〈ある本について的確に語ろうとするなら、ときによっては、それを全部は読んでいないほうがいい。いや、その本を開いたことすらなくていい。
むしろ読んでいては困ることも多いのである〉。

そんな大胆不敵な説を唱えるのが、この『読んでいない本について堂々と語る方法』だ。
本を読まなくても本についていっちょまえに話せる“エア”読書法
『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール著、大浦康介訳/ちくま学芸文庫

フランスの大学教授ピエール・バイヤールによる、“エア”読書指南書である本書。2007年に刊行されるや本国でベストセラーとなり、日本では2008年に翻訳され今年10月に文庫となった。

読んでいない本について堂々と語る偉人


一体どうすれば読まずに語れるのか?
著者は読んでいない状態を「未読の諸段階」として、
1.ぜんぜん読んだことのない本
2.ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
3.人から聞いたことがある本
4.読んだことはあるが忘れてしまった本
の4つに分類。それぞれのケースにあてはまる古今東西の「読んだふり」を紹介する。

たとえばムージルの小説『特性のない男』に登場する図書館司書は、所蔵されている350万にも及ぶ書物について〈全部の本を識っている〉と豪語する。そのからくりは、350万冊すべての書誌情報を把握していることにある。著者・題名・分類・他の本との関係性といった情報を切り口に、読んでいなくても所蔵書について語ることができるのだ。

20世紀フランスを代表する文学者ポール・ヴァレリーの場合は、先輩作家を称えなければならない演説で読んだ振りをする。彼は実のところ、称えるべき相手を評価していなかった。そこで〈氏の作品が与える驚きはあくまで穏やか〉〈重大な思想や問題に軽くふれる熟練した技術〉などと、曖昧な表現に終始し作品に詳しく触れようとはしない。そして、読もうと思わない理由をひたすらあてこする。


こうした事例を著者は不謹慎とは捉えていない。ユニークなエピソードの数々から浮かび上がるのは、未読を一種の「芸」だとする著者の解釈だ。
紹介されるのは、離れ業ばかりではない。物忘れが激しく、メモを頼りに忘れた本について語る哲学者モンテーニュのようなとぼけた芸もあれば、未読の引き起こすすれ違いが思わぬ喜劇になる場合もある。

読んでいない本について堂々と語る部族


たとえば、アフリカ西海岸に住むティヴ族の場合。彼らはアメリカからやってきた文化人類学者が読む戯曲『ハムレット』に興味を持ち、どんな内容か教えを請う。
シェイクスピアの名作で文化の溝が埋まる瞬間である・・・・・・とはならない。
霊的な存在を信じていないティヴ族の人々は、〈死人が歩けるわけないだろう〉と亡霊が出てくる物語を根本から否定。学者と霊の有無をめぐる論争に発展してしまい、文化の溝はより深まる結果となってしまう。

こうしたエピソードを知ると、さまざまな人々が読んでいない本について堂々とコメントしているのだと安心するし、読んだ振りをする後ろめたさもやわらぐ。一口に「読んだ」といっても、その人の感想や認識が絶対ではないのだと勇気づけられもする。しかもそこには、本書最大の未読芸が仕掛けられているのだ。

読んでいない本について堂々と語る著者


なんと本書でエピソードを引用するのに使った本を、著者は完読していないのである。

「未読の諸段階」の分類に従い、その本がどれにあてはまるのかを脚注に記載。内容の評価を、「◎」「〇」「×」「××」で示してもいるのだから芸が細かい。実際に読んでみたくなる巧みな作品紹介が、読んでいない本について語るコツの実践例になっているのも心憎い。

とはいえ、よくよく考えてみると矛盾が多いのも本書の特徴の一つ。
それなりに文学の知識や語彙がないと、この本で指南される方法を実践するのは難しくないか?読み通した上で、印象に残ったキャラクターや場面について語った方が楽しくはないか?といった異論反論が読み終えた後に思い浮かぶ。
でもそれは、〈本は読書のたびに再創造される〉と考える著者の望むところ。矛盾にツッコミを入れようが、オリジナルの未読芸を考えようが読む側の自由。読んでいる途中で投げ出して、わからない役に立たないと文句を言っても構わない。なんせ、「読んでいない本について堂々と語る方法」について書かれた本なのだから。
作者が何を言いたいのか生真面目に考えてしまう、読書感想文的な本の読み方に飽き飽きしている人に絶対おススメ。こんな好き放題に読める本、そうはない。
(藤井勉)
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