「マンザナ強制収容所」とは
かつてアメリカには、10カ所の日系人強制収容所があった。
裁判も有罪宣告もないまま市民権をはく奪し、財産も放棄させ、収容所送りにする───法治国家としてメチャクチャな話だが、政府は「真珠湾攻撃により米国市民の日系人への感情は悪化している。暴徒から彼らを守る必要がある」とし、強制収容所を管理する役所は、そのうちの1つである「マンザナ強制収容所」に関して以下のような目標を掲げていた。

一、不毛の土地を農場に開拓。
二、収容者の生活用の食料の生産。
三、軍用の迷彩網、弾薬帯などの製造。
四、収容所内外での個人的雇用の推進。
五、連邦政府に、ではなく、収容者自身の運営による自給自足の共同社会の創造。
(こまつ座の公演雑誌「the座」No.87より)
一見もっともな内容だが、強制収容所は強制収容所である。自由を奪われたその生活は、過酷なものだったという。収容所のバラック住宅の壁は、そのまま外壁とイコールであり、砂嵐によって砂が入り込むのは日常茶飯事、壁の隙間に布を詰め込み砂を防いだ。また、所持品は入所時に持ち込んだ荷物のみ。支給された寝具は、軍用の簡易ベッドとワラ入りのマットレス、軍用毛布2枚のみという貧弱なものだった。
そんなマンザナ強制収容所を物語の舞台とした演劇『マンザナ、わが町』を観てきた。
井上ひさしの戯曲を上演する劇団「こまつ座」の公演だ。

マンザナは、アメリカ北部に位置する山と砂漠が広がる広大な土地である。その地に日系人強制収容所が建設されたのは1942年のこと。前年の日本軍による真珠湾攻撃をきっかけに、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトが出した大統領令に準拠した軍命令によって、特定の地域から日系アメリカ人たちを敵性国人として排除した。その数、約12万人。彼ら日系人の2/3はアメリカの市民権を持っていたにもかかわらず、土地や家屋を捨てさせられた上に、強制収容所送りとなった。
マンザナは強制収容所にあらず? デタラメ劇中劇『マンザナ、わが町』
『マンザナ、わが町』は、収容所の所長命令で行なわれる劇中劇のタイトルでもある。上演のために集まられた5人の女性収容者は、映画俳優、歌手、ステージマジシャン、日本語新聞社主筆、浪曲師という多彩な顔ぶれだ。

だが、この台本というのが「マンザナ良いとこ、一度はおいで」的な内容であり、収容所の実態と大きくかけ離れている(「日系人たちの自治によって運営されるひとつの町だから、マンザナは強制収容所にあらず」という理屈で美化しているのだ)。そのことに戸惑い、バカバカしく思いながらも、リーダーである新聞社主筆の熱意に押され、メンバーは稽古を重ねていく。しかし、この空疎な台本には、ある秘密が隠されていたのだった……。
ヘヴィな内容ではある。しかし、溌剌とした5人の女性が、作品を暗くしない。

日本人としてのアイデンティティとアメリカ人としてのアイデンティティのあわいで揺れる5人の女性を通して、『マンザナ、わが町』は、「戦争と日本人」のアナザーサイドを浮かび上がらせる。戦後70年の節目に実現した、じつに18年振りとなる上演をお見逃しなく。
ちなみに、日系人たちの自治をベースにしたマンザナ強制収容所内での生活は、収容者たちの創意工夫と、彼らに同情的なアメリカ人職員たちの協力もあり、次第に改善されていったという。このへんについては、マンザナ強制収容所で暮らし、その生活を密かに記録したカメラマン、東洋宮武のドキュメンタリー映画『東洋宮武が覗いた時代』に詳しい。
また、この作品のエンドミュージックを担当するのは、ミクスチャーロックバンド「リンキン・パーク」のメンバー、マイク・シノダだ。彼は日系アメリカ人であり、サイドプロジェクト「フォート・マイナー」のアルバム『ザ・ライジング・タイド』には、第二次大戦中に収容所送りにされた家族についてラップする「KENJI」という楽曲も収録されている。

『マンザナ、わが町』公演は10/25(日)まで。会場は新宿東口・紀伊國屋ホール。公演の詳細はこちら。
10/22(木)13:30の公演終了後には、土居裕子、熊谷真実、伊勢佳世、笹本玲奈、吉沢梨絵によるキャストトークショーも追加開催される。
(辻本力)