元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏からレイプの被害に遭ったと告発しているジャーナリストの伊藤詩織さんの著書「Black Box(ブラックボックス)」が大きな話題となっています。いかに日本の社会や司法が性暴力に対して無策で寛容かが分かる書籍ということで、世の中に衝撃を与えているようです。


ジャーナリストとは、本来権力や社会の理不尽と戦う仕事だと私は理解しています。であるならば、政権御用達ジャーナリストと言われている山口敬之氏よりも、彼から受けた甚大な被害を己のジャーナリズムで追及する伊藤詩織さんのほうが、ジャーナリストの素質としても上のように思えてなりません。

先日の2017年10月24日にも外国特派員協会で記者会見を開き、改めて自分の受けた被害と日本の性暴力の問題について堂々と訴えていましたが、その姿には本当に尊敬の念しか抱きません。どうかこれを機に日本の状況が好転することを切に願いばかりです。

詩織さん事件不起訴とハプバー摘発の矛盾。日本の狂った性道徳

相次ぐハプニングバー摘発


そんな中、上野にある大型ハプニングバーが摘発されたというニュースを耳にしました。ハプニングバーとは、客同士が気の合った相手と突発的な性行為を楽しむことのできるよう設計された会員制のバーです。これまでも何件か警察によって摘発されており、今回逮捕されたのは経営者と従業員だけでしたが、客が逮捕される事例も出ています。

ですが、私にはハプニングバーを摘発しなければならない理由が全く分かりません。ここでの性行為は原則的に「合意」のもとに行われていることでしょう。客もある程度性関係が発生する空間ということを想定して来店している人がほとんどです。

また、客同士で金銭の授受は発生しているわけでもないようです。会員制という仕組みを取っており、入会も身分証明書の提出を求められる等、ある程度の管理がなされています。入口も二重扉を設置しているところも多いようで、不特定多数の来客がある空間というよりも、閉鎖性の高い空間です。
つまり、一部のマニアたちが勝手に自分の趣味にコッソリと勤しんでいるだけだと思うのです。


ハプバーを摘発する意味が分からない


確かに売買春の温床になっていたり、セクハラや強制わいせつの事例が複数寄せられていたり、衛生管理が杜撰だったり、犯罪組織による資金源の温床になっているというのであれば摘発される意味は分かります。そのようなトラブルがあれば運営責任が問われるのは当然でしょう。

ですが、警察はそのような理由で摘発したのではなく、問われているのはあくまで「公然わいせつ幇助」の罪であり、店内で客のわいせつ行為を幇助したというのが問題だというのです。

いわゆる「被害者なき犯罪」の一部だと思いますが、ハプニングバーの何が社会的法益を侵害しているのでしょうか? 売買春とは異なり、女性に対する搾取的な構造という社会的背景と密接に結びついているわけでもありません。大々的に宣伝して社会的にハプニング的な性行為を広めているわけでもありません。このように、社会システム的に考えると、法律で担保するべき保護法益があるとは思えないのです。


レイプを罰しない狂った司法やその性道徳


もちろん私は別にハプニングバーに対して思い入れがあるわけでも何でも無いですが、このニュースを聞いた時、本当に怒りが収まりませんでした。ハプニングバー摘発のように、合意のもとで行われている性行為を法で裁く一方で、詩織さんの一件のように、合意無き強制性交(レイプ)や強制わいせつ等に関しては法で裁かない日本の司法やその性道徳は、狂っているとしか思えません。

しかも詩織さんの件だけではなく、続々と不起訴処分になる事例が出ています。ネットニュースで検索すると、どう考えても不条理な理由で不起訴になっていたり、理由も公表されていなかったり、本当に無茶苦茶です。こんな非人道的なことが許されて良いのでしょうか? 人権を保護せず画一的な性規範を保護する国家は、もはや先進的と呼ぶに値しないでしょう。

確かに今年2017年の刑法改正実現により、強制性交等罪(旧強姦罪)は親告罪ではなくなり、一定の進歩はありましたが、激しい抵抗をしなければ合意したものと見なすという、非人道的な司法判断はいまだに残っています。

もちろん、恐怖により抵抗などできない場合がほとんどです。
「強盗の被害に遭っても激しい抵抗をしなければ加害者は罰しない」という決まりになっていれば、大半の人が「そんな無茶苦茶なことがあるか!」と思うかもしれないですが、そんな無茶苦茶なことが性暴力では起こっているわけです。

コンビニのエロ本が撤去されないのもおかしい


また、もう一つ怒りを覚えるのは、ゾーニング(アクセスできる情報を人によって空間的に制限すること)がある程度なされているハプニングバーが摘発されるのに、コンビニエンスストア等ではゾーニングを無視して成人向け雑誌が堂々と置かれているのに何らお咎めなしである点です。

18歳未満の子供や見たくない大人がハプニングバーに出向いて他人の性行為の現場に遭遇することはありませんが、コンビニエンスストアの成人向け雑誌コーナーは見たくなくとも視界に入ってしまうことが十分あります。どちらが明確な被害者が存在するかは一目瞭然です。

ここでも日本が国民の人権を蔑ろにする人権後進国である現実を強く感じるのです。日本は保護法益における人権の重要性を見直すべきではないでしょうか? 


権力を持ったら自分から手を出してはダメ


最後に論点はややズレますが、合意に関して一つ触れておきたいことがあります。山口氏のケースは一般的に考えて詩織さんの合意が得られたと解するには無理があると思いますが、その他にも議員等の社会的に権力のある人がセクハラ、強制わいせつ、強制性交等で訴えられる事例が日本でも相次いでいます。そしてその多くが「加害の意図は無かった」「合意だと思った」と容疑を否定しているのです。

ですが、「意図」に注目している時点でアウトです。パワーバランスがあると性的な関係の合意に関する自由な意思決定を歪めるリスクが高いことをしっかりと理解するべきでしょう。たとえば自分が著名人、上司、得意先等であれば、一般人、部下、仕入先である相手とかなりの社会的権力の差があるわけで、明確に断りにくいのは当然です。そのような相手に対して安易に性関係を提案するのは言語道断です。

もちろんパワーバランスで差がある相手と性的な関係になるなと言っているわけではありません。なるべく力関係に差が無いよう下手に出て接する態度が必要ですし、普通の何倍も相手の合意を明確にするべきですし、断れる余地をしっかりと残して提案するべきです。
そういう配慮に欠いているから「意図しないセクハラ」「合意を取ったという勘違い」になるのだと思います。

相手よりも社会的権力を持っていたら、手は後ろで縛らないといけません。相手から「是非ほどいてくださいー!」と言われるまで。それが「ノブレス・オブリージュ(社会的地位のある者は高潔であるべきという義務が伴うこと)」です。

そして何となくこのような問題を起こすのは、非モテコンプレックスを抱えた人に多いような気がするのです。というのも、彼らのような人ほど、昔非モテだったリベンジを果たすことに躍起になっていて、社会的な力関係の差を利用してモテることや性的関係に持ち込むことに躊躇無いように感じるからです。そのような安直な考えでいるから相手の態度を読もうとせず、いつかセクハラ、強制わいせつ、強制性交等を起こすのだと思います。

以前、記事にも書いた恋愛工学はその典型例でしょう。これから社会的成功を目指そうと思っている男性には、是非そうならないようにしっかりと自分の手綱は締めて欲しいところです。

シリアルな流れを生み出して社会を変えよう


アメリカでは、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏によるセクハラや暴行が明らかになり、Twitterで「#MeToo(私も)」というハッシュタグを使って、過去に受けたセクハラや性的暴行被害を投稿する動きが広がっています。

アメリカも酷いですが、日本はもっと酷い状況だと思います。是非、皆で声をあげるだけでなく、活動家やオピニオンリーダーを支えて、問題に取り組む政治家を応援して、私たちで平和な暮らしを実現して行きましょう。
そのシリアル(連続的)な流れを生み出すことができれば、きっといつか狂った性道徳や司法の歪みも返られるのではと思うのです。
(勝部元気)
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