『ありがとう』などで知られる、平岩弓枝×石井ふく子タッグの名作シリーズのドラマ『明日がござる』(1975年~)。
現在、BS12トゥエルビで再放送されているが、いま観ると、恋愛・結婚・仕事観において、当時としてはかなり進歩的に思える部分もあれば、時代の違いを大きく感じる部分もある。
舞台は、神楽坂の串料理屋「世渡(せと)」。
『ありがとう』では母一人子一人の親子を演じてきた水前寺清子と山岡久乃が、本作では嫁と姑関係に一転。
水前寺清子演じる主人公には兄と妹、弟、幼い末妹がいて、父はパリに支店を出し、奮闘している。
細かな設定はさておき、時代間ギャップを感じる箇所をいくつか取り上げてみたいと思う。
子どもがラブレターをもらったといった話になると、母親などが必ず言うのは「まあ! いやらしい!」という言葉。
冷やかしているわけではなく、心底、汚らわしそうに言う。
今の20代くらいだと、親子で恋バナをする家もけっこうあるだろうことを考えると、隔世の感がある。
次女は大学を出ても、家事手伝いをしているくらいで、すぐに縁談が出る。「わざわざ大学を出てすぐ結婚!?」と思うが、当時は実際、女性は大学を出ても働く場所がなかなかなかったようだ。
主人公・集子(水前寺清子)が嫁いだとき、実母はひどく落胆する。子どもは他に4人もいるのに、嫁にいった娘のことで頭がいっぱいで、娘の嫁ぎ先の姑と事あるごとにモメる。
大事な娘を嫁にやるのは「とられる」感覚であり、完全に被害者の意識なのだ。
一方、嫁ぎ先の姑も、実の娘(佐良直美)と、嫁(水前寺)の兄(井上順)の縁談が持ち上がった途端、不機嫌になる。そして「初めて娘をとられる気持ちがわかった」という。
今では逆に、妻が強いせいもあってか、結婚すると、夫が妻の実家と仲良しで、妻の家にばかり行くケースは多く、「男の子なんてつまらない」とボヤく親は多い。
時代の変化を感じてしまう。
集子が結婚する男性・各一(まさいち)には、警察官の両親と、旅行代理店でバリバリ働く姉がいる。
序盤では各一は大学院生だが、家庭内では「無職」扱い。
女性たちは外で働いていて、家のことは何もせず、各一が家事の一切を取り仕切っている。料理や洗濯、さらに回覧板をどこに回すかすら、他の者は知らない。
各一が結婚資金を貯めるために、外でアルバイトをするようになると、「家のことをする者がいないから不便」と女性たちは文句を言う。
ちなみに、放送された75年は「国際婦人年世界会議」が開かれた年。
女性の社会進出に向けた環境づくりが始まるが、「男性=外で働く人」「女性=家で子育てと家事をする人」の分業制がまだ世間では一般的だった。
そう思うと、女性が外でバリバリ働き、息子に全ての家事を押し付けるというのは、かなり進歩的!?
集子はもともと実家の串料理屋でチャキチャキ働いていて、結婚後も仕事を続けて良いと言われていたのに、姑が面白く思わないことなどから仕事を断念。
専業主婦として1人で家事をし、全員分の弁当を作って送り出す生活になる。
仕事が大好きだったのに諦めて、夫の家に入った集子は、常に姑などに謝ってばかりで、表情も暗く、服装もショボくれている。
一方、仕事に出かけていく姑と義姉は、バリッとしたスーツ姿でかっこいい。
「バリバリ外で働く女性」がイキイキしているように描かれている一方で、「家庭を守る女性」がひたすら犠牲者に見える。
女性も仕事をするのが当たり前のようになった今とは、大きく異なる価値観の気がする。
ところで、ニート時代にはいつも優しく、マメで、家のことを何でもしていた各一が、結婚して教職についた途端、豹変。言葉も乱暴に、態度も横柄になり、威張り始める。
しかも、妻が内緒で実家の店でバイトしたお金でスーツを買ってくれると、「かっこ悪い」「稼ぎの少なさをバカにされた」などと言い、腹を立てる。
今なら、妻が内緒でバイトをして(後ろめたい仕事でない限り)スーツなんて買ってくれたら、感激する夫が多いのではないか。
また、おそらく今なら、そして働く女性なら、ニート時代の優しくマメで、家のことをなんでもやってくれる各一のほうが、威張り散らす教員としての各一よりも、結婚相手として良いと考える人もいそうな気がする。
今と違い、パチンコ屋がずいぶん牧歌的で、立ち話・噂話などをする社交の場になっている(後にパチンコ屋を営む夫婦が喫茶店も始めるのは、もう少し込み入った話をする場所を作るためだろう)。
主人公の実母は、まだ幼い末娘を家に置いてパチンコ屋へよく行く。それでいて、授業参観など、学校行事に行くのは面倒くさがり、娘などに代わりに行けと言う。
家にいるときは、たいていこたつにあたって、スネたり泣いたり怒ったりしているか、髪のオシャレを気にしているだけ。
今なら周囲に心配されそうなものだが、そこは昔の子だくさんの良さで、息子や娘がきちんとフォローしてくれる。
いま観ると、「のどかで良いなあ」と思う部分もあり、一方で「今のほうがだいぶ楽だなあ」と思う部分もあり。
『明日がござる』で時代の流れを感じてみては?
(田幸和歌子)
現在、BS12トゥエルビで再放送されているが、いま観ると、恋愛・結婚・仕事観において、当時としてはかなり進歩的に思える部分もあれば、時代の違いを大きく感じる部分もある。
舞台は、神楽坂の串料理屋「世渡(せと)」。
『ありがとう』では母一人子一人の親子を演じてきた水前寺清子と山岡久乃が、本作では嫁と姑関係に一転。
水前寺清子演じる主人公には兄と妹、弟、幼い末妹がいて、父はパリに支店を出し、奮闘している。
細かな設定はさておき、時代間ギャップを感じる箇所をいくつか取り上げてみたいと思う。
親子間で恋愛の話はタブー
子どもがラブレターをもらったといった話になると、母親などが必ず言うのは「まあ! いやらしい!」という言葉。
冷やかしているわけではなく、心底、汚らわしそうに言う。
今の20代くらいだと、親子で恋バナをする家もけっこうあるだろうことを考えると、隔世の感がある。
大学を出てすぐに結婚!?
次女は大学を出ても、家事手伝いをしているくらいで、すぐに縁談が出る。「わざわざ大学を出てすぐ結婚!?」と思うが、当時は実際、女性は大学を出ても働く場所がなかなかなかったようだ。
結婚で「娘をとられる」という被害者意識
主人公・集子(水前寺清子)が嫁いだとき、実母はひどく落胆する。子どもは他に4人もいるのに、嫁にいった娘のことで頭がいっぱいで、娘の嫁ぎ先の姑と事あるごとにモメる。
大事な娘を嫁にやるのは「とられる」感覚であり、完全に被害者の意識なのだ。
一方、嫁ぎ先の姑も、実の娘(佐良直美)と、嫁(水前寺)の兄(井上順)の縁談が持ち上がった途端、不機嫌になる。そして「初めて娘をとられる気持ちがわかった」という。
今では逆に、妻が強いせいもあってか、結婚すると、夫が妻の実家と仲良しで、妻の家にばかり行くケースは多く、「男の子なんてつまらない」とボヤく親は多い。
時代の変化を感じてしまう。
働く女性がとにかく強い
集子が結婚する男性・各一(まさいち)には、警察官の両親と、旅行代理店でバリバリ働く姉がいる。
序盤では各一は大学院生だが、家庭内では「無職」扱い。
女性たちは外で働いていて、家のことは何もせず、各一が家事の一切を取り仕切っている。料理や洗濯、さらに回覧板をどこに回すかすら、他の者は知らない。
各一が結婚資金を貯めるために、外でアルバイトをするようになると、「家のことをする者がいないから不便」と女性たちは文句を言う。
ちなみに、放送された75年は「国際婦人年世界会議」が開かれた年。
女性の社会進出に向けた環境づくりが始まるが、「男性=外で働く人」「女性=家で子育てと家事をする人」の分業制がまだ世間では一般的だった。
そう思うと、女性が外でバリバリ働き、息子に全ての家事を押し付けるというのは、かなり進歩的!?
働く女性と、専業主婦の描き方の違い
集子はもともと実家の串料理屋でチャキチャキ働いていて、結婚後も仕事を続けて良いと言われていたのに、姑が面白く思わないことなどから仕事を断念。
専業主婦として1人で家事をし、全員分の弁当を作って送り出す生活になる。
仕事が大好きだったのに諦めて、夫の家に入った集子は、常に姑などに謝ってばかりで、表情も暗く、服装もショボくれている。
一方、仕事に出かけていく姑と義姉は、バリッとしたスーツ姿でかっこいい。
「バリバリ外で働く女性」がイキイキしているように描かれている一方で、「家庭を守る女性」がひたすら犠牲者に見える。
女性も仕事をするのが当たり前のようになった今とは、大きく異なる価値観の気がする。
結婚するなら、優しいニート? それとも、いばりんぼで見栄っ張りの教員?
ところで、ニート時代にはいつも優しく、マメで、家のことを何でもしていた各一が、結婚して教職についた途端、豹変。言葉も乱暴に、態度も横柄になり、威張り始める。
しかも、妻が内緒で実家の店でバイトしたお金でスーツを買ってくれると、「かっこ悪い」「稼ぎの少なさをバカにされた」などと言い、腹を立てる。
今なら、妻が内緒でバイトをして(後ろめたい仕事でない限り)スーツなんて買ってくれたら、感激する夫が多いのではないか。
また、おそらく今なら、そして働く女性なら、ニート時代の優しくマメで、家のことをなんでもやってくれる各一のほうが、威張り散らす教員としての各一よりも、結婚相手として良いと考える人もいそうな気がする。
パチンコ屋は社交の場!?
今と違い、パチンコ屋がずいぶん牧歌的で、立ち話・噂話などをする社交の場になっている(後にパチンコ屋を営む夫婦が喫茶店も始めるのは、もう少し込み入った話をする場所を作るためだろう)。
実母は、いまならネグレクト!?
主人公の実母は、まだ幼い末娘を家に置いてパチンコ屋へよく行く。それでいて、授業参観など、学校行事に行くのは面倒くさがり、娘などに代わりに行けと言う。
家にいるときは、たいていこたつにあたって、スネたり泣いたり怒ったりしているか、髪のオシャレを気にしているだけ。
今なら周囲に心配されそうなものだが、そこは昔の子だくさんの良さで、息子や娘がきちんとフォローしてくれる。
いま観ると、「のどかで良いなあ」と思う部分もあり、一方で「今のほうがだいぶ楽だなあ」と思う部分もあり。
『明日がござる』で時代の流れを感じてみては?
(田幸和歌子)
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