依然として緊迫する北朝鮮情勢。そんな北朝鮮に30回以上に渡って足を運んでいるのが、誰あろうアントニオ猪木参議院議員だ。


最初の訪朝のきっかけは、プロレスの師匠・力道山が北朝鮮出身だったことにある。そのため、外交もプロレスありきだったのだが、そこで猪木屈指の名勝負が行われたことが、現在に続く大きな財産となっているのである。

ドン底にあった猪木、起死回生策は北朝鮮での大規模イベント


「師匠、力道山の故郷に錦を飾りたい」
長年の猪木の野望が、参議院議員だったばっかりにうっかり具現化してしまった感があるプロレスイベント。それが、95年4月28日、29日の2日間に渡って北朝鮮で開催された「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」だ。
佐々木健介・北斗晶夫妻の馴れ初めとなったイベント(記事はこちら)でもある。

当時、都知事選出馬騒動(猪木の辞退により内田裕也が急遽出馬。記事はこちら)や、脱税&借金トラブルなど、数多くの問題を抱えていた猪木にとっての起死回生策だったが、実現へのハードルは困難そのもの。

何といっても相手はあの北朝鮮。誰もが無謀なチャレンジと諦めていたが、94年7月、国家主席だった金日成の死去によって事態は急変。引き継いだ金正日体制が国威発揚の元に、この申し出を受け入れたのである。

監視が厳しい北朝鮮ならではのエピソードも


会場となった平壌のメーデースタジアムは15万人収容という超大箱だ。
ここをグラウンドまで開放し、ぎっしり寿司詰め状態で19万人の観客“役”が集結。グループごとに歌いながら徒歩で会場入りし、試合が始まる前の数時間もの間、声ひとつ立てずに静寂の中見守っていたというから、その徹底した管理ぶりは驚愕の一言である。

参戦したレスラーや報道関係者にも常にそれとなく監視役が付いており、あるレスラーが国際電話で不満をもらすと、すぐに電話が切断されたという……。
また、市内の観光は決められたルートのみを団体行動するのが鉄則であり、スクープ狙いのマスコミ関係者が少しでも列を離れようとすると、笑顔のままに腕を掴まれて列に戻されたそうだ。

大会前には10万人規模という究極のマスゲームによる熱烈な歓迎もあったが、浮かび上がった絵柄は「北朝鮮からミサイルが日本とアメリカに飛んでいく」というものだったとか。

また、猪木の対戦相手のリック・フレアーは、大会後に3日間拘束され、アメリカに戻った際には「その気になれば北朝鮮はアメリカを制圧できる」と声明を発表するよう強要されたという。
フレアーは、試合同様の「のらりくらり」とした言い回しで、上手くごまかしたようだが……。

北朝鮮のバイタリティや熱心さ、もっと有益な方向に活かしてもらいたいものである。

盛り上がりに欠けるイベントを締めたアントニオ猪木


厳戒態勢の中行われたプロレスイベントだったが、正直1日目は盛り上がりに欠けたという。
そもそも、プロレスを初めて観る人がほとんどであり、リング上で何が行われているのか理解できなかったのだから、無理もない話なのだが。

しかし、パキスタンやモスクワなど、プロレスがない土地でも観客の心を掴んできた猪木だけは、試合前から確かな自信に満ち溢れていたという。

そして、2日目のメインイベント、猪木の試合を迎える。
対するリック・フレアーは、アメリカンプロレスの権化的存在のショーマン派だ。格闘技寄りのファイトを得意とする猪木とは、まさに水と油のような関係。しかし、これが物の見事にスイングしてしまうのだから、プロレスとは実に奥が深いのである。

これぞ名勝負! 平成時代の猪木のベストバウト!


オーソドックスでじっくりとしたレスリングに、ラフファイトのエッセンスを加えた両者の攻防は、まさにプロレスのお手本的展開。プロレスの達人同士のつばぜり合いが、予備知識のないものさえも魅了して行く。


観客席からは大歓声がうなりのように発生し、興奮から立ち上がって身を乗り出すものも続出。その熱狂は常にMAX状態だ。
猪木も、普段の強制されている拍手ではなく、感情がむき出しになった本当の拍手を感じたという。

フレアー必殺の足4の字固めを耐えた猪木は、ナックルパート、キックで猛反撃。浴びせ蹴りからニードロップと一気に畳み掛け、延髄斬りでフォールを奪った。
間近で観た当時のエース、橋本真也も「猪木さんは今日、力道山を超えた」と脱帽するほどの名勝負だった。実際、この試合を猪木の平成のベストバウトと推す声も多い。

しかも、視聴率は驚異の99%! 猪木はイベントの成功とともに、北朝鮮での絶大な名声を手に入れたのである。

金正日のプロレス観とは?


試合を観戦した金正日は、「プロレスというものは一般人ができない技を見せるもの。本気になって闘えばケガ人が続出し、死人も出るだろう。だからこそ、素晴らしい肉体を作り、技を見せるショーなのだ」と語ったという。
なかなか鋭い考察である。


ある政府高官は「一夜にして反日感情がなくなった」とも語ったが、あれから20年余り。現在の金正恩体制に、このときの感動は伝わっているのだろうか……?

※文中の画像はamazonよりアントニオ猪木 21世紀ヴァージョン 炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~
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