
何をやっても様にならないアグニは少し可愛い
3話でサンに懐かれた時、アグニは無頼を気取ってろくに相手をしなかった。自分についてきても良い事がないと知っているからだ。しかし、無頼を気取って懐いてくる子供を無視する場合、絶対にカッコ良くなければいけない。無視をしておいてその子供がピンチになったら急に助けて「気をつけろガキ」とかなんとか言ってまたその場を立ち去ったりしなければいけない。
アグニは違った。付いて来ようとしたサンが体力の限界を迎えて気を失ってしまった時、そばに近寄り自分の炎で暖めてあげた。そこまではまぁいいだろう。ツンデレっぽくて良い感じだ。だが、その後が悪い。サンが起きた時、アグニはあろうことか体育座りで待っていたのだ。しかも全裸で。
この辺りからアグニはずっと少しダサかった。ツンデレのツンの最中に好きな食べ物を聞かれて答えてしまったり、雪に埋もれたサンを助ける時も「サァーン!!」と叫んでもののけ姫みたいになってしまったりと、何をやっても様にならなかった。
こんなに主人公がカッコ悪くていいのだろうか? 特にトガタに会ってからは、よりそのダサさが際立っている。このままだと復讐に燃える男の緊張感がなくなってしまうのではないだろうか?
「キミは車に乗れないから歩いていくぞ」
そして今回の第14話、ダサさがピークに達した。まず、みんなは車移動するのに車を燃やしちゃうからと遠くまで歩くことに。その後も早く復讐がしたいと焦ってはトガタに怒られ、映画の為に演技を強要されキレて一人で行動しようとするも、結局は一生懸命セリフを言い直す。
しかし、今話の最後、アグニは少しだけ違った。トガタに強要された「ドマを殺す為なら何でも…!」というセリフに気持ちが篭ったのだ。演出的にはカッコ良い感じだったが、これはどうなるのだろうか?少年マンガにはダサさを通り越してカッコよくなるという黄金パターン“ダサカッコ良い” がある。果たして、アグニはダサカッコ良くなれるのだろうか?
ダサいからダサカッコ良いになる為には?
ダサカッコ良いというのは、弱者が愚直に努力することにより発生するカッコ良さのように思う。後に才能がある事がわかったとしても、まるで勝ち目のない戦いへ挑む精神性からくるものだ。
キャプテンの谷口タカオ、アイシールド21の小早川セナ、はじめの一歩の幕の内一歩、ダサカッコ良い主人公達は実力の無さを受け入れるところから始まる。野球が上手くなりたい、みんなの役に立ちたいと様々だが、目標は必ずクリーンだ。
しかし、アグニの目標は復讐。動機はともかく、人を殺そうというのだからクリーンとは言えない。
このダークヒーローがカッコ良くなる条件は、間違いなくスマートさだろう。悪のプライドをしっかり持ち、圧倒的な実力で敵をなぎ倒す。これに尽きる。気合や根性を出すのは最終局面だけで十分だ。
そう考えるとアグニの立ち位置は中途半端に思えてくる。消えない炎と再生能力というとんでもない武器があるクセに、いまいち強くない。さらに周りに気を使う事も出来ないし、頭も決して良くない。なのに、復讐が目的で既に何人も殺してしまっている。
現段階でアグニはダサカッコいいヒーローになる事は出来ないだろう。もちろんカッコいいダークヒーローにも、ましてや普通のヒーローにもなれそうにない。では、コイツの魅力は一体なんなのだろうか?
それは絶望的に可哀想なところだ。生い立ちも可哀想だし、復讐後の未来も見えない。しかも炎で焼かれているからずっと身体は痛い。どうあがいても絶対に救われない というところがアグニの魅力になる。この可哀想な部分がカッコ良く化けることはあるのだろうか?
全ては映画監督であるトガタにかかっている。次の配信予定は8月1日だ。
(沢野奈津夫)