ネット動画の年越しライブに出演したり、アニメ・漫画の祭典「コミケ」で自らCDを手売りしたりと、異色のジャンルにも積極的にチャレンジ。
若い世代から支持され、ラスボスとしてカリスマ化したのは「ボカロ曲」を歌い始めたここ数年、と振り返る小林幸子。しかし、そのラスボス化への前兆は90年代にすでにあったと筆者は考える。
『ASAYAN』の前身『浅草橋ヤング洋品店』でバラエティ番組デビュー
小林幸子のバラエティ初進出は90年代初頭にまでさかのぼる。92年4月放送開始のテレビ東京系『浅草橋ヤング洋品店』だ。
当初はファッション・サブカルの紹介がメインの構成であり、小林幸子は「店長」の肩書きで、ルー大柴や清水ミチコとともに司会を務めていた。
95年10月には、ナインティナイン司会のオーディションバラエティ『ASAYAN』にリニューアル。モーニング娘。や鈴木あみ(現・亜美)、CHEMISTRYなどを生み出し、話題が社会現象化していくのはご存知のとおりだ。
総合演出のテリー伊藤は、この起用は大成功だったと語る。
この番組は、スタジオに視聴者を招いてVTRを見せるスタイル。しかし、本番までにVTRが間に合わず、ゲストタレントや観覧者を1~2時間待たせることもあったそう。そんな時、小林幸子は陽気なおしゃべりで、場を飽きさせることなく盛り上げてくれたという。
この姿勢は番組にも生かされ、持ち前の明るさとサービス精神を発揮していたのだが……。
キワモノたちに消された小林幸子の存在感
しかし、当時は存在感を発揮できていたとは言い難い状況だった。バラエティ要素を強化するに連れ、濃いメンツが揃いすぎてしまったのだ。
いつもカメラ目線の「炎の料理人」周富徳を始めとする、バラエティのセオリー無視の中華料理人たち、常に3000万円が入ったアタッシュケースを携帯する「動く標的」城南電気の宮路社長、4分以上の潜水記録を叩き出した「江頭グラン・ブルー」江頭2:50などなど、リアルなキワモノたちの前では小林幸子も霞んでしまうのであった……。
結局、1年でレギュラーを降りることとなったが、近年のラスボスとしてのハジケっぷりを見る限り、この時キワモノたちから「毒気」を吸収したことは想像に難くないのである。
「ポケモンショック」を起こしたのは小林幸子のラスボス・パワー!?
97年にはアニメ『ポケットモンスター』の3代目エンディングテーマ『ポケットにファンタジー』を歌っている小林幸子。
しかし、初披露となった放送回で悲劇が……。ストロボなどの激しい点滅の演出により、視聴者が頭痛や吐き気に襲われる等の「光過敏性発作」を起こしてしまったのだ。「ポケモンショック」とも呼ばれるこの騒動により、アニメは4ヶ月に渡って休止に追い込まれている。
不謹慎ではあるが、この偶然にもラスボス化の前兆を感じずにはいられないのである。
シングルCDには、ポケモン関連の曲を3曲収録されている。4代目EDテーマとなる『ポケモン音頭』は、「ガルーラ小林」名義となっているが、これは小林幸子が「ガルーラ」というポケモンの声優を務めたためだ。
プロモーションビデオには、ガルーラをモチーフにド派手な出で立ちで登場。
「もう年齢的にも、ここまできたら面白いことはやらないと損だなって思いますもんね」と語る小林幸子。ラスボスの快進撃はまだまだ続くようである。
百花繚乱!アッパレ!ジパング! Single, Maxi