春一番伝説 アントニオ猪木引退で大ブレイクし猪木に命を救われた芸人
画像は春一番公式ブログのスクリーンショット

アントニオ猪木のモノマネ一本で一世を風靡した春一番。
先日放送されたTBS系『爆報!THEフライデー』で、すでに亡くなっていることを知った方も多かったのではないか。

2014年7月、アルコール性肝硬変で死去。享年47歳。
大酒飲みで破天荒な私生活、かたくなで不器用な生き様。実に昭和を感じさせる芸人だった。
表情や仕草、口調など、リング内外の猪木の姿を完コピ。アゴを突き出して「何だこのヤロー!」的なベタなモノマネではなく、猪木そのものになりきる憑依型のモノマネ芸は唯一無二の完成度の高さだ。

アントニオ小猪木、アントキの猪木など、猪木のモノマネ芸人は数あれど、猪木公認芸人は春さんだけ。そして、人生のすべてを猪木に捧げたのも春さんだけだったのである。


『お笑いウルトラクイズ』でブレイク! 初登場から芸風を確立


春一番がブレイクしたきっかけは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』で間違いないだろう。
芸人がプロレスラーや格闘家に試合形式でクイズに挑む「格闘技クイズ」という名物企画があり、それが春の最大の見せ場だった。
痩せぎすの身体つきで、猪木とは違ってまったく強さを感じさせない春が、レスラーにボロボロにされるのがお約束。猪木の口調で「えー、今回も負けてしまいましたが……」とマイクアピールをするのもまたお約束。そして、「1、2、3、ダーッ!」のパフォーマンスで締めるまでが定番の流れだ。

1991年4月放送の「第6回」から春はこの番組に出演しているが、この時点ですでに完成されていた鉄板ネタであり、長きに渡って番組を支えたハイライトシーンとなっている。
今や猪木の代名詞的フレーズの「1、2、3、ダーッ!」だが、世間に広めたのは春のパフォーマンスによるところが大きいのである。


猪木引退特需で春一番人気もピークに


アントニオ猪木は1998年4月にプロレスを引退したが、引退を経てそのカリスマ性は一層磨きがかかったように思う。
PRIDEを始めとする総合格闘技のムーブメントでも顔役になり、露出は現役時代以上に拡大。その恩恵を受け、春一番の露出も拡大の一途にあった。
猪木の「闘魂伝承」がマット界注目のテーマだったなか、「闘魂伝“笑”」をキャッチフレーズに快進撃。
猪木、引退試合後の渾身のスピーチ、「この道を行けばどうなるものか~」から始まる「道」という詩。
この詩の朗読も春の持ちネタに加わり、バラエティ番組で披露する機会が増えていく。
猪木の入場テーマ『炎のファイター~INOKI BOM-BA-YA~』に合わせて、往年の猪木語録を熱唱する曲も発表するなど、完全な追い風状態だ。
春をフィーチャーしたTシャツも次々と発売され、ブームとなっていた「格闘Tシャツ」コーナーでも堂々たる人気ぶりを見せつける。
春一番伝説 アントニオ猪木引退で大ブレイクし猪木に命を救われた芸人
▲筆者私物の春一番Tシャツ

当時、プロレスラー&格闘家のフィギュアの人気も高かったのだが、そこにも春は登場。
「破壊王」橋本真也を完膚なきまでに叩きのめし、マット界の中心にいた小川直也、最強幻想をまとった「400戦無敗」の柔術家、ヒクソン・グレイシーに続くラインアップだったのだから、その人気や知名度は本物だった。
春一番伝説 アントニオ猪木引退で大ブレイクし猪木に命を救われた芸人
▲筆者私物の春一番フィギュア


死線をさまよう春一番を救ったのはアントニオ猪木だった!?


2005年8月、春一番は化膿性肺炎、いわゆる腎不全をわずらい命の危機にさらされている。
きっかけは、乾癬(かんせん)という皮膚の病気にあった。
その治療のために処方された薬に含まれる免疫抑制剤のせいで体の免疫力が異常に下がり、内臓が軒並み弱ってしまったのだ。
最終的には、腎不全から肺に膿が溜まる肺膿腫まで併発し、ICU(集中治療室)に入るまでに悪化。次の手術が危ぶまれるほどの極限状態である。
春のマネージャーでもある妻は、主治医から「最後に会わせたい人がいれば今のうちに……」とまで言われてしまったという。
そこで妻が望みを託したのが、春の永遠の憧れであるアントニオ猪木だ。
当時、猪木はロサンゼルス在住だったが、タイミングよく来日中だったのは幸運だった。
猪木は快くその申し出を受け、ICUを訪れたのである。
猪木は、死線をさまよう春の手を10分ほども握りながら、下ネタを交えて明るく励まし続けたという。
そして、この猪木の激励がまさかの奇跡を起こす。意識の混濁が続いていた春だが、なんと、翌日には会話ができるようになり、その後も体調がみるみる回復し始めたのだ。
小学校の卒業アルバムに、「アントニオ猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と将来の夢を残し、芸のすべても猪木に捧げた熱狂的な猪木信者の春。
まさに「神」とも呼べる猪木との対面により、生きる力を呼び起こしたのである。


この際、猪木がいつもの調子で「元気ですかーっ! 元気があれば何でもできる!」と気合を入れ、瀕死状態だった春がムクッと起き上がるやいなや、ビンタを見舞って闘魂を注入。これが、直接のきっかけとなって病状が回復したとのエピソードもある。
春本人から語られてはいないはずなので、真偽は不明だ。しかし、あってもおかしくはない、むしろ、事実であってほしいエピソードである。


悪夢のきっかけは『お笑いウルトラクイズ』にあったのか?


悪夢を引き起こした乾癬だが、春一番いわく、そのきっかけは『お笑いウルトラクイズ』にあったという。
春は前述の「格闘技クイズ」で、猪木と異種格闘技戦を行った伝説の空手家、ウィリー・ウイリアムスと夢の対決をしたことがあった。
実においしいシチュエーションだったのだが、その際、カレー粉のプールに落とされ、全身カレーまみれになってしまう。そして、その粉が落ちきらないうち、さらに「金粉マラソンだじゃれクイズ」という企画にチャレンジし、今度は全身金粉まみれに。この行為が引き金になって、乾癬にかかってしまったそうだ。
この番組では、異常に強い粘着液に落ちて皮膚が裂けたこともあったとか。
ブレイクのきっかけとなった番組が命の危機ももたらしてしまったとは、あまりに皮肉な話である。

春は日本テレビ発行の『21世紀版 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!非常識大百科』で、こう語っている。
「ケガも入院も芸人の勲章ですから。今のぬるい若手芸人にも、お前らやってみろよ!という感じですね」
春一番の凄まじい芸人魂に乾杯!
(バーグマン田形)