ドラマ『3年B組金八先生』で脚光を浴び、1980年に『哀愁でいと』で歌手デビューした田原俊彦。『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組に頻繁に登場し、主演ドラマ『教師びんびん物語』は当たり役となり主題歌も大ヒット。80年代を代表するトップアイドルだった。
それが、ジャニーズ事務所独立後は『教師びんびん物語』のスペシャルや約1年間の『笑っていいとも!』のレギュラー出演のほかは、音楽番組の出演も連続ドラマもなくなり、テレビで見る機会はほとんどなくなっていた。
【干された原因は「俺はビッグ発言」?】
このように田原俊彦が急にメディアの露出が激減したのは、1994年に長女誕生の記者会見の席上での『俺はビッグ発言』と言われている。当時人気者ゆえに、マスコミに追いまわされ週刊誌ネタにされることが多かった田原は、強度のマスコミ嫌いになり、マスコミとの関係も悪化していた。
そのマスコミを前にして「本意ではない記者会見」「俺ぐらいビッグになると…」といった発言により、「思い上がっている」と散々バッシングされる結果に。
その後、『俺はビック発言』は、意図的な編集でその部分だけが大きくクローズアップされたことが、2011年の『爆報!THEフライデー』1回目に解明されている。
結婚式に至るまでマスコミのインタビュウを拒んだため、干されたと聞いたけど、隠れトシちゃんとしてずっと、ファンでした。色々あったけどヤッパリ今でもビックです。