増え、SKE48のメンバーとして活動する機会は減っていたとはいえ、それでもグループのことを忘れることは片時もなかったはずだ。外部での彼女の活躍がグループに恩恵をもたらすということも多々あった。今年、SKE48がリニア・鉄道館の親善大使に選ばれたのはその顕著な例だろう。
昨夜のラジオのなかで、松井は卒業を決めた理由の一つとして「自分のなかでSKEとしてやり残したことがなくなった」ということをあげていた。グループのためにすべてをやりつくしたという自負のこもった言葉だと思う。
8月末までにライブやイベントもいくつか予定されているという。SKE48劇場で行なわれるはずの卒業公演はきっとAKB48の前田敦子の卒業以来の盛り上がりになるに違いない。地元のファンとして松井玲奈をどうやって送り出すべきか。いまから心の準備をしておきたい。
(近藤正高)