彼は、ミャンマー奥地のジャングルで確かに見た。
「納豆生卵かけごはん」を。

喜んで食べ終えると、翌日からはまた、食べなれない現地の食事に戻ってしまった。
キツネに化かされたような体験だが、その後もアジア各地で「それらしきもの」を見た。
納豆風味のせんべいやスープ。
日本人が、日本滞在歴の長い外国人によくする質問がある。
「納豆は食べられますか?」
みんな納豆が日本独自のものと思っているが、本当にそうだろうか。
テロリストに襲撃されながらもソマリア取材を慣行した高野が、姿勢はそのままに目標を大きく変えた。
「日本人もトナオを食べる!?本当!?」
アジア納豆「トナオ(トゥナオ)」は簡単に見つかった。
「ナットウ」と名前が似ているのは半分偶然ではない。中国の文化を受けているから、トゥは「豆」が由来だ。
トナオはミャンマーをはじめ、アジア各地で食べられている。
ワラではなく、シダやイチジクの葉に包んで発酵させるのが特徴だ。
糸引きは弱いが、味や香りは日本のものに近い。
生でも食べるが、乾燥させてせんべい状にしたり、もちつきのようについて味噌状にする。
ネパールにはカレーの食文化もあるので、「納豆カレー」もある。
これを日本に持って帰ったら、みんな驚くだろう。
ただ、糸を引いてないと納豆とは認めない「納豆保守派」の日本人に、認めるてもらえるか?
そこに、とんでもない一品が出された。
究極の納豆料理「パー・ナンピック」
「パー・ナンピック」。
納豆、唐辛子、ネギ、ニンニク等を練って味噌状にしたものを、大きめの魚に詰める。
魚ごと強火で一気に揚げると、部屋が唐辛子と魚の香りで満たされる。
納豆は熱で風味が増す。
ぎゅっと旨みを増した魚と納豆が、互いに引き立てあう。
これは、日本人も大喜びするはずだ。
そして海外にも納豆文化があると認めるだろう。
アジア納豆は無事に見つかった。
今まで気付けなかったのは、
「納豆はワラで包まれているか、生で糸を引いているもの」
と思い込んでいたせいだ。
しかし、新たな疑問も出てくる。
「日本納豆はなぜワラで作り、糸を引いているのか?」
昔からずっと同じ作り方、食べ方だったのか?
誰もはっきり答えられない。納豆のような日常的なものを記録した人がいないのだ。
江戸時代の納豆
日常食、納豆を記録していたのは、
一茶、利休、蕪村。
千利休は茶会で使った献立の記録を残している。
また「納豆」は冬の季語だ。暑いと雑菌が繁殖するし、秋に豆が収穫されるからだ。
当時の俳人は多くの納豆俳句を詠んでいる。
17文字の中に、当時の食べ方のヒントが含まれていた。
アジア納豆を調べるはずが、日本納豆の謎を調べに戻ってきてしまった。
本書のサブタイトル「そして帰ってきた<日本納豆>」とはそういうことだ。
納豆の糸に絡めとられた高野は、日本納豆の起源を探すことにする。
怪獣やソマリアだけではない。
「未知」は毎朝の食卓にもあった。
(南 光裕)