アルコール好き、というか、アルコール中毒になった人は、最終的には純粋なアルコール(スピリタスなど)を求めるようになるという。ようするに酒の風味すらよけいなものに感じられるようになってしまうのだ。

エアコレクターはなぜブックオフ全店踏破を目指すのか『無限の本棚』
とみさわ昭仁『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』アスペクト

とみさわ昭仁(当エキレビ!の執筆者のひとりでもある)の新刊『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』(アスペクト)によれば、同様の傾向は、コレクターにもいえるらしい。そこで著者が引き合いに出すのは、かつて自分が考えたという「白いトレーディングカード」なるものだ(もちろんそんなものは現実には存在しない)。

このカードには表も裏も何も書かれておらず、ただ「通し番号」だけが記載されている。番号は1~1000番まであり、それがシャッフルされて日本全国に散らばっている。著者は、そんな「白いトレーディングカード」があれば、きっと自分は集めるだろうと書く。

これは、『無限の本棚』の核となるコレクション論のくだりで登場する話だ。
著者はあるとき、自分を少年時代からコレクションへと駆り立ててきたものの正体が、「物欲」というよりは「整理欲」であることに気づいたという。レコードを集めるにしても、とくに聴きたいわけでもないのに、管理番号順に集めてしまう。それも整理欲に突き動かされてのものであり、突き詰めていけば最終的に、純粋に蒐集の快楽だけを求める次元へとたどり着くだろう。「白いトレーディングカード」の話はそのたとえというわけだ。

物欲のなくなったコレクターが見つけた道


『無限の本棚』を読んでいると、自分と似ているなと思うところもたびたびあった。たとえば「飽きっぽい」ということ。もっとも、著者のとみさわは飽きっぽいと言いながらも、飽きるまでにとことん極めるところが、自分とは決定的に違う。


たとえば、「戦車の絵が描かれたジッポー」という明確なテーマをもって集め、その後収集テーマの守備範囲を広げていった結果、総数は300個を超えた。
野球カードコレクションでは、MLBのカル・リプケン・ジュニアのカードを2400枚以上集め、まで出している。このほか、観光地にある顔出し看板の写真を撮ってまわったり(あげく、自分の結婚式で、新郎新婦をかたどった手製の顔出し看板を用意するほどの凝りよう)、各地のダムで配布されているダムカードを集めてまわったりと、始めた時点ではほぼ誰も集めていなかったものにも手を染めた。

しかし、いずれのコレクションもかなりのレベルまで極めながら、あっさりとやめている。本書ではその理由もそれぞれ書かれているが、顔出し看板についていえば、自分より圧倒的に数多く集め、全国を網羅もしているコレクターが存在することを知ったからだった。

子供のころから他人と競争することが苦手だったという著者は、コレクションに関しても誰かと量や質を競い合いたいとはまったく思わない。
だからこそ、集めるテーマも、まだ誰も手をつけていないものを選んできたし、コレクターとしては孤高の存在でありたいという。それだけに、自分が最初に発見したつもりでいたテーマでも、すでにほかの人もやっていることだったとわかれば、集めるのをやめてしまうのだ。

コレクターとしての著者を貫いているのは「あきらめのよさ」ともいえる。それに加えて、さまざまな人生の転機を経ることで、物欲がだんだんなくなっていく。先述のとおり、そもそも自分は物欲よりも整理欲のほうが強い人間だということにも気づいた。そうやって著者がたどり着いたのが、もはや物を必要としない「エアコレクター」なる境地である。
全国にあるブックオフの全支店の踏破をめざし、ツアーを続けているのもエアコレクターの活動の一環だ。

あとがきによれば、本書はもともと「エアコレクターを軸にしたコレクション論」として構想されたものだという。しかし、企画書を読んだ編集者には「面白いけどわかりにくい」と言われ、企画はいったん白紙に戻ってしまう。仮に本来の構想どおり本になっていても、私のようなとみさわファン、物好きは面白く読んだはずだが、一般の人にはハードルが高くなったかもしれない。

本書の醍醐味は何より、著者の仕事や私生活でのつらい経験談も交えつつ、コレクターとして新境地を拓いていくさまが語られていることだ。それら体験(仕事をやめるとか、愛する人との別れとか、引っ越しを余儀なくされるとかそういうこと)は、どんな人でも直面しうるものだ。
それゆえ本書を読んでいると、どこか身につまされるものを感じながら、人はなぜ物を集めたがるのか、人間にとって趣味とは何かなどあれこれと考えさせられる。

エアコレクターという概念を発見した著者は、ついには日本一の古書店街である東京・神保町に「マニタ書房」という古書店を開くまでにいたった。本書のベースとなるコレクション論も、このいきさつが具体的に書かれているからこそ、説得力がある。実際、本書の企画が日の目を見たのには、マニタ書房を始めたことが大きく影響しているとか。著者はこの店にコレクターの究極の夢である「無限の本棚」を見出し、それが本書のタイトルとなった。

個人がコレクションに注ぐリソースは、よっぽどカネと時間を持て余している人でもなければどうしたって限界がある。
誰もが無限に物を集め、ちゃんとした状態で保管できるわけではないのだ。それに、コレクションはたとえささやかなものでも、家族を持つ人間にとってはとかくトラブルの原因となりがちだ。エアコレクター、そして「無限の本棚」という概念は、それに対しひとつの処方箋となるに違いない。

自前の地図をつくろう


著者はまた、この本のなかで、自分には「マップラバー」の気質があると書いている。マップラバー(map lover)とは、生物学者の福岡伸一の本に出てくる言葉で、「地図をこよなく愛し、目的地に向かうときに必ずそれを頼りにする人」を指す。デパートに入ったら「売り場案内板」に直行するという具合に、行動に移る前には必ず世界全体の見取り図を手にしたがるタイプだ。

私もどちらかといえばマップラバーだと思うのだが、やはり著者の徹底ぶりにはかなわない。例のブックオフ巡りでも、まずエクセルで全支店リストをつくるとともに、グーグルマップのマイマップ機能を使って、まだ踏破していない支店(著者は「残りのブックオフ」、略して「残BO」と呼んでいる)にピンを立てた。このおかげで、これから行くべき支店が明確になったうえ、ツアーから帰って踏破した店のピンを抜くことが快感になっているという。《いつの日か、最後のピンを抜き去り、地図がまっさらになる瞬間のことを思い浮かべる》との一文にいたっては、マップラバー、ここに極まれりと感服せざるをえない。

著者にとってコレクションとは、自前の地図をつくることと同義だともいえる。でも、自前の地図をつくるってのは、何もコレクターにかぎらず、そうでない人にも案外重要なことなんじゃないだろうか。

いまやネットを検索すれば、地図をはじめいろんな情報が手に入れられるし、本や音楽、飲食店などを選ぶにも他人の評価を参考することだってできる。でも、検索して出てくるものが、自分が本当に必要している情報とはかぎらない。結局、見つからなければ、やはり自分なりの手段で見つけるしかないのだ。そのために自前の地図をつくっておくのは有効だろう。

と書いてきて、著者が以前ツイッターで、然るジャーナリスト氏に「取材ばかりしてないで、少しはいい酒場を自分で嗅ぎ付けられる嗅覚を身につけなさい」とやんわり諭していたのを思い出した。その嗅覚は、ネットなどに頼る前に、自分なりに失敗などしながら身につけるしかないのだろう。自前の地図づくりも、まずはそこから始まるはずだ。
(近藤正高)