この人は天才だと思った。
立川談春『赤めだか』は競艇選手に憧れ、身長が規定よりも高かったために、その世界に進むことを断念せざるを得なかった一人の少年が、立川談志という天才の高座に出会い、魅了され、高校を中退して弟子入りすることから始まる。談春の青春記というべき内容であり、紆余曲折を経て彼が真打昇進を果たすまでが描かれている。冒頭に引用したのはその第1章で、談春が初めて談志の家を訪れたときのエピソードだ。
ぜひ原作の『赤めだか』を
同書の原型は雑誌「en-taxi」(休刊)連載である。連載中から話題となり、読書家の注目を集めていた。2008年に単行本として刊行されるとその人気は爆発し、第24回講談社エッセイ賞も授与されている。2014年11月の落語立川流「談志まつり」においてドラマ化が発表されたが、放映日がなかなか定まらなかった。気になって仕方のなかったファンも多いはずだ。この12月28日が待望のその日である。談春を二宮和也、その師である立川談志を、立川流Bコース(芸能人・有名人に門戸を開いていたが、現在は廃止)で立川錦之助を名乗っていたビートたけしが演じる。たけしは最近、落語へ回帰する姿勢を示しており、立川梅春を名乗って高座にも複数回上がっている。
ドラマの前に、あるいはドラマを観た後でも、ぜひ原作の『赤めだか』を読んでもらいたい。単行本の帯には文芸評論家・福田和也の推薦文が記載されている。
本書の素晴らしい点は何よりも語りの芸だ。読者は、談春の視点を通じて物語の世界に入っていく。主軸にあるのは、師・立川談志の言葉だ。心が翳って挫けてしまったとき、物事が見えなくなって一歩も前に進めなくなったとき、談志の言葉が談春にとっての道標となる。時に厳しく突き放されることもあるが、言動のすべてが理に適っているのである。巨大な存在に見守られながら一つの道を歩んでいくという体験を、読者は談春と共有することになる。だから読んでいて心地いいのである。
人が人を思う気持ちを
個々のエピソードはおもしろく、大いに笑える。そして若き日の談春のとまどいや苦渋もすべて心に残る。本のどこをとってもつまらないページが一つもない本だ。私はこの本を10回以上は読んでいる。
本の後半では、破門された談志の元の師匠・五代目柳家小さん(故人)の存在が大きく浮かび上がってくる。それと同時に、小さんから談志へ、その談志から談春へと伝えられたものはあまりに大きく、読者は圧倒される思いをするはずだ。おそらく今回のドラマ化では、そこまでたどり着かずに談春の二ツ目昇進くらいで幕を閉じることになるのではないか(小さんを演じられる役者もいないだろう)。だとすればぜひ、その後の物語も読んでもらいたい。談志が師への思いを口にする場面は、人が人を思う気持ちを描いたものとして白眉である。
立川談志は2011年に没した。その晩年に刊行された『赤めだか』は、立川談志という落語家のパブリックイメージ醸成にも大きく寄与しているはずだ。それまでは立川談志本人の発言のみが突出していたが、そこに談春というもう一つの視点が加わったのだ。立川流一門の落語家が師・談志からいかに影響を受け、育てられていったかということが本書で初めて広く知らしめられた。同書は、立川流の創設者として談志が再評価される契機ともなったのである。その意味では談春は立川流に大きな貢献をした。
話題になっただけあり、本書は多大な影響を立川流に与えてもいる。まず連載時、立川志らくについてあることを談春が書いたために、志らくは談志から破門されかかった。それは談春が本書に加えたフィクションの部分であったという(『赤めだか』は、現実にとらわれずに物語のおもしろさを優先するという、小説的な部分を備えている)。その部分は、単行本化にあたっては削除されたので、読みたい人は「en-taxi」のバックナンバーを探すしかない。志らくの著書『雨ん中の、らくだ』などにも反対側から見た『赤めだか』の世界が描かれている。
フィクションの中で描かれた談志
また、小説家であり、書評分野でも活躍している立川談四楼は、『赤めだか』のある部分を賞賛したためにやはり談志の逆鱗に触れ、50代にして破門の憂き目に遭うという受難をした(後に談志が撤回)。その経緯については談四楼の小説『談志が死んだ』に詳しいので、こちらもぜひ読んでもらいたい。談四楼は談春の兄弟子であり、談志と行動を共にした時間も長い。それだけに談春の知らない一面も見てきており、『談志が死んだ』は『赤めだか』の良き副読本にもなるはずだ。談四楼には若手落語家がプロボクサーとしてデビューするというスポーツ小説『ファイティング寿限無』の著書もある。主人公の師匠は明らかに立川談志であり、フィクションの中で描かれた談志としては最も魅力的なキャラクターである。
立川談志は著述家としても名を残したが、唯一小説の分野では代表作がない。
(杉江松恋)