1994年3月、ジャニーズから独立して個人事務所を設立した田原俊彦。2011年にバラエティ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)のMCに抜擢され、最近でこそテレビで姿を見ることも多くなり息を吹き返したように思われるが、約20年にわたり芸能界から干される状態が続いていた。


ドラマ『3年B組金八先生』で脚光を浴び、1980年に『哀愁でいと』で歌手デビューした田原俊彦。『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組に頻繁に登場し、主演ドラマ『教師びんびん物語』は当たり役となり主題歌も大ヒット。80年代を代表するトップアイドルだった。
それが、ジャニーズ事務所独立後は『教師びんびん物語』のスペシャルや約1年間の『笑っていいとも!』のレギュラー出演のほかは、音楽番組の出演も連続ドラマもなくなり、テレビで見る機会はほとんどなくなっていた。

【干された原因は「俺はビッグ発言」?】


このように田原俊彦が急にメディアの露出が激減したのは、1994年に長女誕生の記者会見の席上での『俺はビッグ発言』と言われている。当時人気者ゆえに、マスコミに追いまわされ週刊誌ネタにされることが多かった田原は、強度のマスコミ嫌いになり、マスコミとの関係も悪化していた。
そのマスコミを前にして「本意ではない記者会見」「俺ぐらいビッグになると…」といった発言により、「思い上がっている」と散々バッシングされる結果に。

その後、『俺はビック発言』は、意図的な編集でその部分だけが大きくクローズアップされたことが、2011年の『爆報!THEフライデー』1回目に解明されている。

干されたもうひとつの理由は、中山美穂との同棲、ハワイ旅行が写真週刊誌「フライデー」にスクープされたこと。当時、大型新人として中山美穂に力を入れていたバーニングプロダクションの逆鱗に触れ、ジャニーズ事務所からの独立(解雇)という形ででことを収めたのではないかとも言われている。

【メリー副社長からの手紙を喜ぶ田原俊彦】


30歳を過ぎて極秘入籍し、人気のピークも過ぎたところに起きた独立、恋愛問題。さらに『俺はビック発言』が追い打ちをかけ、干されてしまった田原。ジャニーズ事務所から独立する前年に毎年行われていた全国ツアーが中止になったことなどを見ても、ジャニーズ事務所から独立して、事務所からもマスコミからも守ってもらえず孤立無援になったのではないだろうか。


この20年間で、ジャニーズ事務所は巨大な力をもつアイドル事務所に変貌した。田原は独立後、ジャニーズ事務所に対して批判的なことを語ることはなく、むしろスタッフが『SMAP×SMAP』に出演交渉をしたことを語り、ジャニタレとのからみを希望する発言をしている。また2013年のコンサートでは、メリー喜多川副社長から直筆の手紙をもらい、直筆で返信したと明かしている。例のSMAP騒動のきっかけとなったと言われる週刊文春のインタビューでも、メリー副社長は「田原にしょっちゅう手紙を出している」と語っている。

もう田原とジャニーズ事務所との確執はゆるやかに解け出しているのか。田原のテレビ出演が増えたのも、ジャニーズ事務所との関係が良くなったから影響だろうか。
それでもいまだにジャニタレとの共演は実現していない。いつか、ジャニタレとの共演を目にすることはあるのだろうか。
(佐藤ジェニー)
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