90s

野茂英雄のメジャー挑戦に浴びせられたバッシング 鈴木啓示との確執も

慣れない調整方法や練習方法の変更の影響か、野茂は鈴木就任の翌年(1994年)、右肩の故障などで成績が低迷して入団から続けていた最多勝と最多奪三振のタイトルを逃してしまう。

契約更改で任意引退書にサイン


タイトルを逃した1994年の年末、契約更改に臨んだ野茂は複数年契約や代理人交渉を球団に要求する。当時ではこれらは通例にない要求だったため、球団は拒否し、交渉は紛糾した。
過去にも球団から「キミ(野茂)のことはエースとして扱っていない」と言われるなど関係が良くなかったこともあり、野茂は1995年、任意引退という形でメジャー挑戦を明らかにした。

マスコミとプロ野球界からのバッシング


メジャー挑戦を表明した野茂を待っていたのは、応援ではなくバッシングだった。
新聞や球団、プロ野球OBなどから「態度が悪い」「既に肩は壊れてる」「メジャーで通用するわけがない」「すぐに逃げて帰ってくる」「勘違いで自意識過剰」「生意気」などと散々に批判されることに。

しかし、野茂はそれらの批判に対して一言も反論せず、沈黙を貫いたまま黙々とメジャーからの契約を待ち続けた。

ドジャースへ入団


メジャー挑戦表明から一カ月経った1995年2月8日、野茂はロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだが、年俸は近鉄時代の1億4000万円から980万円に。それでも野茂は記者会見で笑顔を浮かべ、「みんなに憧れられる選手になりたい。でも自分はこれから続く人のためにも失敗はできない」と抱負を述べたのだった。

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「野茂英雄のメジャー挑戦に浴びせられたバッシング 鈴木啓示との確執も」の みんなの反応 9
  • 名無しさん 通報

    鈴木氏は監督としては使えなかった。マスコミも阿呆でした。人を見る目がない奴が多いのは悪い島国根性だな。野茂は偉大だよ。

    48
  • 匿名さん 通報

    本当にレジェンド。日本人達の悪しき村民度に負けずに成功した男。米メジャーで、両リーグでノーヒットノーランってのも凄すぎる。

    18
  • 匿名さん 通報

    当時は野茂と巨人の桑田とで交換トレードまで出てたらしい。言う事聞かないから鈴木近鉄はトレードで放出しようとしてたんだよな

    12
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