脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎

115話はこんな話
健太郎(古川雄輝)、さくら(井頭愛海)は東京に進学、龍一(森永悠希)は世界へ、喜代さん(宮田圭子)と忠さん(曾我廼家文童)は冒険の旅へ。皆それぞれの旅立ちを祝して、ヨーソローで宴が行なわれる。
会いたいねえ
3人の母は、各々、ブレザー(健太郎)、刺繍が散りばめられたワンピース(さくら)、ジーパン(龍一)と、子供たちのために服をつくる。つくってるときの3人の顔は、少女時代のようで、とてもキラキラしていた。
ワンピースに刺繍していたすみれは、ふと、ゆりに電話する。お母さんのことを思い出したのだ。
「どんな気持ちやったんやろうなあ。幼い私達を残して・・・」(すみれ)
ゆり「親になってはじめてわかる気持ちってあるねえ」
すみれ「会いたいねえ」
ゆり「会いたいねえ」
朝からじんわりした。
初期に、母・はな(菅野美穂)が亡くなっているので、この流れは想像できないこともないとはいえ、ここまで「べっぴんさん」がかなり強烈に死者の想いを引き継ぐ物語になったことは予想外だった。でも、その意外性が逆にこのドラマを格別なもの(べっぴん)にしている。
その時をせいいっぱいに生きてください(忠さん)
ヨーソローで行なわれる御祝の会の大ファミリー感。犯罪のない、ほのぼのしたゴッドファーザーみたい。
永山絢斗と高良健吾、それぞれ違うベクトルで表現されたおじさん感。ふたりが努力しているのが伝わってくる。永山絢斗はリビングでの座り方もなんだか昭和のおじさんぽい。いろんな作品を見て研究しているのだろう。
わたしはもろた人が心から喜んでくれるような 思いを伝えられるような そういうべっぴんをつくる人になりたい(さくら)
すみれが子供のときに、はなに言った言葉とまったく同じ。こうして想いは受け継がれていく。
そしてまた桜が舞う季節がやってくる。何度も何度も桜が出てきて、命の営みが繰り返されることが観てとれる。
そのなか、リビングにて、たったふたりで食事をする紀夫とすみれ。久々にすみれが味噌汁をつくったというが、喜代さんが入院して以来だったりして。すみれは料理は得意なのだろうか。
紀夫「さみしいか」
すみれ「(間)ちっとも」
にこ。
にこ。
紀夫「ちっともや」
すみれ「そうねえ」
忠さんと喜代さんよりも(いい意味で)枯れた感じである。これで最終回でも良い感じ。でも21週からはまたひと波乱ありそうだ。
今日の紀夫くん、
すみれとさくらの感動シーンで、シンバルを小さくたたく。
小山(夙川アトム)がこっそり泣いてるのもよかった。
(木俣冬)