この春、『報道ステーション』のメインキャスターを降板した古舘伊知郎。
番組の最後には12年間のキャスター生活を振り返り、「あけっぴろげに昔よりも色々な発言ができなくなりつつあるような空気は感じています」などと、課せられた役割の息苦しさを語っているが、そもそも、何かと制約が多いキャスター業は古舘に向いていないと筆者は思う。


なぜなら、古舘の魅力はその豊富なボキャブラリーを駆使した自由奔放な発言にあるのだから。だからこそ、90年代バラエティ番組での「あけっぴろげな」古舘は抜群に面白かった。特に1999年にフジテレビ系で放送されていた深夜番組『第4学区』では、その後の経歴からは考えられない下ネタ全開ぶり。
あまりにオープン過ぎるので、“○○”部分は筆者の自主規制でマイルドな表現に変えていることをご了承の上でご覧いただきたい。

大宮の風俗で童貞喪失を図るも、現れたのは巨漢力士!?


古舘は自身の童貞喪失を22歳で遅かったと語る。
まずは、18歳のときに大宮のトルコでの喪失を狙ったそう。友達と意気揚々と向かうも、待合室に現れたのは「琴別府みたいなすっごいオバちゃん」。琴別府は体重190kgを誇る巨漢力士。ご愁傷様である。
しかし、そこは当時から口が達者だった古舘。オバちゃんに「ちょっとこいつ、ひとつお願いします」と友達を無理やり押し付け難を逃れるが、次に現れたのも琴別府ほど太ってはいなかったものの、かなりのオバちゃんという悲劇。結局、観念した形で連れていかれ“69”を強要されてしまう。「なめて」「ダメです」「なめなさいよ」「ダメです」の押し問答が続いた挙句のギブアップで、完全なコンプレックスとなったそうである。


古舘伊知郎の初体験は赤ちゃん連れのバツイチ!?


前フリのエピソードからいきなりフルスロットルだが、続く、実際の初体験の話で暴走ぶりはさらに加熱。
お相手は大学時代にサークルで知り合った1歳上の女性。当時はいわゆる「アッシー」の関係だったが、彼女から連絡があり社会人になってから再会したそうだ。車に迎える際のはやる気持ちを「股間のエンジンブレーキで止まった」と表現する古舘。例えがゲスすぎるが、的確すぎるのも事実である。

問題は待ち合わせに赤ちゃんを抱っこして連れてきたこと。彼女はすでにバツイチだったのだ。だが自身いわく「喋る隙間産業」の古舘は、彼女の離婚した直後の心の隙間を埋める形で口説き、見事ラブホテルに直行。「2回ヤらせてもらいました」そうである。
しかし、“最中”に赤ちゃんがワンワン泣くから中断、ミルクを飲ませて再開の流れに。再びの“最中”には満腹になった赤ちゃんと目が合ってしまい、「申し訳ない」と思いながらも、「おまえの心象風景にしっかりと残すぞ」と無闇な意気込みで励んだのであった。

憧れの人と結ばれたことに感慨深げではあったが、これがテレビ朝日入社後のエピソードだというんだから、実におおらかな時代である。

8日間連続で“自家発電”に夢中になった古館の中2時代


“自家発電”のエピソードも惜しげもなく披露している。

初めての体験は中2。『平凡パンチ』のヌードグラビア&『週刊プレイボーイ』の外人のヌードをオカズに勉強机の前で励んでいたら、「えも言われず愉悦悦楽快感」を感じ、メインの引き出しの裏側に“果てて”しまったそうである。ボキャブラリーの無駄遣いも古舘節の真骨頂である。
ちなみに、快感に目覚めた古舘は“自家発電”が日課になってしまい、8日間ぶち抜きだったこともあるとか。絶え間なく喋り続けるバイタリティの原点を見た気がしないでもない。

28歳ぐらいのときには、母親にうっかり“現場”を覗かれたこともあったそう。自身の「道祖神」を見た母親は「孫をめでるような気持ちだったんじゃないか」と語る古舘。一瞬イイこと言ってる風に感じてしまうのも古舘節の妙味である。

ちなみに、この番組では「俺だってニュースのこと全然よくわかんないし、報道やったことないからすごい不得手ですよ」と語っている古舘。
バラエティの世界でこそ輝く逸材なのは間違いないのである。
(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonよりAERA (アエラ) 2014年 7/14号 [雑誌]
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