10月2日に発売された『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)は、虐待を受けた人々が親への思いをつづった手紙100通を収録した書籍。心理的虐待や身体的虐待、性的虐待、ネグレクトなどの実態が克明に明かされており、“虐待”という言葉自体の認知度は高まっても、自分も含め、その痛みまでは理解できていない人間がほとんどなのだろうと実感させられる。

もともと1997年に出版された『日本一醜い親への手紙』は20年経った今、なぜ再び刊行されたのか? 編著を担当したCreate Mediaことフリーライターの今一生氏に真意を聞いた。

コンセプトは「生きているから書ける」


虐待親への手紙集めた書籍『日本一醜い親への手紙』、20年の時を経て再び公募されたワケ
今一生氏

今氏は20年前、『日本一醜い親への手紙』を出版したことによって児童虐待をめぐる状況は大きく変わると期待していた。しかし、認知が向上したため数が増えたというのを差し引いても、児童虐待の相談件数は増えていくばかり。厚生労働省の発表によると、平成28年度における児童相談所での児童虐待相談対応件数は12万2,578件と過去最多を更新している。今氏は、再び『日本一醜い親への手紙』の公募を行い、新たな書籍として世に訴えかけることを決心した。

1997年に発売された『日本一醜い親への手紙』は児童虐待に関する書籍では異例の10万部というヒットを飛ばした。『もう家には帰らない』『子どもを愛せない親からの手紙』と合わせた3部作は、文庫版やアンソロジー版を含めると累計30万部のベストセラーだ。しかし、新しい『日本一醜い親への手紙』の企画を相談した際、各出版社の反応は芳しいものではなかった。“虐待”はもう充分認知されて、すでに市場が飽和したと誤解されている。社会的価値は充分あるのに……。そんな中、dZEROの代表・松戸さち子氏が企画に興味を持ち、出版が実現することとなった。

20年の時を経て『日本一醜い親への手紙』を新たに作る。松戸氏と話し合った結果、今回のコンセプトは「生きているから書ける」になった。
よくぞ生きてくれた、今も苦しみの中にいるとしても、とにかく生きてくれた――。同書は、そんな労りの気持ちの中で作られた。やはり多くの被虐待経験者にとっては、過去を文章にするだけでも辛いものらしい。

「20年前は、『とうとう書き始めてしまった』という手紙もありました。自分が愛されていなかったことを認めるのだから、それは当然怖いことですよ。しかも書くに当たっては、自分がされたことを改めて思い出さないといけない。二重につらいところを頑張って書かれた手紙たちなんです」


親の権力を分散させる“親権シェア”


今氏は、国内の虐待に関する取り組みは、あまりにも被虐待児ではなく親側のケアに寄りすぎていると感じている。子育て支援なども大切だが、まずは被虐待児のケアが優先されるべきではないかと指摘した。

虐待を未然に防ぐための仕組みづくりとして、今氏が提唱しているのが“親権シェア”だ。子供に対して親が絶対的権力を握っている構造が虐待を生んでいる。そこで子供に対して保護責任を持つ大人の数を増やせば、生みの親・育ての親が独占していた権力は自然と分散される。また、子供に“カウンター”の手段を持たせることも重要だと感じているそう。子供がいつでも親に対して訴訟を起こすことができたり、親の介護義務を背負わないことを公的に宣言できる制度を作ればいいと考えている。


「虐待というものについて、本来は子供に徹底的に教えないといけないんです。親にこういうことをされて嫌だと感じたら大人と一緒に児童相談所に通報できるというのは、小学校の入学式で教わってもいいくらいの話。でも教わっていないでしょう? それは自分の持つ権利を知らされていないということなんです」

今氏は、“文化的虐待”という新しい虐待の形も提唱している。親の考え方が一般常識と著しくかけ離れているせいで、子供を間接的に孤立に導くことを指した造語だ。こちらは厚労省が定義する「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の4つからは外れているが、確かに親が新興宗教に入れあげているなど特殊な思想を持っているせいで、子供たちが学校でいじめ被害に遭うという話は聞く。ただ、どこまでを一般的な範疇での逸脱とし、どこからを虐待と認めるかは難しい部分だろう。虐待をめぐり、よく“しつけ”との境界が議論される。その境目を今氏はどのように考えているのか?

「そもそも虐待は程度問題じゃありません。たとえば身体的虐待と一口に言っても、小さい頃から空手教室に通っているわんぱくな子供だったら、親父にビンタをはられようが全然平気かもしれない。『これが虐待だ』という定義は、統計調査をするためには必要かもしれませんが、ある種のわかりやすさを得るために切り捨てられている現実がある。もっと子供側の『嫌だ』という心情に寄るべきでは? 子供によって何が切実に嫌と感じるかは違いますから。何が嫌かを判断し、決める主体になれることこそが人権のはずです」

さらに“100点満点の親なんていない”という言説に対して、今氏はこのように反論する。


「そうかもしれないけど、100点満点の子供だっていないんだから。なんで子供のことを先に考えないんだろう、なんで弱い人のことを先に考えないんだろうと思いますよね」


“親子関係の修復”だけではない多様な答えを


虐待親への手紙集めた書籍『日本一醜い親への手紙』、20年の時を経て再び公募されたワケ
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』

今氏は、出版業以外にも全国で講演を開催する他、“虐待”について世間に訴えかけるための企画をいろいろ考えている。自身が主宰となって12月20日を〆切にオリジナルのキャンペーンソングを公募しているが、さらにアートシーンとの連携はとっていきたいそうだ。

「他にも映画や演劇、マンガ、アニメ、ゲームなど、いろんなクリエイターに、この本にインスパイアした作品を作ってほしい。そうすることで、虐待はカジュアルな話題になり、皆でお茶会や飲み会で辛さを共有できるようになると考えています」

虐待被害者にとって、必ずしもカウンセリングや自助グループが救いの場として機能するとは限らない。今氏は、それらは“よいこちゃんコミュニティ”でしかない場合があると指摘する。リストカットの告白は優しく受け入れても、「風俗の仕事が辞められない」という告白に対しては、空気が凍ってしまったりする。同情されやすい話題しか許容されない場なら、そこからはみ出してしまう人々も当然出てきてしまう。今氏は自身の講演会を、参加者同士でお茶会をするためのきっかけの場として位置付けている。虐待について語れるけれども、“よいこちゃん”でいなくていいフランクな場――。そんなものを増やしていきたいというのが今氏の願いだ。彼は、虐待を失くすことは社会全体に良い変化を与えると主張する。


「子供に対して、親が絶対権力者として振る舞っている。一番弱い存在にしわ寄せがいく社会はおかしいじゃないですか。虐待を受けた人々が望んでいるのは、親子関係の修復というひとつの答えではなく、多様な答えがあること。自分らしい答えを生きたいということなんです。そうやって“生きやすさ”を取り戻すことができた人は、もう他人を支配したり、いじめたりする動機がありません。つまり生きやすい人が増えれば、結果的に殺人や自殺が減って、皆が生きやすい世の中になるんです」

●日本一醜い親への手紙 特設サイト
http://letters-to-parents.blogspot.jp/

(原田イチボ/HEW)
編集部おすすめ