
才能アリ、大和田獏の「踏んでみる」
中でも72点の高得点を獲得し、見事才能アリ1位を獲得したのは、大和田伸也との兄弟対決を制した大和田獏だ。
行く春や学び舎の影踏んでみる
卒業式を終えて校舎を振り返り、影を踏む事によって色々な思い出と決別する気持ちを表した句だという。踏むという行為は、良い思い出、辛い思い出、両方を想像させてくれる。さらに何かを決意しているようにも捉えることが出来る。読み手を色々と想像させる句だ。
夏井先生は、その「踏んでみる」という言葉が少し軽いように感じたという。確かに、上五と中七は俳句らしい言葉使いだが、「踏んでみる」は日常語だ。軽く感じるのもわかる。そこで、夏井先生は他の言葉を提案する。
行く春や学び舎の影踏み行きぬ
「踏み行きぬ」踏みながら歩いていくという意味だ。こうするうと、しっかりと地面を歩きながら次のステップへと進んでいこうという意思が見える。
行く春や学び舎の影踏み過ぎぬ
「踏み過ぎぬ」歩き去っていくイメージだ。
行く春や学び舎の影踏み仰ぐ
「踏み仰ぐ」一旦止まって学び舎を仰ぎ見て感慨を噛みしめているのが伝わってくる。この中では一番爽やかな句になったのではないだろうか。その顔は、少し笑顔になっていそうだ。
しかし、大和田獏はこの中では「踏み仰ぐ」が良かったとコメントするも、「踏んでみる」で軽さを表現したかったとこだわりを見せる。これに夏井先生も、それならば「踏んでみる」で問題ないと受け、さらには改めて感心したと返す。毒舌先生、生徒のやりたいことを尊重する良い先生だ。
軽さとは?
大和田が言う軽さとはなんだろうか。本人は「『さらば』って感じの」と答えているがそれだけではない気がする。改めて見てみよう。
行く春や学び舎の影踏んでみる
改めてみると、「踏んでみる」、「みる」の部分からやってみた感が伝わってくる。つまり、やらなくてもよかったのにやった。
「踏み行きぬ」も「踏み過ぎぬ」も「踏み仰ぐ」も「踏んでみる」も、意味はほとんど一緒なのに、印象や作者の伝えたい感情が微妙に変わってくる。たったの十七音にこれだけのものを詰め込むなんて、俳句難し過ぎる。
(沢野奈津夫)