30年ぶりのTV新シリーズが放送中の『ルパン三世』。第4話「我が手に拳銃を」は、ルパンの相棒であり、早撃ち0.3秒のガンマン、次元大介を主人公にしたマカロニウェスタン風の一篇だ。

新「ルパン三世」4話。マグナムで人を撃ち殺さない次元は“渋くてカッコいい”のか
「次元大介の墓標」DVD/KADOKAWA

舞台はイタリアのどこかにある寂れた町。虫歯に苦しむ次元は、痛み止めを求めて病院のあるこの街にやってきたのだ。

虫歯は次元の持病のようなもので、TV第2シリーズ第1話「ルパン三世颯爽登場」では歯痛に苦しんで歯医者の治療を受けていた。TVスペシャル『ルパン三世 炎の記憶~TOKYO CRISIS~』でも虫歯の痛みで銃が撃てないシーンがあったりする。よっぽど歯を磨くのが嫌いなんだろうか。

次元が対決するのは、町を支配しているエリクという名前のギャングとその一味。この町ではエリクの許可なしに拳銃を持つことができず、拳銃を持っていることがバレたら急所をわざと外した一斉射撃で「生きた屍」にされてしまう。だからついたあだ名が“殺さずのエリク”。

病院の女医リービアは次元が持っている銃を預かることを条件に診察を引き受けるが、入院していた老人ニノが次元の銃を勝手に持ち出してしまう。エリクに「生きた屍」にされた友人の仇討ちをしようとしたニノだが、無残な返り討ちに。

自分の無力さを嘆くリービアは単身エリクのもとへ乗り込もうとする。しかし、次元はそれを制止し、丸腰でエリクのもとへと向かう。
エリクの部下に囲まれた次元だが、同士討ちを誘って窮地を脱することに成功。

マシンガンを乱射するエリクだが、次元は取り返したコンバットマグナムでエリクの頭上のシャンデリアを撃ち落とし、あっさり殺害した。一連の推移を見事に推理してみせた銭形警部の有能さにもフォーカスが当てられている。

リービアに別れの言葉もなく、次元は逃げるように町を去る。次元の態度にルパンは苛立つが、「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」と事もなげに一言。ちゃっかりと虫歯の痛み止めは大量にもらっていた次元であった。

流れ者のガンマン、次元大介の人生訓とは?


リービアが次元のショルダーホルスターに入っている拳銃を目にするシーンがあるのだが、第1シリーズのOPで見られるように、次元は普段ベルトに銃を引っかけているかヒップホルスターを使っているので、こうした描写は非常に珍しい。というかスタッフのミスかもしれない。

冒頭で「マカロニウェスタン風」と書いたが、イタリアの田舎町を舞台にした無法者一味と流れ者の対決という物語の構図から連想したものであって、本編で派手なガンアクションやガンプレイはまったくない。エリクの部下たちが輪になって標的を射撃するシーンが何回か出てくるのだが、あれじゃ同士討ちになるだろう……と思ったら、本当に同士討ちになっていた。

SNSを見ると、「渋い」「カッコいい」という評価もあるようだが、個人的にはこういう設定ならガッチリとしたガンアクションが見たかった。宮崎駿監督による『ルパン三世』はルパンや次元が悪党を射殺するシーンがめったにないのだが(まったくないわけではない)、今回の『ルパン三世』もその流れを汲んでいるようだ。


しかし、“人を撃たない次元”は、“むやみに人のものを盗らないルパン”に通じているような気がする。たしかに渋くてカッコいいのだが、せっかく設定年齢が若返ったんだし、もう少しギラギラしても良かったのではないかと思う。

第2シリーズ「バラとピストル」「国境は別れの顔」など、意外とロマンスの多い次元だが、リービアに対して素っ気ない別れ方だったのは、リービアのメガネ顔が好みじゃなかったのかもしれない。メガネを外した顔を見せていれば、また違った展開があったかも。

ラストで「花に嵐の~」という次元のセリフがあるが、これは漢詩を井伏鱒二が訳したものであり、寺山修司が何度も使ったことで有名になったフレーズだ。実はTV第2シリーズ第1話での次元のセリフとほぼ同じである(そのときは「花に嵐のたとえもある。オサラバだけが人生さ」)。どうやらこれが、ルパンとともに流れ者の人生を歩む次元の人生訓のようだ。

さて、今夜放送の第5話は峰不二子がサーカス団の新人マジシャンに惚れてしまうお話。伝説の「トリックレシピ」を手にするのは誰か? タイトルは「魔法使いの左手」。OP映像は片目をつぶって見よう。次元の弾丸が飛び出すよ。
チャンネルは決まったぜ。
(大山くまお)
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