お笑い芸人の間寛平が67歳にしてフルマラソンに挑んだ。10月30日に行われた大阪マラソンに出場したもので、沿道の声援にギャグで応えながら4時間25分9秒で完走した。


間寛平といえば、2008年12月から2011年1月におよそ2年にわたり、世界一周4万キロにおよぶアースマラソンにチャレンジしたことでも知られる。
そんな彼の原点は『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)である。

「24時間テレビ」のマラソン企画 開始の経緯は


「24時間テレビ」のマラソン企画はいまやおなじみとなっているが、最初から行われていたわけではない。チャリティマラソンがはじまったのは、1992年の第15回からである。この年、間寛平が200キロマラソンにチャレンジしたのだ。

この企画は“棚からぼたもち”のように決まった。当初、スタッフは深夜の10分ほどの出演をオファーしたのだが、これを受けたマネージャーが「24時間テレビなのだから、24時間走らせましょうか」と逆提案を行った。“面白ければ何でもアリ”の吉本興業らしいやりとりだ。
当時の間は、東京進出を果たして4年目。『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)などに出演し、ようやく全国区で顔が知れはじめたころである。「かい~の」「いくつになっても、甘えん坊~」といったギャグは浸透していたが、スポーツマンのキャラはなかった。そのため、「あの寛平ちゃんがマラソンに挑戦!?」と視聴者は驚いたのだった。

600キロを走る企画も


前代未聞の200キロマラソンは、事前にコースを公開したため、視聴者が殺到し、153キロ地点でやむなく途中棄権となった。
スタート地点は、新潟県の苗場であり、首都圏に近づくにつれて、企画続行が危険視されたのである。
もっとも番組では「無念のリタイヤ」という演出がなされていた。この年以降、コースは非公開となる。

間寛平は翌1993年に200キロマラソンにリベンジし、みごと成功している。単純計算でも、フルマラソン5回分の距離だ。
さらに、1995年にも、この年の1月に起こった阪神淡路大震災の復興を願い、神戸から東京までの600キロを1週間かけて走る企画に挑戦した。彼の驚異的な体力がうかがい知れる。

ただ、間寛平はもともとマラソンが得意だったわけではない。心臓疾患克服のため、マラソンをはじめたところ、ぐんぐん上達し驚異的な体力を獲得するに至った。まさに、マラソンが間寛平の人生を変えたのだ。

※イメージ画像はamazonより地球を走った男 ~間寛平アースマラソン なぜ彼だけが地球一周、走れたのか?~ (ヨシモトブックス)
編集部おすすめ