
91話はこんな話
九州の炭坑は順調に大きくなり、大阪では、あさ(波瑠)を加野屋の主人と思う人も現れ始めた。それに憤慨する雁助(山内圭哉)を制して、榮三郎(桐山照史)は、自分が八代目になって七年だがあさには叶わないと自覚を語る。
九州からやって来た宮部(梶原善)も、今の炭坑の繁栄はあさあってのことと褒めまくる。
当のあさは、次ぎなる課題に目を向け始めた。それは、長らくの夢である銀行だ。
悲劇フラグが立ちまくり
15週のラストは、千代の健気さに涙するあさ(波瑠)だったのに、16週の最初は、五代(ディーン・フジオカ)のターンの振り返りがメイン。やっぱり五代頼り。いや、それでいい。
あさがみつけた子供のための博物学の教本「通常動物」にペンギンが載っていた。それを五代に見せようとして、仕事の話に阻まれてしまう。
「その些細な話が聞きたかった」と言う五代の哀切の表情は、この人、仕事ばっかりしてきて、些細なことを話して笑い合うお友達に飢えているのね、と涙を誘う。
あさ「いつかまたきっと」
五代「はい、また、いつか」
や、
五代「私が死んだかて、五代がつくった大阪は残ります。我々はいつもそないな仕事をせなあきまへん」
などフラグが立ちまくり。先週から五代の姿があまりに悲しくて、先日、五代のもみあげを白髪にしてあるように書いてしまったが、どうやら照明でそう見えただけだったようだ。
まるで広間に万国旗を鮮やかに飾るように、悲劇フラグをいくつも立ててくれると、エンタメ作家の巧さは、いかに美しくフラグを立てるかにかかっているのだなあと、宮部のように褒めまくりたくなる。
また、あさが褒められることに慣れていなくて、功績を褒められると照れる、かいらしい面を盛り込むことで、なんでもできるスーパーヒロインへの嫉妬心も緩和する。徹底した気配りだ。
今日の新次郎
夜、あさの目を盗み、外出しようとする新次郎(玉木宏)。
そっと、愛用の巾着(?)を掴むところがおかしい。
このひと、やっぱり、ほんとは適度に遊んで(女関係も含め)いて、でも一番大事なあさには悟られない、ほんとの遊びを極めている男なのかもしれない。どこぞのゲスな芸術家も見倣ってほしい。
(木俣冬)
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