朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)3月12日(土)放送。第23週「大番頭のてのひら」第138話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:新田真三
「キャンディ・キャンディ」との関係「あさが来た」138話
『あさが来た 白岡あさ・新次郎語録』大森美香/扶桑社 

138話はこんな話


大阪にやってきた雁助(山内圭哉)とうめ(友近)は握手をしてお別れする。

握手でお別れ


死にかかった者同士、雁助とあさが病床時の話をする。
生きてるということはまだやることがある、嬉しいよりは責任があるという雁助。「うちらは残された きっとまだ次の世代に残さなあかんもんがあるはずなんだす」と言うあさ。
3月11日の翌日の放送とあって、亡くなった方々への追悼、生き残った責任などをいっそう感じてしまう。
震災だけでなく、戦争や、その他、いろいろなことで亡くなっていった人たちのことを考えさせられながら画面を見ていると、うめがやって来て、恋のターンに切り替わる。
どうなるのか、最も予想がつかないふたりの関係。ついに、ハッピーエンドなのか!……と思ったら、うめはきっぱりと思いを断ち切った。
「より戻したわけやあらへんのやで」「一緒にいてるのもお互いの家業とお金の都合なだけで」「惚れたはれたなんちゅうものはなんも」と雁助が未練ありありの様子にもかかわらず、うめはそれには乗っていかず、異国では友情の証である握手をしようと言う。

基本的に極めてわかりやすい展開と台詞で見せている「あさが来た」の中で、うめのこの微妙な忍耐と、雁助のずるいのか誠実なのかよくわからない言動は、はつのあさに対する若干の対抗意識と、五代に嫁がいたのかいないのか、新次郎があさ一筋なのかそうでないのか、これらの三大問題以上に、想像力をかき立てる。「あさが来た」の四大問題である。

「また会えてよろしおました」と言ううめの手を握って「うん」と妙にかわいくなってしまい、なかなか手を離さず、最後に抱きしめてしまう雁助を見ていると、男のずるさを描いているんじゃないかと思ってしまうが、ひたすらクリーンな「あさが来た」の世界では、雁助とうめは出会ったのが遅すぎた、今度会う時は最初に出会おう的な関係だったというところだろうか。

さて、この場面を見て、ある作品のある場面を思い浮かべた。

「白岡あさ・新次郎語録」(扶桑社)にて、波瑠がインタビューで、あさの少女時代の参考に「キャンディ・キャンディ」のDVDを見たと語っていた。以前、このレビューにて、五代は、キャンディの丘の上の王子様的だ
と書いたことがあって、そうか「あさが来た」にはキャンディ風味がやっぱりあったのだと思い、とすれば、このうめと雁助の関係は、「キャンディ・キャンディ」のキャンディとテリィのやりきれない別れ(テリィをかばって怪我した女の子のためにふたりは別れる)のようではないか。正当派な物語では、女の子は、他人を不幸にして自分が幸福になることを良しとしないのだ。どんなに哀しくても荒野にひとりで立っていくのだ。ハッピーエンドよりも、記憶に強く残るふたりの結末だった。
編集部おすすめ